江戸時代に伊能忠敬(1745~1818)が作成した日本地図「大日本沿海輿地(よち)全図」
の巨大複写図を展示する 「伊能図フロア展えひめ」 が伊予市民体育館で行われた。
実は、自称Hの得意科目は地理であり、地図フェチなのだ。
現存する模写図を基に縦60メートル、横30メートルのウレタンマット製地図
の上を直接歩ける四国初の展示会だと開くと行かない訳には行かない、どっちやねん!?
やはり来場者の多くは松山市付近に集中! なかなか精巧に描かれている事に驚いた!
国外に持ち出した伊能図の写本は、日本に開国を迫った際にかの黒船ペリーも持参していた。
ペリーはそれを単なる見取図だと思っていたそうだが、日本の海岸線を測量してみた結果、
きちんと測量した地図だと知り、私と同様に驚愕したと言われる。
緯度1度に相当する子午線弧長が、およそ28里2分(110.7km程度)に相当する
事とした忠敬の数値は、現在計測されている数値と0.1%程度の誤差でしかないとされている。
佐田岬と八幡浜 松山市周
+
高知市周辺 大江戸
そもそも伊能忠敬とこのブログのタイトルとはピッタリだ!
寛政12年(1800年)、56歳の時に商売を息子に譲り第一次測量の為全国を歩いて旅に出た。
幕府が伊能忠敬に全国の測量をさせると共に、薩摩藩の偵察の意味合いも重きにおいて派遣
させたとされるのは、奥の細道の著者:松尾芭蕉が伊達藩の偵察の命を受けたとするに等しい。
既に56歳だったのだ! 四国を歩いた時点では64歳だった!
四国の遍路の道のりは、八十八番札所を順番に歩いて 1,200キロメートルと云われる。
私は、去年偉そうに 結願 を果たしたが、40代で全工程を歩いてはいない!否歩けなかった!
日本の沿岸地図を作るという事が、国家事業だったからか・・・?
Never too late とは、まだ遅くはない ! という意味と同時に
決して諦めるな! 自分の夢を諦めるな!
今日は、伊能忠敬おじさんに夢と希望と明日の 勇気 を貰った。
忠敬はこの旗 ↑ を携帯しての測量ウォークだった。