****晩秋道南探訪(5)****
「長万部」で昼食を摂った後「大沼」の次は「洞爺湖・昭和新山・有珠山」の順に 北海道を代表する景勝地に立ち寄りました。
目的地である「登別温泉」への途上 午後2時半過ぎに「洞爺湖」に到着しました。 ここでもこれぞ北海道の醍醐味を 少しだけ味わえます。
◆洞爺湖
洞爺湖は北海道南西部に位置し、洞爺カルデラ内にできた湖です。 面積は日本で9番目、カルデラ湖としては屈斜路湖、支笏湖に次いで3番目の大きさで、東西約11km、南北約9kmのほぼ円形の湖です。
アイヌの人々は洞爺湖のことを「キムン・トー」(山の湖)と呼んでいましたが、湖の岸を意味する言葉「トー・ヤ」が和人により湖名とされました。地元では「どうや」と呼ばれることもあるそうです。湖の中には中島、観音島、弁天島、饅頭島などの島があります。
◆昭和新山
続いて立ち寄った昭和新山は、北海道有珠郡壮瞥町にある火山で、支笏洞爺国立公園に含まれています。現在も噴気活動が見られます。 標高398mで、温度低下と浸食などによって年々縮んでいるのだそうです。
有珠山の側火山であり、デイサイト質の粘性の高い溶岩により溶岩円頂丘が形成されています。1943年12月から1945年9月までの2年間に17回の活発な火山活動を見せた溶岩ドームです。1951年国指定特別天然記念物に指定されています。
地元の郵便局長、三松正夫氏は、世界的にも貴重な火山の徹底的な保護と、家と農場を失った住民の生活支援のために、5人の住民から山になってしまった土地の買い取りを行いました。
このため昭和新山は三松家の私有地であり、ニュージーランドのホワイト島等と同じく、世界でも珍しい私有地内にある火山です。1957年には特別天然記念物に指定されました。ゆえに自由度の低い個人資産?です。
◆有珠山
この日最後の訪問地はいまだ噴煙を漂わせている有珠山です。 有珠山は、北海道・洞爺湖の南に位置する標高737mの活火山です。山頂へはロープウエイで上がりました。
有珠山は過去100年間に4度の噴火活動が観測された、日本でも特に活発な活火山のひとつです。 二重式火山で、直径約1.8kmの外輪山の中に大有珠(737m)、小有珠などの溶岩円頂丘(溶岩ドーム)や、オガリ山、有珠新山(669m)などの潜在円頂丘(潜在ドーム)が形成されています。
有珠山から見る夕陽 日没15分前頃
また山麓にも溶岩円頂丘の昭和新山や、潜在円頂丘の金比羅山、四十三山(明治新山)などを有しています。1663年以降の活動は地殻変動や群発地震を発生し、噴火に伴って溶岩ドームや潜在ドームによる新山を形成するのが特徴です。
有珠山から見る夕刻の月
To be Continued
注)ブログ記事のうち景勝地の詳細はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋・加筆したものです。
官庁がしなことを、私財から地元の郵便局長、三松正夫氏は買い取って下さったのですね。
そういう人こそ、中央政府の官僚になって欲しい。
有珠山から見る夕刻の月の写真は、白い月と夕闇で暗くなった樹木の色調が素敵な色会い生きています。
昭和新山は、1943年12月から1945年9月までの2年間に17回の活発な火山活動を見せた溶岩ドームである。
当時は太平洋戦争中であったこともあり、世間の動揺を抑えるために噴火の事実は伏せられ、公的な観測すら行うことができなかった。
地元の郵便局長、三松正夫は、その成長の詳細な観察記録を作製した。これは後年、ミマツダイヤグラムと名付けられ、貴重な資料となった。
また、三松は世界的にも貴重な火山の徹底的な保護と、家と農場を失った住民の生活の支援のために、住民から山になってしまった土地の買い取りを行った。
このため昭和新山は三松家の私有地であり、ニュージーランドのホワイト島等と同じく、世界でも珍しい私有地内にある火山である。1957年には特別天然記念物に指定された。
なお、現在、昭和新山の山麓には、三松正夫記念館が建っている。三松正夫による観測記録などの資料類が展示されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この後、ストーンと釣瓶落としのように
夕闇になりましたか?
日没のため4時半には有珠山から 下山していましたが麓の辺りは薄暗く この後の写真は みな真っ暗でした。
最後に熊を背景に撮った昭和新山の写真は熊にフラッシュを当てても この程度になってしまいました。
「丼」