勝五十六の日本戦略論

この危機を機に、少しずつ、日本戦略論と今回の政府の対応の遅れを海外から見た視点で、書いていく予定です

ヨガ瞑想事始め3 上海編 鬼軍曹こそ真のヨガのグルかもしれない

2021-07-11 16:06:38 | 日記
鬼軍曹とゆうと聞こえは悪いが、Belaは、最高のヨガの先生だったと思う。

2003年に上海へ転勤なり、ヨガプラスで週に数回ホットヨガに出ていた。まだどうしてアシュタンガヨガのレッドクラスに出たのか覚えていな。先生は、米国生まれのフィリピン人の先生Belaだった。アシュタンガヨガはマイソールスタイルで(日本の公文式の教え方とおなじやり方)生徒が20人程どのクラスで、先生が一人で一人の生徒に教えていき、ポーズもできるようにならないと先へ進めない。まずプラマリーシリーズから第六シリーズまであるが、これまで出会った人で第5シリーズができる人は、日本人の有名な久保田さんとドイツ人の女性だけだ。

香港人のクラスメート、ジェンキンの勧めでマイソールクラスへ。一番の基本は太陽礼拝のポーズAとB.普通は、どちらも5回やることになっているが、確か始めの頃は、毎回太陽礼拝だけを50回もやらされてた。1時間半以上かかる。

また体が硬くなかなかポーズができないので、1年目、前半の17の立位のポーズを3回繰り返しす練習が半年。2時間から3時間もかかる。2年目にフルプラーマリーのポーズ(47のポーズ)を2回(3回の時もあった)これも2時間から3時間。いつも怒鳴られていた。普通なら、嫌になるが、あの時期の落ち込んでいた自分には必要だったのだと思う。あの3年間がヨガの基礎を作った。

彼女のすごさは、厳しくしたのは生徒だけでなく、自分にも厳しい。50肩で腕が上がらない時彼女は、反対の手で腕を動かしフルプライマリーをやっていた。50肩で腕が上がらず、それを反対の手で腕を動かすとすごい痛みがは走る。50肩を1年以上患ったのでよくわかる。

さらに、彼女は、ヨガのポーズ(アサナ)だけでなく、瞑想、ヨガ哲学、呼吸法も重視した。ベラは、仲間の家で毎週土曜日、少数人数の瞑想やヨガ哲学クラスを開き教えてくれた。その仲間の一人が、以前からRichard Freemanについてアメリカで勉強していた。彼女の勧めでRichardのヨガ教師養成講座に出た。

後でわかったのは、Belaは、サムイ島のヨガリトリートsamahitaで、Paul のヨガ教師養成講座を受けていた。また師匠のTiwarijiからも教えを受けていた。彼女の母親もヨガの教師だった。アシュタンガヨガだけなく、アイアンガーヨガやインヨガも学んでおり、ヨガを幅広く勉強していた。またヴィパサナ瞑想はこれまでに10日間のコース26回以上参加していた。『あなたは10日間のヴィパサナ瞑想逃げ出すんじゃないの?』とベラにからかわれてて、10年以上前千葉の茂原のセンターで10日間参加した。もう10回以上参加している。京都が1回で後は全てタイのセンターで参加。

Paulが呼吸法のワークショップで上海へ2度来た。初めて呼吸法を本格的に教わった。それがきっかけで、2013年から毎年2週間samahitaでPaulとTiwarijiのワークショップを受けることになる。そしてインドで毎年Tiwarijiの教えを受けることになる。

人生で仕事やその他の面でも落ち込んでいた時、上海で鬼軍曹とゆうあだ名の先生Belaに出会えたのは、幸運だった。彼女こそ、本物のヨガの先生だった。その先生のおかげで、Paul, Tiwarij 、そしてヴィパサナ瞑想に出会えた。ヨガや瞑想では、本当に中国、日本、アメリカ、タイ、ドイツ、ヨーロッパ、ロシアの素晴らしい先生や仲間に出会えた。

残念ながら、上海の写真がない。
以下の写真は、2107年上海とフィリピンの仲間と
タイのコーチャン島でBelaの教師養成講座の1週間だけ参加した。





マイソールへ誘ってくれた友達ジェンキン




Belaに勧められて初めて読んだヨガの本




緩いロックダウン

2021-07-09 16:36:41 | 日記
タイCOVID-19状況管理センターは2021年7月9日(金)午後4時からの会見で、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、7月12日から適用となる新たな規制を発表.

