bowbowのゆううつ~Returns

双極性障害Ⅱ型(躁うつ病)サバイバー&共生模索中のbowbowの日常。

朝、最悪の気分で起きる。

2011-06-14 10:44:57 | 双極性障害・躁うつ病

夜9時ごろ寝る前の薬、中長期型眠剤サイレース(ロヒプノール)と強力な沈静作用のある抗精神薬ヒルナミン(レボトミン)を飲む。歯磨をして布団しき9時20分前後にに超短期型眠剤であるマイスリーを飲んでから布団の上で横になる。床の上でちょっとストレッチやリラクセーションのようなことをして、刺激の少ない音楽(バッハが多い)をDAPで聞きなが寝る体制に入る。毎日ほぼ同じパターンを繰り返す。

サイレース・ヒルナミンの入眠時処方は入院病棟でもよく行われるし、よくもわるくも混乱した患者に液体ヒルナミンの注射は病棟ではよくある話だ。

ヒルナミンが寝る前に加わっているためであろうと思うが、朝おぼろげに目覚めてから身体を起こすまでに2時間位かかる。今日は3時間くらいかかった。

朝、目覚め始めたおぼろげな頭の中で「起きたくない」「朝がなんでまたくるんだ」「消えてなくなりたい」といううつ状態特有の気分が強く湧き出てきた。こうなるとホントに朝から地獄の気分だ。んで、起きるまでに3時間かかった。

なにか出来事があって落ちるならともかく、朝目覚めたところから死にたい気分だと本当にしんどい。

しかもこれが所謂「日内変動(一日の内気分が大きく変化すること)」を伴うことが多いので、簡単に「抗うつ剤処方してください」と主治医にいえるような気にならない。

ただ、ここんところ落ちぎみであることは間違いない。

散歩とか筋トレとか生活リズム調整とか、やれることは一応やっているのだが。

まあ、気分が揺れる病気なので仕方ないと思おう。


村上春樹、カタルーニャ国際賞講演にて日本語でスピーチ。

2011-06-12 18:40:43 | 日記

新聞で報道されているように、村上春樹がカタルーニャ国際賞(一応スペイン)での受賞スピーチでまたやらかした(ネットでも毎日新聞等で全文が読める)。

要約すると「地震は自然災害だが日本人はこの地震と共に長い歴史を生きてきたし今回も必ず立ち上がることについて自分は不安を持っていない。一方、原発のメルトダウンは人災と言える。被爆国である日本が原発政策を展開したことは「被爆者」への「加害行為」であり、我々日本人は原子力について被害者であり、加害者である。「非効率」と言われようが「非現実的な夢想」と呼ばれようが、被爆国である日本は脱原発を目指すべきだ」という感じだろうか。

 

昨日、ほんとうは「村上春樹と大江健三郎」という題名でこの文章を書きかけていた。

所謂、村上のたぶん学園紛争に端を発していたであろう「デタッチメント」と、阪神淡路大震災・オウム事件や自発的に死刑を望んだゲイリー・ギルモア家族史「心臓を貫かれて」翻訳などを通して、作品が「コミットメント」に移行していったように思う。

大江健三郎は国体的戦時中に疑問を持ちつつ四国で幼少期を過ごした。「敗戦日記」を書いたユマニスト渡辺一夫とサルトルに惹かれその後文壇デビューする。しかしヒロシマ・ノートでの取材経験や脳障害を負って生まれてきた息子・光さんとの共生によって変化していった。大江でいえば無神論的実存から「信なき者の祈り」という変化である(細かい解説は別のサイトを検索してください)。

もちろん二者は狭い意味で別の立場にあるが、大きな流れとして個から関係へ、その後は関係から個へという往復を持つ。

 

ただ村上の今回の講演はネットで原文を確認したときに、てっきりエルサレム賞のときと同じように、英語スピーチであると思い込んでいた。

今朝、TBSで映像が流れていて驚いたのは、村上春樹が日本語でスピーチしていたことだ。

 

以前、エルサレム賞「壁と卵」のときに、「もともと人前にでるのが少ない村上だが、母国語でない英語だと距離が持てて話しやすいのだろう」との趣旨の記事を読んだことがある。

