丼季報亭「8万時間の休息」

旅の記録や季節の便りそれに日々の思いを軽いトーンで綴ってみました。

574.  冬が到来し、山は雪をかぶり、平地にも雪が降るころ

2021-12-06 17:29:36 | 季節の便り

早いものであれからもう10日が過ぎましたが、11月27日 ヤクルトが20年ぶりの日本一に輝きました。

今年の日本シリーズは前年最下位同志という珍しい組合わせ。野球のゲームとしては面白い6試合でした。
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両者の実力は実に拮抗しており、毎試合終わるまで先が見えない接戦を繰り広げました。中身が濃く、引き込まれる試合が多く高く評価できるシリーズでもありました。敗れたオリックスは、1996年以来となる頂点の座にあと一歩届かなかったのは残念? 13年ぶりにパ・リーグに勝ったセ・リーグ、他の何よりも私にとってこれは一番大きいと思います。玄人筋は「最強ソフトバンクとその他の11球団」の構図が壊れたことに意味があると言っています。
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11月29日 新横綱で優勝した秋場所後、白鵬(現・間垣親方)の引退により、一人横綱となった照ノ富士。九州場所は初日から安定感のある取り口で連勝し、14日目にただ一人1敗で追っていた平幕・阿炎との直接対決を制して優勝を決めました。千秋楽には大関・貴景勝も退け快勝。
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新横綱の場所から2場所続けての優勝は、1961年九州場所、62年初場所を制した大鵬以来、約60年ぶりの快挙。「今までできなかったことができてうれしいです」と初の全勝優勝を決めた照ノ富士。(横審)矢野弘典委員長記者会見で、2場所連続となる優勝を全勝で飾った横綱・照ノ富士について「素晴らしい結果。強さと品格を備えて、引っ張っていってほしい」と称えました。

熱戦が繰り広げられた野球と相撲も終わり来春までオフに入ります。12月7日 20年ぶり6度目の日本一に導いた高津臣吾監督が「正力松太郎賞」を初めて受賞しました。五輪で金メダルを獲得した稲葉篤紀監督と、MLBア・リーグ最優秀選手(MVP)に輝いた大谷翔平選手は特別賞を贈られました。 オフの話題も日本ハム ビッグ・ボス 新庄監督が独占しそうですが、順当な締めになりました。

11月下旬から日本列島を襲った寒波の影響で例年より寒い日が続いていると思っていたら、12月7日は暦の上では冬の3番目の節気 大雪(たいせつ)であり、21番目の二十四節気です。
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大雪(たいせつ)とは本格的に冬が到来するころ。山々は雪に覆われ、平野にも雪が降り積もります。
その字のごとく大雪(おおゆき)になる地域もあります。新しい年の準備をはじめる「正月事始め」もこの時期から行われます。
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「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也(ゆきいよいよふちかさねるおりからなればなり)」
という言葉が江戸時代に発行された暦便覧(こよみびんらん)にあります。
雪がいよいよ降り積持っていく時期、という意味です。
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大雪(たいせつ)とは本格的に冬が到来するころ 雪が盛んに降りだす頃という意味で、山の峰々は雪をかぶり、平地にも雪が降る時期です。その字のごとく大雪(おおゆき)になる地域もあります。新しい年の準備をはじめる「正月事始め」もこの時期から行われます。

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二十四節気では、大雪の前は、わずかな雪が降る頃という意味の「小雪(しょうせつ)」、大雪の次は、1年で最も昼の時間が短い「冬至」となります。【大雪前後の二十四節気の移り変わり】. 小雪 → 大雪 → 冬至.

ちなみに大雪は年によって日にちがズレます。ズレが生じるのは、ほかの二十四節気でも同じです。


大雪「たいせつ」七十二候

初侯 12月7日〜12月10日頃
閉塞成冬 そらさむくふゆとなる

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天地の気が塞がれ、冬がおとずれる頃。空は重い雲に覆われ、生き物はじっと気をひそめています。塞ぐという言葉は、寒さから人々を守るという意味でとることもできます。

次侯 12月11日〜12月15日頃
熊蟄穴 くまあなにこもる
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熊が冬ごもりの時期に入り、穴にこもる頃。春になるまで、穴の中で過ごします。熊だけではなく、しまりすや蛙、こうもりも冬ごもりを始めます。

末侯 12月16日〜12月20日頃

鱖魚群 さけのうおむらがる
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鮭が川を遡上する頃。海で育った鮭は、産卵のために自分の生まれた川へと里帰りをします。北国では冬を代表する光景のひとつであり、迫力のある遡上を見ることができます。
https://www.bing.com/videos/search?q=%e9%ae%ad%e3%81%8c%e5%b7%9d%e3%82%92%e9%81%a1%e4%b8%8a&docid=608016929475031020&mid=7972E48B2B6A5759D49F7972E48B2B6A5759D49F&view=detail&FORM=VIRE

72候 中国バージョンでは 初候 の 虹蔵不見は日本・中国共通 次候末候に差があり
次候 天気上騰地気下降(てんき じょうしょうし ちき かこうす) : 天地の寒暖が逆になる(中国)
末候 閉塞而成冬(へいそくして ふゆをなす) : 天地の気が塞がって冬となる(中国)

「大雪」旬の魚 鱈たら
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産卵期を迎えた鱈が蟹や海老など、身近な物を何でも食べてしまうことから「鱈腹」という言葉ができたといわれています。
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おいしい鱈は、お腹の色が白く、背中の模様がはっきりとしています。

