丼季報亭「8万時間の休息」

旅の記録や季節の便りそれに日々の思いを軽いトーンで綴ってみました。

254.♪♪鐘が鳴ります寒山寺 ♪

2009-01-25 09:13:47 | 旅の記録

              
「蘇州探訪」その3
 

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 蘇州で「留園」の次に訪れたのは1940年の日本映画『支那の夜』の挿入歌『蘇州夜曲』でも、登場する寺院です。 歌の三番の最後のフレーズが「涙ぐむよなおぼろの月に 鐘が鳴ります寒山寺」とあります。 それがこの日訪れた寒山寺です。

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 寒山寺>(かんざんじ、英語:Hanshan Temple)は、中国江蘇省蘇州市楓橋鎮に所在する臨済宗の仏教寺院です。蘇州の旧市街から西に約5km、蘇州駅南南西3kmにあり、寒山拾得の故事で名高い寺院でもあります。

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 楓橋路に面しており、唐代の詩人張継(ちょうけい)が詠んだ漢詩「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」の石碑があることで知られています。

詩碑
 寒山寺には、明代に「三絶」と呼ばれた蘇州の文人文徴明の筆になる「楓橋夜泊」の詩を刻んだ石碑があります。 明・清代の人びとはその拓本を購買しましたが、長い年月のため損耗してきたので清末の光緒年間に学者俞樾が彫りなおしたものです。

 境内には俞樾の翻刻碑があります。その他、境内のいたる処に詩碑があり、なかでも「寒山寺碑廊」には多くの拓本が並んでいます。

楓橋夜泊 この詩は都落ちした旅人が、蘇州西郊の楓江にかけられた楓橋の辺りで船中に泊まった際、旅愁のために眠れぬまま寒山寺の鐘の音を聞いたという様子を詠ったものです。

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月落烏啼霜満天、  月(つき)落(お)ち烏(からす)啼(な)きて霜(しも)天(てん)に満(み)つ
江楓漁火対愁眠。  江楓(こうふう)漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対(たい)す
姑蘇城外寒山寺、  姑蘇(こそ)城外(じょうがい)の寒山寺(かんざんじ) 
夜半鐘聲到客船。
  夜半(やはん)の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到(いた)る

(楓橋夜泊詩の意味)
月は西に落ちて闇のなかにカラスの鳴く声が聞こえ、厳しい霜の気配は天いっぱいに満ちている。

運河沿いに繁る楓と点々と灯る川のいさり火の光が、旅の愁いの浅い眠りにチラチラかすめる。

そのとき姑蘇の町はずれの寒山寺から、夜半を知らせる鐘の音が、私の乗る船にまで聞こえてきた。

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 日本でよく読まれた漢詩の選集には『唐詩選』と『三体詩』がありましたが、「楓橋夜泊」はその両方に収載される数少ない詩のひとつであったことから、中国人はもとより、日本人にも古くから馴染み深い詩となっています。この詩がひろく人びとから愛好されるようになってから、歴代の詩人が次々に寒山寺を訪れて続作を詩に詠んでいるほどなのだそうです。

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 寒山寺は、南北朝時代の梁(南朝)の天監年間(502年 - 519年)、武帝の時代に「妙利普院塔院」として創建されたといいます。寒山寺という現在の寺名は、唐代の貞観年間(627年 - 649年)に風狂の人寒山がこの地で草庵を結んだという伝承にちなむのだとか。

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 襄陽出身の張継が、有名な「楓橋夜泊」を詠んだのは8世紀中頃のことだそうです。伽藍の創建は8世紀から9世紀にかけてのことであり、石頭希遷によると伝えられています。

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 全盛期の寒山寺の面積は広大で、巷間で「馬に乗って山門を見る」と言われるほどであったのだとか。当時、北方から訪れた旅行者の多くは、まず寒山寺を参詣してから蘇州の市街に入ったそうです。

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 宋の太平興国初年(976年ころ)には、節度使の孫承祐によって7層の仏塔が建てられました。嘉祐年間(1056年 - 1063年)には「普明禅院」と名を改め、紹興4年(1134年)に僧法選によって再建されました。

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 現在の寒山寺は、清末の光緒32年(1906年)に程徳全が再建したものであり、それぞれの建物はいずれも比較的新しいものです。

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 西の黄色い照壁が境内への入口となっており、中央に大雄宝殿、周囲に鐘楼、鐘房、羅漢堂、碑廊を配しています。 東側に寒拾殿、東端には普明宝塔があり、東西にやや細長い境内配置となっています。

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 中華人民共和国成立後、2度にわたって大改修がおこなわれました。 1982年には江蘇省人民政府により「江蘇省文物保護単位」に布告されました。1986年には新しい鐘が寄贈され、2005年には重量108トンの大鐘が設けられたのだとか。