村上春樹は英語翻訳家であるし、ギリシアに住んでいたのだからラテン語系だって達者かもしれない(カタルーニャ語はむりか)。

つまり村上春樹はあえてカタルーニャでの受賞スピーチに「日本語」を選んだのだ。その意味と覚悟は彼にとっても日本人にとっても大きいとボクは思う。

 

追記:よく村上春樹がメディア嫌いといわれる。けれど彼が「ノルウェイの森」でたぶん本人の意に反して大ブレイクしてしまう以前はそんなにメディア嫌いではなかった。NHK教育に村上龍と一緒に対談もしていたし(確か坂本龍一・村上龍の企画じゃなかろうか)、いまは編集方針の変わった宝島社の英語上達の為のブックレット中、エッセイ風に一部執筆もしている。インターネットがメディアだとすれば、彼ほど読者(ファン)と直接対話した作家はいないだろう。まあ、村上が日本語を喋っているのを見たのは村上龍との対談以来だが。


親しい人の死。

2011-06-10 15:51:12 | 今日のゆううつ

以前、仕事やプライベートでも親しくしていた人が亡くなったというメールがきた。

けっこう遠い場所でもあるし、病気の状態もよくなっていないので、とても葬儀にいけない。行ったらいろんな人に会って現状報告をすることになり、それでまたストレスを大きくしてしまうだろう。

東京に戻ってきてから調子を大きく崩し(自殺未遂などもして)、入院・病状などのため引っ越す前の地域で親しかった人の何人かの葬儀にやはり列席できなかった。

今回亡くなった方もそうだが、みんなボクの病気(当時はうつ病診断)を心配してくれていた。

亡くなったIさんもそうだが「bowbowさんどう?元気?」「あんまり無理しないでね」とよく言われた。だから今回もやはり無理をするのはやめようと思う。病状からしても無理なのだし。

若い頃、長い入院生活で苦労したIさんだから、たぶん葬儀に行ったら「無理しないでって言ったじゃない!」と上の方から怒られそうな気もする。


ケンカした。

2011-06-09 19:17:32 | 双極性障害・躁うつ病

今日は家族とケンカした。

イライラしたので距離を置いた。

この状態は「ふつうのケンカ」なのだろうか「病的反応」なのだろうか???
双極性2型障害の場合、「軽躁状態」や躁とうつの「混合状態」もあるわけで、一体どこで気をつければいいのかよくわからん。

入院していたとき一時外泊でケンカして帰ってきたボクに、担当医は「ふつうの家庭だってケンカしますよ」といっていたが・・・。


精神障がい者の主体性と病気の複雑な関係。

2011-06-08 14:22:13 | 双極性障害・躁うつ病

双極性障害でもよく「病人自身が主体的に治療に関わることが大事」といわれる。

それはその通りだと思う。

しかし一方で調子の悪いときとか「主体性ってなんだろう?」とも思ってしまう。

 

精神障がいの場合、病状が悪く「自傷他害のおそれ」がある場合には、家族同意や警察等を含む強制の措置入院(患者の主体的意思表明では退院できない)になる。

患者本人は主体的に治療に関わっていても、何らかのストレスがかかったり双極の波の中で病状が悪化すれば、「強制入院」ってなことも起こる。脳の病気であるので「理性」や「人格」を元にする「主体性」と「病状」はどうしてもクロスオーバーしてしまう状況がある。

自分自身で判断不能な病態もある精神障がい者の「主体的治療態度」はなんとも複雑で難しいと思う。

追記:よく考えると上述の問題は社会学者・立岩真也氏の「弱くある自由へ」や 「私的所有論」の問題意識に近いかもしれない。健康な人から見た「自己決定」とか「主体性」は「強くある」ことがごく当たり前に前提されている。悪い言い方をすれば「弱い状態から強くなる」ことが期待される。何もボクは治療に後ろ向きでいいといいたいわけでもない。興味のある人はネットで岩立氏のインタビューやレビューを見てください(フーコーやイリイチも近いかな?脱構造?)。