1.可能な限り在宅ワーク。
2.公共交通機関は午後9時から午前3時まで運行停止。
3.コンビニストア、ナイトマーケットは午後8時から午前4時まで営業休止。
4.ショッピングセンターは午後8時に閉店。ショッピングセンター内で営業できるのはスーパーマーケット、金融機関、薬局、医療品店、レストラン、携帯電話店。
5.マッサージ店、スパ、美容院など閉鎖。
6.公園は午後8時まで(運動のみ)。
7.午後9時から午前4時まで夜間外出禁止(医師の診察を受ける場合を除く)。

非常事態宣言も9月30日まで延長となります。





タイはどうなるかvs日本はどうなるか

2021-07-09 13:41:14 | 日記
タイの1日あたりの新規感染者が9200人となり、専門家は最低でも政府発表の数字の2倍から3倍のいると推定している。特別なことを何もしない能天気な人がたくさん住むのはどこかの日の丸の旗の国と似ているが。

今週末に10000人を予想していたが、来週には、かなり増えるだろう。

ある医者は、検査に来る患者の半分が陽性とのこと。
今日の政府(軍事政権)の会合で厳しい措置を決定するそうだが。
観光産業を守るためにプケットを厳しい条件つきで、外国人観光客のプケットへの入国を認めた。これもやめるべきだと思う。

患者が増える中、オリンピックをやる馬鹿な国と同じ。常識で考えて、新規感染者が増えていれば、海外の観光客を制限すべき(タイ)だし、オリンピックは中止すべきだ。



ヨガ瞑想事始め2 上海編 地獄の特訓の始まり

2021-07-07 11:57:08 | 日記
香港で始めたホットヨガは、上海の大手ヨガスタジオYplusで継続。そこでまず出会ったのが、Shimon Kaspy ビクラムヨガの先生で、イスラエル人。2003年に上海に転勤になり、それから2年ほどは、ホットヨガを継続。香港人が創立したYplusの2つのスタジオのうちお気に入りは、旧フランス租界の复兴路にある上海の古い建物のスタジオ。2019年にそのスタジを訪ねたら、改造されて洋服屋になるところだった。

そのイスラエル人の先生とても気が合い、よく食事も一緒にした。彼はよく「猫があれほ体が柔らかくどんなポーズでもできる、いろいろなヨガのポーズができてもどうてことはない。人間としての修行が大事だ」と言っていた。ホットヨガは、36度以上の部屋で20以上のポーズをとる。水を飲みながらやるので、すごい汗が出る。ただ血圧の高い人や心臓疾患のある人には勧められない。週に2回から3回。

この旧フランス租界地の复兴路の上海の古い建物のスタジオでは、週に60以上のいろいろなクラスがあり、偶然にアシュタンガヨガのクラスを見学して鬼軍曹に出会うのだが。教室は小さく15人程度しか入れなかった。

第二のスタジオは、日本の原宿に当たる新天地にあり、40人以上入るヨガの教室が3つ以上あった。

ヨガの先生の大半は、中国人で、元バレリーナやダンサーがほとんどだった。体が柔らかければ誰でもヨガの先生になれた時期。
欧米人の先生が数人いた。その中に、鬼軍曹がいた。

そこでヨガの鬼軍曹に出会うとは思っても見なかった。それは次回のお楽しみに。3年間の地獄の訓練。その鬼軍曹が現在の師匠Tiwarijiやヴィパサナ瞑想へと導いてくれるのだが。人との出会いは、人生を大きく変えることもある。