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インドから渡ってきた仏教は中国から朝鮮半島を経てわが国に伝来しました。

中国仏教の発祥の地ともいうべき寺院がそこにはあったのです。

今日もお立ち寄りいただき 有難うございます。

注)ブログ記事のうち寒山寺の詳細はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋・加筆したものです。


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5 コメント

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寒山寺 (あこ)
2009-01-25 10:12:14
「涙ぐむよなおぼろの月に 鐘が鳴ります寒山寺」。
臨済宗。
「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」の石碑。
都落ちの旅人が楓橋の辺りで船泊中、
眠れぬまま寒山寺の鐘音を聞いた詠。

梁(南朝)の天監年間502年-519年、武帝の時代。
妙利普院塔院として創建。
現在の寒山寺は清末の1906年に程徳全が再建。

中国仏教の発祥の地ともいうべき寺院を見学して
頂いてありがとうございます。
そのお陰で私も寒山寺を知りました。
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わが国の仏教伝来の原点 ()
2009-01-25 19:54:37
仏教伝来の原点

わが国の仏教伝来の原点である鑑真和上は 742年、日本から唐に渡った僧栄叡、普照らから戒律を日本へ伝えるよう懇請されました。

栄叡と普照は、授戒できる僧10人を招請するため渡唐し、戒律の僧として高名だった鑑真のもとを訪れたのです。 誰も渡日を希望する者がいなかったので鑑真自ら渡日することを決意し、それを聞いた弟子21人も随行することとなりました。

その後、日本への渡海を5回にわたり試み,ことごとく失敗しました。

 751年、鑑真は揚州に戻るため海南島を離れ、その途上、端州の地で栄叡が死去します。動揺した鑑真は広州から天竺へ向かおうとしたが、周囲に慰留されたのです。

 この揚州までの帰上の間、鑑真は南方の気候や激しい疲労などにより、両眼を失明してしまうのです。(完全に失明していなかったとする説もある)。

 752年、必ず渡日を果たす決意をした鑑真のもとに訪れた遣唐使藤原清河らに渡日を約束しました。

 しかし、当時の玄宗皇帝が鑑真の才能を惜しんで渡日を許さなかったのです。そのために753年に遣唐使が帰日する際、遣唐大使の藤原清河は鑑真の同乗を拒否。それを聞いた副使の大伴古麻呂はひそかに鑑真を乗船させました。

 11月17日に遣唐使船が出航ほどなくして暴風が襲い、清河の大使船は南方まで漂流したものの、古麻呂の副使船は持ちこたえ、12月20日に薩摩坊津に無事到着し、実に10年の歳月を経て仏舎利を携えた鑑真は宿願の渡日を果たすことができたのです。

 日本での戒律の確立
 唐招提寺754年(天平勝宝6)1月、鑑真は平城京に到着し、聖武上皇以下の歓待を受け、孝謙天皇の勅により戒壇の設立と授戒について全面的に一任され、東大寺に住することとなりました。

 754年4月、鑑真は東大寺大仏殿に戒壇を築き、上皇から僧尼まで400名に菩薩戒を授けた。

 菩薩戒を授けた・・・754年 日本に 正式に仏教が伝わったと言える瞬間です。


 仏教では、新たに僧尼となる者は、戒律を遵守することを誓う必要がある。戒律のうち自分で自分に誓うものを「戒」といい、僧尼の間で誓い合うものを「律」という。律を誓うには、10人以上の正式の僧尼の前で儀式(これが授戒である)を行う必要がある。これら戒律は仏教の中でも最も重要な事項の一つとされているが、日本では仏教が伝来した当初は自分で自分に授戒する自誓授戒が行われるなど、授戒の重要性が長らく認識されていなかった。しかし、奈良時代に入ると、戒律の重要性が徐々に認識され始め、授戒の制度を整備する必要性が高まっていた。栄叡と普照は、授戒できる僧10人を招請するため渡唐し、戒律の僧として高名だった鑑真のもとを訪れた。

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月落ち烏 啼いて… (お茶碗アトム)
2014-02-07 12:23:11
月落ち烏啼いてではなく、月 烏啼(うてい)に落ちて…と読むのが正しいと言う説も有ります。蘇州の近くに烏啼山と言う山があるそうですよ。
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寒山寺の鐘… (お茶碗アトム)
2014-02-07 12:32:03
もうひとつ聞いた話ですが、寒山寺には、明治時代に伊藤博文が発起人になり、梵鐘を寄贈したと言うのですが…これって現存しているのでしょうか…。

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寒山寺の鐘… ()
2014-04-28 08:32:26
お茶碗アトムさん

コメントありがとうございます。 

確かにこれも諸説あるのですね。

梵鐘はありましたが 伊藤博文が発起人になり、寄贈されたものかどうかの説明はありませんでした。

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