紫陽花を見ているとNHK大河ドラマ「花神」に出てきた浅丘ルリ子演じるオランダおイネを思い浮かべることがあります。(昭和52年 1月~ 12月放送 原作-司馬遼太郎 中村梅之助主演 )
オランダおイネとは日本の女医第1号として紹介されているシーボルトの娘イネ(楠本伊篤)のことです。シーボルトの娘・イネは、多くの成書には日本の女医第1号として紹介されているそうです。
イネより前に幾人かの女医が存在しているようですが、西洋医としては最初の女医といえます。イネの父親であるシーボルトは、かつてアジサイに魅せられ、その苗を西洋に持ち帰り、広めた人物としても知られています。
シーボルトは1823年27才の時、来日。それから1829年までの約6年間、日本に滞在しました。医学はもちろん動物学、植物学、地理学、民俗学にも精通し、奉行所の許可を得て、長崎・鳴滝に「鳴滝塾」を開きました。
そこで、全国から集まった塾生に西洋医学を教える一方、彼らの力を借りて密かに日本の植物や風景、風俗、習慣などあらゆる分野の調査を行いました。 いよいよ帰国という時、国外持ち出し禁止の日本地図や葵ご紋入りの紋服など多くの禁制品が発覚。
有名なシーボルト事件が起き、シーボルトも、1年以上調べられて彼は国外追放となったのでした。 長崎を去ったとき、シーボルトと出島に出入りする遊女「お瀧さん」との間に生まれた娘のイネはまだ3歳でした。
シーボルトは、阿波出身の高良斎(こうりょうさい)と阿波出身の二宮敬作に、瀧とイネのことを頼んで日本を去ります。 お瀧さんに育てられたイネは12歳のとき女医の路を選択。 宇和島の二宮敬作のもとで、医者になりたいことを告げます。
わずか12歳の女の子が女医になることを決意したのです。 イネの母親お瀧さんも只者ではない女性と言えます。
宇和島の二宮敬作は備前(岡山)で産科を開業していたシーボルト時代の友人石井宗賢のもとに、おイネを派遣します。 19歳であったおイネは産科学を学び、その過程で石井宗賢の子も出産しますが、やがて長崎に帰ってしまいます。 そして、長崎で産科を開業していました。
二宮敬作は長崎に行き、宗賢との件を知り、怒り 再び宇和島にイネを招き、その地で開業させました。当時宇和島には、長州藩の医者「村田蔵六」が、長州を逃れて滞在していて、秀でていた洋学の軍事学を教えていました。 村田蔵六は、おイネにオランダ語を教授しています。 大河ドラマ「花神」では ここでおイネも登場します。
後にシーボルトは、安政6年(1859)7月6日、30年振りに長崎に再来日し 瀧、娘のおイネ、そして二宮敬作とも感激の再会をしました。 3歳であった、おイネも33歳の立派な産科医に成長していたのです。
幕末から明治にかけては 多くの女性が 活躍していますが、 苦難を乗越えイネの歩んだ路も日本の医学の歴史に残る画期的なものであったといえます。
紫陽花がもとで とんだ寄り道をしましたが その頃私は 浅丘ルリ子さんの大ファンだったのでしょうか?
主人公の大村益次郎(村田蔵六)よりも おイネのことが気になったようですね。
昭和52年(1977年) つい先日のように思っていたのに今から32年も前のことです。
今日も お立ち寄りいただき 有難うございました。
注)ブログ記事のうちおイネおよびシーボルトの詳細は福岡の木村専太郎クリニック院長WEBサイト「郷土の医傑たち」を参考にしたものです。