「蘇州探訪」その4
水郷蘇州市は古来、北京と杭州を結ぶ隋代(581- 618年)に造られた大運河 京杭大運河が通るなど、水運もよく利用されています。 河北から浙江へとつながる大運河完成は610年のことで、その総延長は2500キロメートルを越えるスケールの大きさです。
通済渠の工事には100万人の民衆が動員され、女性までも徴発されて突貫工事で完成しました。北部の太倉、常熟、張家港の長江沿いの地域には、水運を生かせる大規模工場が作られています。
運河による水運が生活に溶け込んでいることから、旧市街地及び周辺の水郷地帯を含めて、蘇州市は「東洋のヴェニス」と呼ばれています。 留園・寒山寺を訪れたあと、10人乗りくらいの船でその運河をおよそ20分くらい遊覧して昔ながらの水郷の風情と庶民の日常を垣間見ました。
船を降りるとそこには蘇州旧市街のひとつである山塘街があります。 白壁に黒屋根、疎水に架かる苔むした石橋。 山塘街は、蘇州旧市街でも昔ながらの水郷の風情が残る地区のひとつです。
山塘街の歴史は唐の宝暦年間(西暦885年)に遡ります。 日本では詩人として名高い白居易が蘇州の知事として赴任まもなく、虎丘に出かけた際、周囲の水路が埋まってしまい一帯の水利が不便になっている様を眼にしました。
白居易はすぐさま、商業街だったチャン門から虎丘にかけて山塘河を開鑿、灌漑と交通の便が大幅に改善され、一大遊行商業街として発展していきます。後に蘇州の人々は白居易に感謝の意を表し、山塘街を白公堤と呼んだほどです。
唐(618年- 907年)以降、山塘街は物資の集積する街となり、清(1636-1912年)の乾隆年間に描かれた「姑蘇繁華図巻」には「中華第一街」と称された繁栄の様が見てとれます。 多くの文人墨客にも愛され、曹雪斤は「紅楼夢」の中で山塘街を「俗世間で一、二を競う風流にして富貴な土地」と紹介しています。
乾隆皇帝は、1792年太后の70歳の祝いに北京の皇家庭園「颐和園」の北に山塘街を模して、蘇州街を建造しているほどです。
山塘街は七里山塘とも呼ばれ、距離にして3~4キロ。近年山塘街の東端から新民橋までは観光用に整備され、レストランやクラフトショップが軒を連ねています。
昔ながらの風情が残り、昔の栄華は忘れ去られたかのように、ひなびた建物や橋が残っています。歩いてみると、そこには庶民の暮らしがそのままあるのが解ります。河畔で遊ぶ子供たちを見ているとまるで遠い昔に戻ったような印象すら受けました。
**写真をクリックすると画面が大きくなり文字が読めます・中国独特のファーストフードメニューです。 (1元はおよそ15円 份=人分)
ところで1月25日は中国では旧暦のお正月“春節’にあたります。ガイドの李氏によれば今年は1月25日から2月1日までは正月休みとなるので期間中は中国旅行はお薦めできないとのことでした。
特に25日から27日までの3日間は一日中爆竹が鳴り止まず、都心のホテルでもうるさくて眠れないそうです。彼が必見と言っていた1月25日午後8時からの中国国内有名歌手勢ぞろいの歌謡番組は日本では衛星放送でも見ることは出来ませんでした。
今日もお立ち寄りいただき有難うございました。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋・加筆したものです。
蘇州市は「東洋のヴェニス」。
山塘街の歴史は唐の西暦885年に遡ります。
「姑蘇繁華図巻」には「中華第一街」。
1月25日は中国では旧暦のお正月“春節’。
ホントに中国らしい街を感じました。
しかし、中国は2500キロの運河とはスケールが
違いすぎる。
(28日まで義母の見舞いへ行ってきます。)
2500キロの運河を 各国の庶民の使役で掘削したところが また凄いところですよね。
何もかも スケールがでかいのも さすが大陸ですね。
「丼」