bowbowのゆううつ~Returns

双極性障害Ⅱ型(躁うつ病)サバイバー&共生模索中のbowbowの日常。

一生懸命治そうとしないこと。

2011-09-21 15:31:47 | 双極性障害・躁うつ病

前に紹介した神田橋條治先生の講演録の同じところ。

「躁うつ病はそうではなくて、これは後で精神療法のときに大事になります が、もともと気分屋で、気分本位にふわふわ、ひょこひょこ、いろいろとするように生まれついている脳で、波がもともとある。それがある狭いところに閉じこめられると、もともとある波が大きくなってきて、生活に支障があるほどになると、病気ということになると考えると大体、病歴と合います。生活を狭める、注意を狭める、興味野を狭める。そうすると、もともとあった波が大きくなってきます。」

で、考えてみると、うつ病という診断を受けてから、ボクは一生懸命治そうとしてきたような気がする。

医者が認知行動療法をするといえば、それをきちんとやっていったし、カウンセラーが集団療法をやれといわれれば、それをきちんとやってきた。

でも、もし神田橋先生のいうような気分屋のふわふわした脳で、「ある狭いところに閉じ込められると、波が大きくなり、病気になる」のであれば、治療自体もボクがあんまりにも一生懸命治療参加することが逆に病気を悪くしたのではないかという思いがわき上がってきた。

「治療」や「病気」に生活を狭め、注意を狭め、興味野を狭めた生活を送ってきたともいえる。

そもそも、診断自体が「うつ病」という間違った診断であったわけで、精神療法でもカウンセリングでも、神田橋先生が双極性障害には禁忌とする「自省」を随分やってきた。確かにボクも含めて双極性障害の人間は自分を省みることが「苦手」なのかもしれない。少なくとも「自省」のあとに、精神療法にしてもカウンセリングにしてもよい方向へ進んではいない。むしろ心の揺れがいっそう大きくなった。

とすると、変な言い方ではあるが「一生懸命治そうとしないこと」が自分にとって大切な態度なのかもしれないと思った。

以前書いたように「日々を少しずつ重ねていくこと」も結局は「一生懸命治そうとしないこと」と近いのだろう。

   ○ネコぶろぐ:神田橋條治先生の講演


今日は遅起き。

2011-09-21 13:32:28 | 双極性障害・躁うつ病

台風のせいか、昨晩は寝る前の薬を飲んでからうまく入眠することができなかった。

仕方ないので、11時過ぎにヒルナミンの頓服をのんで寝た。

予想通りであるが、当然起きるのが遅くなった。

ヒルナミンの鎮静作用はいつもながら強力だと思う。だから加減が難しい。

前の医者で最初にレボトミン(ヒルナミン)を出されたときには、本当に日中動けなくなった。自分が廃人になった気分がした。もちろんすぐに変更を要求した。

いま考えると、確か大きな粒であったから、量が多すぎたためだと思う。

何にしても薬の調整は難しい。


自分は気分屋なのか?

2011-09-20 19:41:51 | 双極性障害・躁うつ病

神田橋先生の講演録でいうと双極性障害の人はもともと気分屋的な脳であるそうだ。

「躁うつ病はそうではなくて、これは後で精神療法のときに大事になります が、もともと気分屋で、気分本位にふわふわ、ひょこひょこ、いろいろとするように生まれついている脳で、波がもともとある。それがある狭いところに閉じこめられると、もともとある波が大きくなってきて、生活に支障があるほどになると、病気ということになると考えると大体、病歴と合います。生活を狭める、注意を狭める、興味野を狭める。そうすると、もともとあった波が大きくなってきます。」

気分屋であったかどうかは判らないが、自律神経失調気味の子供であった。

車に乗れば酔うし、たばこのにおいがすると気持ち悪くなるし、遊んでても突然しゃがみこむような子供であった。

それを「気分屋」と言われれば「気分屋」なのだが、育った家庭はがっちり生真面目(自虐的)な家だったから、自分を「気分屋」と思ったことはない。ただ、「中学、高校の時に好不調があった」のはど真ん中に当たっている。部活や習い事も途中で辞めたりしている。それは神田橋先生のいう通りではある。

自分の脳がもともと揺らぎやすい気分屋であるとして、問題なのは自分自身が病気になった段階や現段階でも「生真面目」であることだと思う。神田橋先生曰く「気分屋的に生きれば気分は安定する」のであれば、「生真面目」なのも「完全主義」なのも、自分のもともとの揺らぎやすい脳に無理をさせていたことになる。

「でも、気分屋的に生きるってどういうことだろ?」と思ってしまう。

とりあえず、仕事にしてもたぶん「手を抜く」程度にやっておかないと、たぶんまた同じことが起こってしまう気がする。

でも自虐的な自分は「手を抜く」ことに「罪悪感」を感じてしまうんだよなぁ。両親には悪いがそれはまさに生育環境だと思う。

たぶん自分には「気分屋的に生きる」ことと「ちゃらんぽらんさ」が必要なのだろう。

   ○ネコぶろぐ:神田橋條治先生の講演


足の重い散歩。

2011-09-19 18:27:59 | 日記

今日の散歩は足が重かった。

途中から「変だなぁ~」と思いながら「風が強いせいか?」と思っていた。

家に戻って気がついたのは、身体がフワフワしてるのと、頭が重いことだった。

なんのことはない、いつもの台風・低気圧の自律神経失調現象であった。

嗚呼、台風シーズンなのね・・・。