「大雪」旬の花 シクラメン
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年末から飾られることの多いシクラメン。色は赤、白、ピンク、紫と様々。
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トルコなどで豚がシクラメンの球根を食べたことから、「ブタのパン」「ブタのマンジュウ」とも呼ばれます。

「大雪」旬の果物 洋梨ようなし
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洋梨はある程度熟したものを収穫し、保存し、成熟させてから食べます。
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そのため、食べごろの見極めが重要。シャリシャリとした食感ではなく、とろけるような甘さが特徴的です。


「大雪」旬の野菜 大根・キャベツ・小松菜 
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おでんや粕汁など冬のメニューにかかせない存在である大根。年末年始で暴飲暴食が多く、胃がスッキリしないときに、大根をおろして食べると、不快感を解消してくれます。

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キャベツの旬はこの時期と春の2度ですが、この時期のキャベツはふんわりして柔らかい春キャベツに対して、葉の密度が高く、しっかりとしたキャベツです。


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アブラナとカブを交配した野菜で、東京都の南葛飾、小松川で作られたことから、小松菜という名前になりました。さっとゆでてポン酢で食べたり、油揚げとさっと煮つけたり、することができます。

「大雪」行事 :だるま市
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飯泉山勝福寺(神奈川県小田原市)のだるま市は、この時期に行われます。関東では一番早い時期に行われるだるま市であり、境内には数多くのだるまを売る店が並びます。日本三大だるま市は年が明けてからです。

「大雪」行事 :羽子板市
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毎年12月に神社で行われる羽子板市。有名なものだと12月17~19日の浅草浅草寺が有名です。

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その前後に深川不動、神田明神、芝愛宕(あたご)、湯島天神などがあげられます。浅草寺の羽子板市は、景気を表わすとして、商売繁盛を祈願した詣で客がたくさん訪れます。

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この項 参照 出典: 暦生活
https://www.543life.com/season/taisetsu


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閑話休題:運命の一言では済まされない話


先日知人から届いた 喪中欠礼にてお知らせいただいた中で百歳を超えた2例目が発生した。 最近ではあまり珍しくもない106歳の母君の大往生の知らせであった。もっともこちらも4分の3世紀近く生きながらえているのだから、百歳までは26年しかない。順調なようでいて決して楽ではない凄まじい一生がやがて最終局面を迎えようとしている。

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『過去の記憶がお前に喜びを与えるときにのみ、過去について考えよ』(オースティン)

喜びを与えるような記憶はどこかに置き忘れてしまったのかと思えるくらい、苦難の記憶ばかりが過ぎる。喜びを感じない記憶は捨て去るのが一番の良策であるのだが。

父が有した運搬船が沖縄沖で嵐にのまれ帰らぬ人となったとき、私は2歳半、弟はいまだ生後3か月であった。
魚粉の肥料工場を経営していたので、ほどなくして会社は父の弟が継いだが会社も叔父の命もそう長くは続かなかった。
沈没した船の乗組員の数名の補償のために 網元の権利と肥料工場の土地は人手に渡った。同時に父の事業は廃業となった。

1945年当時、沖縄は米軍の占領下にあり、沖縄とのやり取りは輸入の手続きが必要であった。その手続きを委託していた会社が幽霊会社であったため、取引は密輸となり、叔父が亡くなったせいもあり、母は再三裁判所から呼び出しを受け、やがて胸を患い病床に就く。夫を亡くし病に伏した母を見かねた母の実家では将来を案じて母を引き取り、籍を抜いた。この時点で弟と私は祖母と4人の叔母たちの世話になり成長していくことになった。

そしてこの後、実の母親と姓が異なる関係で余計な手続きを要する日々が始まった。それは進学・進級の都度や担任が変わるたびに発生した。 何かにつけ説明が必要であった。 退院後も母は嫁ぎ先へ戻ることなく一人暮らしを模索していた。

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看護婦として一本立ちした母は私を引き取り親子二人の生活が始まったのは1957年私が小3の2学期で9歳であった。この時から2歳年下の弟とは別々の家で育つことになった。1960年ころ亡くなった父が保証人となっていた人物が遁走し、父の代わりに母が債務肩代わりを請求され家中に差し押さえの札が張られた。嫁ぎ先の籍を抜いて父とは戸籍上無関係なのになぜ?

のちに債権者はこの訴えを取り下げたが、子供ながらにこの先に不安を抱き始めていた。 その矢先1961年母は2度目の胸の病で入院療養開始、ここで母をなくせば私は天涯孤独になる。 不安がよぎる中を考えると、自分に与えられた人生は、どうやら普通じゃない。並みの神経では海の彼方へ流されてやがて泡となって消えてしまう。

このあとも不運はこれでもかと襲ってくる気配を感じる。どうすれば流されて泡にならないで生きていけるか? 強くならなければいけない。強くなるためにはこれ以上の艱難辛苦を乗り越えて強い神経を持たねばならない。

強くなりたい、神よ 我に七難八苦・艱難辛苦を与えたまえ。 この願いは数倍になって実現されることを13歳の少年は知らなかった。 実に浅はかな願いであった。 この後も中学・高校・大学とそれぞれに一度では記せないほど不運は襲ってきた。

そして1971年12月8日就職して最初の年の暮れ、下宿先の隣家から出火。類焼した下宿先で衣類も家財も生活必需品をすべてを失った。寒空に焼け出され、文字通り裸一貫になってしまった時にはこれで自分を襲う不運はピークに達したと思ったのだが・・・。 

Part.1 了 

To Be Continued

(あれからちょうど50年が過ぎ去っていきましたがその日はまるでつい昨日のことのように思い出されます。)



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