ネコリンヘンプ

安定剤(ソラナックス0.4㎎1~2T/dayを頓服で反復服用20年近く)断薬の記録つきヘンプブログ

1年6ヶ月を経過して振り返る断薬

2011年05月14日 12時12分16秒 | 断薬
2011.5.14
断薬1年半年の経過を振り返ってみたいと思う。
ズラズラ書いているのを読むと不快になる人も居ると思う。真っ最中の人は読まないほうがいいのかも。

ソラナックス(=コンスタン、ザナックス)を15年近く断続的に飲み続けた結果2009.9に急激な体調不良を起こす。
15年前当初はデパス、ハルシオンも同時服用していた。それ以前は安定剤として名前は忘れたが少しの間クスリを服用。
今まで経過が複雑なので書かなかったことがある。
長年断続的に服用し途中プチ離脱も経験し1年近くの断薬も経験している。2007年くらいから年に2回位のアルバイトをするようになってその間だけ毎日クスリを飲んでいた。
何故かといえば不眠があったからだ。そもそも不眠症ではないので長年のクスリの服用で不眠になっていたのだと思う。2009.4末でバイトが終わり2ヶ月近く飲んだクスリを止めた。多少の不調は感じたものの特に日常生活に支障はなかった。
(今から思えば精神的にかなりおかしかったが・・。)7月に入り体調も良くなっていたので月末に以前から興味のあったレイキのアチューンメントを受けることにした。
これはレイキによるヒーリングというよりは私自身がレイキヒーリングをするためのパワー伝授。もう少し言うと先生が私の体を宇宙のエネルギーが通りやすいように調整してくれるというようなこと。自分がまだ良く分かっていないのだけど、私が受けた先生は女性で元々のサイキックなので普通のレイキ・アチューンメントとは少し感じが違うのかもしれない。ほかを知らないのでめったなことは言えないが。
その後自分で自己ヒーリングを毎日やるのだけど、唱えなければいけないとされる言葉がどうしても私の性分に合わなくて・・・・そういうこと自体が好きではないので・・・・一応やって終了してみたが、その途中から微熱が出始め一気に夏から不調になり、ソラナックスを飲めばなんとかなるといつも通り薬を飲んだ途端眩暈が始まった。
レイキは自己浄化をするが、そのほかのヒーリングなどでもよく言われるけれどクスリを飲んでいる人は遠慮してくださいということらしい。私はあの時点ではクスリを飲んでいなかったので一抹の不安はあったものの決行した。
この事が離脱症状の発現と関係があるのか無いのかは神のみぞ知るでわからないけれど、症状の出方が変則的なのでずっと影響があったのではないかと思っている。良いか悪いかは別として出方の激しさはやはり急激な毒出しにレイキが一役買ったのではと思わずにいられない。
何にでも興味を持ってやってしまう私の性格だから仕方ないし、むしろ症状が激しく出ていなかったらまだ薬を飲んでいたかもしれないとおもうとまぁ良かったかと今は余裕を持てる。
2009.10断薬
苦しかった症状の中でどれが一番かと考えて思い出してみた。どれもこれも厳しかった。
夜寝ていて不眠の中で”ジェットコースターに乗って血の気が引くような”気分の悪さは本当に参った。
低血糖か低血圧かと飴をなめたり、血圧を測ってばかり。毎日一日中血圧計と首っ引き。
頭から地中のブラックホールに引きずりこまれるような貧血感。
ベッドに横になると船の中で寝ているような揺れが始まる。
眠気がまったくない中で気絶のように眠る短い睡眠。起きると10分しか経っていない。5分眠るだけでも命は繋がるからと整体院で励まされ生きていた。まだ睡眠は改善されないが”まぁいいか、仕方ない”とは思える。
夜中居ても立ってもいいられずユタンポをお腹に仕込んで寒空に飛び出したのも1回や2回ではない。
昼間ウオーキングをはじめたのは断薬2ヶ月以上経ってから。
信号待ちが辛くてたまらない。歩き始めは特にぐらつきと体中の緊張感で死にそうになる。苦しくて苦しくて涙が出てくる。
足はなんともいえない経験の無い不快な感覚で歩きたくない気持ち100%。一歩歩くたびにぞわ~というような気持ちの悪い感覚でこれも耐え難い。
3ヶ月が経つ頃には私の気持ちではもう終わると思っていた。だから毎日あせるわけだけれど今から思えばとんでもない甘い考えだった。
体を自由に動かせないというのは何と説明すればいいのか。イスから立ち上がるのにも頭の中で一回シュミレーションをしてから酷く気合を入れて立つ。お風呂に入るのもそう。お風呂から出るのもそうだし着替えをするのもよくシュミレーションをしてからやっていた。
もっと細かく言えばイスの背もたれに体を預けようかどうしようかと考えてから体勢を変える。変えるときは意識集中して変える。普通の状態の人からするとこれは驚愕の生活ではないか。
こんな生活は精神を追い込んでとても並みの神経では生きていけない・・・しかし死ねないので泣きながら生活する・・あるいは無表情で人との関わりが出来ない中で生きて行く。ぎりぎりの命。
自死した人もかなりの数でいるのではないかと思う。
生活が出来れば良いというものではない。これら全ての生活に、いや生きていることそのものに耐えられないような苦痛が伴う。息を吸うのも吐くのも苦しみ、歩くのも座るのも、何をするのも苦しい。一時でも安らぐ瞬間が無い。
歩くときの体の不快感、神経の異常感は綺麗に無くなってはいない。日によって厳しいと感じる日もある。
あの頃の、明日もまたこの苦しみが続くのかという絶望感と半年経っても新たな症状が出たりする予期不安、そして有効なてだてが無い無力感は本当に出口が無かった。
長い時間、言葉にしようとトライしてきたがまだまだ難しい。この例えようも無いもの。痛いの痒いのと症状を書くとそのほうに注意がいくがこの離脱の本性は本当はそこではない。
神経系統が狂ってしまうと人間の体はどんな苦痛を味わうのか?これからも言葉に出来るようもう少し頑張ってみるつもり。