見出しの写真と下の写真は
上海の复兴路のヨガスタジオの現在の写真







下は、上海の観光地豫園




ヨガ瞑想事始め1 アメリカ編

2021-07-05 15:01:00 | 日記
今日から数ヶ月でヨガと瞑想事始めを時々書きます。アメリカ編、中国編、日本編、タイ編、インド編、タイ編2の最低でも6話以上になります。

なぜヨガなどに興味を持ったか?実は上の本の著者との出会い。1992年にUNDPの平壌での国際会議に記者として参加したのがきっかけ。Brad Wills
に出会ったのは、大阪から平壌までの北朝鮮の高麗航空の中。椅子もガタガタなロシヤ制の軍用機を改造した飛行機。タバコをふかしていると、背の高いアメリカ人が小さい扇風機でタバコの煙が自分の方に来ないようにしていた。それが上の本の著者。彼は、腰骨が折れて、腰に電子ベルトをしていたのは、後で聞いた話。
その後彼は、アメリカに帰り、腰骨の手術をしたが、歩けなくなり、体重が120キロ以上になってしまった。同時にステージ4の喉頭ガンを患い、死の直前だった。中東戦争の取材の時に化学兵器の影響を受けたのが、ガンの原因だったらしい。

今から20年ほど前、家内の実家へ帰る途中、彼の家に泊まったことが何度かある。彼は、完全に回復して、ヨガの先生になっていた。腰骨は、折れた状態で、ガンは治癒していた。ヨガ、瞑想、アユベーダ、食事療法で彼はガンから生還した。

その後アメリカへ行くとよく彼の家に遊びに行った。最後は、確か2005年ごろ、彼の家に泊まりに行ったら、偶然ヨガの先生養成講座をの最中で、週末の2日間参加した。と言ってもヨガの初心者で、呼吸法のことは何も覚えていない。

その2日間は、主に呼吸法だった。

2000年ごろ、香港に駐在しており、今も香港にあるPure Yogaでホットヨガのクラスを定期的に受けていた。それと元JALのCAの香港人の友人が彼女の自宅でハタヨガを教えていて、友人達と参加した。

今年の8月に10年振りに彼の家へ遊びに行く予定。

下の写真は、2015年アメリカのボールダーで初めて200時間のヨガ教師養成講座に参加した時の教材の一つ。世界中から160人がお応募して、40人しか参加できない講座でロシヤ、南米、ヨーロッパからの友達や知人(タイのサムイ島のsamahitaでの知り合い)が数人参加した。この講座は、特別で、人体解剖センターで2度午後死体を使っての人体解剖の体験クラスや瞑想センターでの毎週一度と週末2日間の瞑想。またインド哲学やヨガ哲学の授業にかなりの時間が充てられる。

でもアサナも厳しい。アシュタンガヨガでは、普通5呼吸しか同じポーズを保持しないが、Richard Freemanは、20呼吸ぐらい同じホーズを保持させる。

この残念だがこのスタジオも現在は無くなった。

Richard Freeman and Mary









今朝のバンコック


この本はもともと日本語です。
残念ながら、バンコックの紀伊国屋には英語版しかなかったです。

食う寝る坐る 永平寺修行記
野々村馨/著 
その日、僕は出家した。彼女と社会を捨てて――。雲水として修行した一年を描く体験記。
"その日、僕は出家した、彼女と社会を捨てて――。道元が開いた曹洞宗の本山・永平寺。ひとたび山門を潜れば、そこは娑婆とは別世界。東司(トイレ)にも行鉢(食事)にも厳格な作法がある。新入りは、古参僧侶に罵倒され、規矩を徹底的に叩き込まれる。さらに坐禅に日々打ち込んだ末、30歳の著者が会得したものはなにか? 雲水として修行した一年を描いた体験的ノンフィクション。"