私は、 天才談志 に憧れて学習院の落研に入った。
当時、落語界で四天王と称され時代の寵児だった。
五代目柳家小さんに入門、小三治と六代目を狙うが自から辞退
その後、落語協会を脱退して独自の家元を名乗った。
以来、小三治も六代目は継いではいない。
当時、柳家一門の家と学習院は目と鼻の先だった。
その為、わが落研の指導噺家は代々柳家のお弟子が勤めた。
私の時代は、柳家小団治(現在は顧問らしい)師匠
年2回の落語会の秋の部には、五代目小さん本人が出演
学生の素人高座に花を添えて頂いた。
当時、私が初めて談志の噺を真似た江戸落語の題目は、『六尺棒』
今でも当時のカセットテープが残っている・・・、聞けたものではない!
破天荒とか型破りと云われているが、この六尺棒を演じると
実は独特の理論とアイロニーたっぷりの芸風で繊細と斬新の共存を感じた。
語録を紹介すると、
①・・・ 「がんはそんなばかなやつじゃないと思うんだけどな。
俺が死ねば自分たち(がん細胞)も死んじゃうんだから」
②・・・ 「居眠りだけでなくその前に雑談などもあって切れた。
客と芸人の空間を理解してくれた裁判官に敬意を表したい」
(99年、居眠り客に怒り談志さんが落語を中断、
主催者に退場させられた客が訴えた損害賠償請求が棄却されて)