市をあげて千本桜まつりで盛り上がっていた信州上田。
4月18日「上田城千本桜まつり」はそのピークに達していました。
初夏を思わせる陽気の中を市民ボランティアの活気が溢れ 照りつける陽を反射して参加スタッフの汗は輝いていました。
平城の形式で、城の下を千曲川が流れていたため「尼が淵城」とも呼ばれていました。 上田城は二度の実戦経験を持つ戦歴ある名城です。
天正13年(1585)、徳川家康率いる八千の軍勢を真田勢わずか二千余りで迎え撃ち、奇襲作戦で討ち破りました。 二度目は、慶長5年(1600)関ヶ原へ向かう徳川秀忠軍を足止めし、そのため秀忠軍が天下分け目の関ヶ原の合戦に間に合わなかったことでも知られています。
関ヶ原の合戦では真田家は、親子が分かれて東西両軍に参加しました。
昌幸の次男、幸村は大坂冬・夏の陣で徳川軍に命がけで挑み苦汁をなめさせたことによって「真田、日本一の兵(つわもの)」といわれました。
その後、徳川軍に味方した長男、信之は松代藩(現・長野市松代)の藩主となり、上田を後にしています。 移封先に持っていくにも不動で移転できなかった直径3メートルの大石が東虎口櫓門に今も残っています。
真田氏の後には、仙石氏が上田城の城主となり、城下町づくりと北国街道の宿場町としての整備に力を入れ、現在の街の基本を作りました。
江戸時代は善光寺信仰が全国に広まり、上田も北国街道を通る参拝者で賑わいをみせました。仙石氏の後には、松平氏が城主となり、明治まで上田の産業と文化振興に貢献しました。
現在は史跡公園となり、春にはしだれ桜に始まり、続いてソメイヨシノが一斉に咲き誇り、見る人を魅了する上田の千本桜として知られています。
園内には「日露戦争に行った軍人が凱旋記念に持ち帰って植えた」 と言われている◆ロトウザクラ(魯桃桜)。
花は桜より密集して咲く◆ヒガンザクラ(彼岸桜)別名「小彼岸桜」
花期が早く、関東地方で彼岸のころには咲く◆エドヒガン(江戸彼岸)
本州・四国・九州に分布する野生種。
エドヒガンから作られた園芸品種で、細い枝が垂れ下がる◆シダレザクラ(枝垂桜)。 垂れ下がる以外はエドヒガンと変わりません。
エドヒガン(江戸彼岸)とオオシマザクラ(大島桜)を交配して作られたものと考えられており、江戸末期に江戸染井村(現在の東京都豊島区)の植木屋から「吉野桜」として売り出されたご存知◆ソメイヨシノ(染井吉野)。はもちろんのこと。
古来より親しまれてきた代表的な野生の桜で、日本の南半分に広く分布している◆ヤマザクラ(山桜)。 ソメイヨシノの登場前は、サクラといえばヤマザクラのことを指していました。
そして花の色がウコンの根茎で染めた色に似ていることから、この名前が付いた◆ウコンザクラ(鬱金桜)。 などなど さながら桜のデパートですね。 さすが自称世界一です。
この白い ウコンザクラは 例年開花期は4月下旬とのこと。 この日はもう満開状態でした。
上田城跡公園では、市立博物館の南側に一本あり、他の桜が終わる頃に見頃を迎えます。 ところがこれが今年は4月14日に開花。きわめて早い開花時期といえます。
それゆえ そのほかの品種は すでにピークを超え
散ってしまったものが多かったようですが・・。
全ての品種の鑑賞は出来ませんでした。 それでも 熱気と活気の中を充分楽しめるスタートでした。
次回も引き続き 園内の熱気と活気をお伝えします。
今日も お立ち寄りいただき 有難うございました。
注)ブログ記事のうち上田城の詳細は上田市役所公式サイトから抜粋・加筆したものです。
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