**** 晩秋道南探訪(6)****
今回の旅のスタート地点である函館は開港150年を迎えました。
旅の2番目の目的地である登別温泉も開湯150年を迎えています。
登別の名称と150年の言葉の響きに とても歴史の重みを感じます。
◆登別温泉で見た近江商人の功績
登別温泉は 大昔はアイヌの人々が温泉を薬湯として重宝していたといわれています。江戸時代には、最上徳内が『蝦夷草紙』でその存在を記し、弘化2年(1845年)に松浦武四郎が訪れ、温泉の魅力を綴っています。
しかし山中の秘湯であり、まともな道らしい道は無かったといわれていました。
ところが、ここでも硫黄の採掘に来ていた近江商人が道路を作った歴史が残っていました。 近江商人の行動範囲の広さを北の大地でまたまた垣間見ることになりました。
近江商人は、買い手よし、売り手よし、世間よし、という三方よしの理念を商売の姥本基本とし、自ら利益のみを追求することなく、社会事業に大きく寄与しました。 つい先日琵琶湖周遊時に学んだ近江商人のその勤勉で潔癖な倫理観が登別でも幕末の道路開削事業で実践されていたのです。
安政4年(1857年)に近江商人岡田半兵衛が道路を開削しました。 硫黄の採掘に来ていた幌別場所請負人の岡田半兵衛は 温泉へ行くことができる新しい道と湯治のための小屋を建て、温泉地としての設備が整い始めました。
安政5年(1858年)には滝本金蔵が温泉宿(今の第一滝本館)を建て、現在の道筋となる新たに道を整備しました。1858年 当時、妻の佐多がひどい皮膚病にかかっていたため、登別温泉の噂を聞いた滝本金蔵が佐多をつれて温泉に入ったところ、佐多の皮膚病をすっかり治すことができたそうです。
これをきっかけに、滝本金蔵は登別温泉の良さをたくさんの人に広めるため、温泉の本格的な開発に取り組み始めます。温泉を利用しやすくするために新しい道路を作ったり、簡単な小屋だった宿を二階建ての立派なものにしたり、温泉地としての整備を進めていきました。
やがて登別温泉は、日露戦争の傷病兵の保養地に指定され、急速に全国に知られるようになったそうです。
1911年(明治44年)頃には旅館数軒を中心に50戸ほどがまとまり、馬車が通じていました。大正初めから昭和の初めまでは、登別温泉軌道という馬車鉄道~路面電車も敷設されていました。
2004年、登別温泉地獄谷が北海道遺産に選定され、2008年には開湯150年を迎えました。
2日目の宿である、ホテルゆもと登別も 自慢のお風呂は、100%源泉掛け流し。効能・泉質の異なる3種類の源泉と1種類の混合泉を引き入れた浴槽では、それぞれの効能をじっくりと味わえるものでした。
◆登別地獄谷と中国からの観光客
3日目朝ホテルのすぐそばにある地獄谷を訪れると台湾からの旅行客と出会いました。 韓国からの観光客が激減し中国・台湾からの観光客が各地に大挙して来日していました。 最近はどこの観光地も東南アジアからの観光客に出会います。
旅を楽しむ台湾からの旅行客の一団
この旅で出会った中国人一行は皆明るく元気に北の大地の観光を楽しんでいました。広東語で「歓迎光臨」(Howan-in Ko-rin)と声をかけると、ガイドと思しき女性がたどたどしい日本語で「こんにちは」と応えてくれました。
写真は、地獄谷展望台の真正面の剣ヶ峰と呼ばれる火口壁で、鋸の歯を逆立てたような赭岩(しゃがん)の絶壁がそそり立っています。
地獄谷の地表には、小さな爆裂火口や噴気孔や湧出口があり、ガスと高温の温泉を湧出しています。
これらの変動は一つの爆裂火口内での泉源の活動であるので、心配がないといわれています。 地獄谷には鉛地獄・鉄砲地獄など、15の地獄があります。
地獄谷を拠点として遊歩道が整備されていますので、地獄谷の中の鉄泉池や近くの大湯沼、奥の湯などを周遊し、大湯沼川では天然の足湯に浸かり森林浴を体験できます。
旅も3日目午前9時 最後の目的地である札幌へ向かって出発しました。
To be Continued
そういえば 11月19日水曜日 一日中取材に歩く予定の横浜港も 来年開港150年を迎えます。
注)上記の記事のうち景勝地の詳細はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』および地獄谷紹介公式サイトから抜粋・加筆したものです。
時々買って、使っていました。
何だか、登別温泉が急に身近になって来ました。
NHK大河ドラマで”近江商人”なんてどうでしょう?
”近江商人”は地味で堅実な日々の積み重ねですから
目立たず 確実に生きる様はドラマとしてはどうでしょう?
NHKでいうと大河ドラマというよりも 朝の連ドラ
向きなのかも・・・・。
「丼」
垣間見ることができました。
妻の佐多さんの皮膚病完治が登別温泉を有名に
していきましたね。
そして日露戦争の傷病兵の保養地になっていった。
ドン・キホーテさんは英語はもちろん、広東語、韓国語も通ですね。
ドン・キホーテさん、記事投稿200回の大台を
お祝い申し上げます。
記事投稿200回は あこさんはじめモンブランさんや皆様のご支援のおかげです。
いつもコメントいただき有難うございます。
感謝しています。読者の反応が一番励みになります。
それにしても 日本語も満足に使いこなせないくせに韓国語や広東語やタガログ語に手を出すなんて なんて男だ 丼爺は・・・。
「丼」