「バンコクを訪ねて」三日目は首都バンコクの寺院・王宮と日本人町遺跡探訪です。
■12月16日(日) 朝 大きな川の船着場から この日はスタートです。
■ワット・アルン:
三島由紀夫の小説・豊饒の海第3巻「暁の寺」のモチーフにもなった壮大な寺院。陶器の破片に覆われた高さ79mの大仏塔が朝日を浴びきらきらと輝く様や、夕日を背に浮かび上がるシルエットにも趣があるんだそうです。
ワット・アルンへは川を渡し舟で向かいます。
■王 宮:
白壁に囲まれた20万m2の敷地内には、歴代の王により建立されたきらびやかな宮殿群が建ち並びます。当時の芸術の粋を尽くして建造された建物や調度品には、金や宝石が散りばめられ、権力と財力の象徴であったことがわかります。
■エメラルド寺院
ワット・プラ・ケオ(エメラルド寺院)開館時間/8:00~15:30 タイで最高の地位と格式を誇る仏教寺院であり、王室の守護寺。王室専用であり、タイで唯一僧侶のいない寺院です。ヒンドウー教の神話をアレンジしたラーマキエン物語の描かれた本堂【下・右手】には、高さ66cmの翡翠でできた本尊が安置されています。
ここの本尊は「乾期」「暑期」「雨季」それぞれ季節に合わせてお色直しします。
■王 宮
現在は、国家的儀式や祭典の場、迎賓館として利用されています。
国営ですから出入り口には軍が警備に当たっています。タイは徴兵制ではなく、抽選で当たると軍に入隊するのだそうです。
■アユタヤ日本人町跡
17世紀には日本と御朱印船貿易により、1500人が住む日本人町も形成され、山田長政が傭兵隊長として名を馳せました。
山田 長政(やまだ ながまさ、天正18年(1590年)頃 - 寛永7年(1630年))は、江戸時代前期にシャム(現在のタイ)の日本人町を中心に東南アジアで活躍した人物です。
アユタヤ王朝の国王・ソンタムの信任を得て、重用されたが、ソンタム王の死後、政争に巻き込まれ、1630年、パタニ軍との戦闘中に長政は脚を負傷し、傷口に毒入りの膏薬を塗られて死亡した。
国王・ソンタムの死後、知事は王の息子が引き継いだが、内部対立があり同じ日本人傭兵によって殺された。
山田長政の死と同じ年に、後継者は「日本人は反乱の可能性がある」とし、シャイフ・アフマドら率いるアラビア人、タイ族、華僑の組織する兵によってアユタヤ日本人町は焼き打ちされ消滅してしまいます。
出典『ウィキペディア』「山田長政」URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E9%95%B7%E6%94%BF
その後 三代将軍徳川家光の鎖国令によりタイと日本の国交は遮断します。 日本は200年に及ぶあの愚かな鎖国時代に突入していったのです。
アユタヤ日本人町跡は「アユタヤ歴史研究センター」別館と「泰日協会」の運営する建物で構成されています。
■夕食は古典舞踊Standard Dinner Show
3日目の夕食は古典舞踊を見ながらタイ料理で夕食です。
Standard Dinner Showでのタイの舞踊の特徴は、感情を直接でなく、繊細な美しい指の動きとしなやかな身のこなしで表現し、木琴や笛、太鼓などタイ独特の楽器で編成された楽団の演奏を伴奏にして踊ることです。
タイ料理を食べながらタイの伝統舞踊を鑑賞できる。「ラーマキエン」の物語や地方の民族舞踊が中央の舞台で演じられる。掘りごたつ風のテーブルで料理を味わいながら、笛や太鼓を使った古典音楽を耳にすると、タイの旧い文化・食を堪能できます。
「冬」乾期の12月、バンコクは割合涼しく、観光客も比較的少なく、日中少し暑い感じでも朝、夕方はわりあい涼しい日が多いので この国を訪れるにはお薦めの時期です。
--- 了
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◆4Travel. 「Donkyさんの旅のブログ」」(2013年6月投稿開始)は
URL:http://4travel.jp/traveler/donky2013/
なお 「いにしえの浪漫を求めてバンコクへ」
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なお 「いにしえの浪漫を求めてバンコクへ」
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