丼季報亭「8万時間の休息」

旅の記録や季節の便りそれに日々の思いを軽いトーンで綴ってみました。

101.「天璋院篤子」の生涯

2008-07-14 09:42:52 | テレビ番組

                    101.「天璋院篤子」の生涯

 
好評NHK大河ドラマ「篤姫」のストーリーは急展開している。 安政5年7月6日(1858年8月14日)に将軍・家定が急死し、また同月16日(8月24日)には斉彬までもが亡くなってしまう。わずか十日間のうちに夫と養父が一瞬でこの世から消えていった。

 多彩な脇役陣も方々のブログで話題となっている。堺雅人演じる
徳川13代将軍家定が、言いようの無い存在感を出していた。収録開始直後は、家定の描きように「ここまでやってしまうと徳川家の子孫の方に怒られないかな」と若干憂慮していたのだとか。

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 脚本家や演出の方針どおり「将軍としての圧倒的な育ちのよさをみせてほしいとのリクエストもあって、どうしたものか」と頭を抱えもしたらしい、堺なりの家定像を作り上げてきたようだ。うつけ将軍ぶりを演じながら正気に戻ったときの演技が光る。キャスティング上は 予想外の当たりか

 家定の死により わずか22歳で未亡人となった篤子は落飾し、以後「天璋院」と名乗る。 篤子の結婚生活はわずか1年9ヶ月であったという。これ以降 歴史に名を残す「天璋院篤子」としての日々が始まっていくのである。

 折も折 大阪の古文書収集家によって 篤姫の直筆とみられる短冊が発見されたことが報じられている。
古文書に詳しい愛知文教大副学長の増田孝教授が現物を確認したところ「筆跡や書かれた年代から間違いなく篤姫直筆の短冊」と鑑定した。7月12日産経新聞より

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 発見された短冊には
「年をへし池の岩ほの亀も猶 うこかぬ御世に契りてやすむ」と記されている。「結婚して年月を経ても平和な世の中で過ごしたい」と幕府政治が弱体化する時代状況のなかで、徳川家の嫁として平和な世を願う将軍家への結婚前の決意が詠まれている。

 篤姫が将軍の正室となる直前の時期の和歌とみられるが、平和な世の中を願う思いが詠まれている。
「篤子」の教養と品格のようなものが良く分かる。 嫁ぐ一ヶ月前の若い娘にしては今の時代と比較の仕様も無い。このとき彼女は二十歳であるが 才女の片鱗をのぞかせる。


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 家定後継の14代将軍には、紀州藩主・家茂が就任することとなる。その後幕府は公武合体政策を進め、文久2年(1862年)には朝廷から家茂正室として皇女・和宮が大奥へ入ることになる。 薩摩藩は天璋院の薩摩帰国を申し出るが、天璋院自身は拒否して江戸で暮らすことを選ぶ。

 
慶応3年(1867年)に慶喜が大政奉還を行い、江戸城の無血開城に至る際には篤子は島津家に、和宮は朝廷に嘆願して、徳川家救済や慶喜の助命に尽力した。 明治期に入ると篤子は徳川家からの援助で暮らし、晩年は田安亀之助こと徳川宗家16代・家達の養育に心を砕いていくそうである。


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 明治16年(1883年)に東京の千駄ヶ谷徳川宗家邸で死去、享年48歳。 自分の所持金を切り詰めてでも元大奥の者の就職や縁組に奔走していたため、死に際してその所持金はたった3円(現代の6万円)しかなかったという。

 没後東京都台東区上野の寛永寺に夫・家定の墓と並べて埋葬されている。 戒名は天璋院殿敬順貞静大姉(1835~1883) 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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 篤姫の生き様に畏敬の念を覚えるとともに 心からの拍手喝采を送りたい。

何よりも薩摩藩主島津斉彬の「おかつ」(於一のちの篤姫)を選んだ慧眼には恐れ入る。
幕末の動乱期に、従兄である斉彬の養女になったときから 彼女の運命は大きく変わっていったのである。


もうひとつのブログ
◆丼季報亭の「丼季報亭の四方山話」(2002年9月投稿開始)は 
http://kj2k3.at.webry.info/
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URL:http://4travel.jp/traveler/donky2013/

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2 コメント

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篤姫 (あこ)
2008-07-14 13:10:24
歴史物語ありがとうございます。
幕末は新撰組、幕府が薩摩長州の兵と争うだけ
の時代ではなく、女性も活躍されていたことに
改めて知りました。
学校の教育は点数を取るためのもので、面白み
などないことが良く分りました。
返信する
いつもコメントいただき 感謝申し上げます。 ()
2008-07-15 21:10:58
あこさん

いつもブログお立ち寄り有難うございます。
いつもコメントいただき 感謝申し上げます。

私はこの時代が大好きです。
  
「丼」
返信する

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