近頃、「こころの病≒精神疾患・障がい」の中で、「脆弱性」という言葉が頻繁に使われるようになった。
「脆弱性」というとMSのPCを多少なりとも使っている人なら毎月15日前後に発表される「Windows Update」で耳にしていると思う。
簡単に説明すると、ネット経由の「どろぼうさん」が入りやすいPCソフト上の壁の穴が見つかると、それを「脆弱性」と呼んでアップデート(穴埋め)するようMSもMacも呼びかける。
こころの病も最近この「脆弱性」という言葉をよく使う。たとえば糖尿病や高血圧、あるいは癌などを考えればよくわかる。
同じように高カロリーを取り、タバコを吸い続け、塩分を多く取り続けても、必ず上述の病気になる訳ではない。けれど父母、祖父母、家族に上述のような病気になった人がいる場合、ほかの家族もそうした傾向を持つことが多い。
こうした傾向をいままでは経験則で医者も患者もなんとなく感じていた。
それが近年ではある程度ではあるが、遺伝子等の解析によって各病の「脆弱性」が明らかになろうとしている(これがいいことなのか、悪いことなのかわからないが。例えばこれが生命保険に反映されたら、ある種の差別因になり得る)。
ただ悪いことばかりではなく、いままで「性格が弱いから」などと言われがちであったアルコール依存症などは、この脆弱性理論を当てはめると必ずしも本人の性格の問題ではないことが判る。
心臓病家系の人に(実際ボク自身そうである)、「あなたの性格が弱いから心臓病になるんだ」とは普通いわない。
少なくとも生活習慣(高カロリー・運動不足)には気をつけ、年に一度くらい健康診断を受けといた方がいいとは思う。けれど心臓病になってしまうときにはなってしまうのだ。
アルコールは明らかに脳へ直接刺激を与える薬物であり、その受容限度の大きさが人によって異なる。そしてアルコール依存脆弱性を持つ人は、ある瞬間から覚せい剤と同じ依存性薬物として脳に認識されてしまう。
もちろん、さまざまなストレスもあるいは性格もこれに加担しているのかもしれない。けれど単純な「性格の弱さ」のみでは片付けられない。
統合失調症は明らかに脆弱性とストレス(思春期~青年期)が発症因と以前から考えられてきた。昔でいう躁うつ病(双極性1型障害)もそうした扱いの傾向があった。
いま精神疾患でも遺伝子研究が進んでいる。統合失調症にしろ双極性障害にしろ、うつ病にしろ依存症にしろ、ストレスがかかったときに自分の持っている「脆弱性」によって発症する病も異なってくる。また発症ストレスの受容限度量も当然人によって異なる。
高度成長期に育ったボクら世代は「がんばれば誰でも成功できる=成功しないのはがんばりが足りない」と刷り込まれてきた。
でも大人になり、また自分の予期せぬ病気を抱えて思うのだが、「人それぞれがんばれる量も違うし、質も違う」のだ。結局、高度成長に都合のいい「がんばり」だけを重んじて、個々人別々の「しあわせの形」をも尊重する「がんばり・生き方」を大事にしてこなかったのだと思う(「うつ病新時代」の内海健氏に似た立場かもしれない)。
震災に遭った人たちにはぜひ自分のしあわせを大事にする「がんばり方」をして欲しい。それは日本人すべてにいえることだと思う。
だって最近の東京は、あまりにも鉄道人身事故が多すぎる・・・。