新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代27「映画クラブイベント宣伝(その2)」

●映画クラブイベント宣伝(その2)

 そんな訳で私の大学入学の年の秋に開局して間もないNT21に電話をして見た。むべ無く断られるかと思いきや、ディレクターさんが面談して話を聞いてくれるという。指定の時間に愛車カリーナ1400DXで信濃川河口の社屋を訪れると、真新しいフロアの一角で丁寧に話しをきいてくれて、ローカル制作の短い番組の地域情報コーナーで1分程度流してくれると即決だ。幸先の良さに緊張がほぐれた。飛び込みのような話を受けとめてくれた対応に深く感謝するとともに映像として使えるポスターをお渡しして局を後にした。
 一つ上手くいくと調子にのる私は、残るローカル局へも立て続けにお願いの申し入れをした。学生とはいえ大事な地元視聴者でありネタ元であると考えれば、軒並み対応が丁寧だったのは当然だったのかもしれないが、1分足らずの僅かな時間に局のアナウンサーが案内コメントを流す程度の対応案が示されることが二三局と続くと、視聴者から聞き流されて記憶に残らない発信に意味があるのかとも思うようになり、最後のテレビ局BSNにおいて、恐れを知らない私はそんな思いも含め話をしてみた。たかが大学生からのお願いの筋なのに図々しいこと極まりない。それでも当時の私は今から思うと信じられないくらいに遠慮が無かった。
 そんな私の鼻息の荒さにたじろぐような天下のBSNの担当者様ではなかったが、最初は他局と同様の対応案を話していたものの一計を案じたようで、「それならば‥」と切り出した。「ローカル自主制作の1時間の生放送番組「土曜はヨイショ」の中で学生の皆さん自身が数分かけてしっかりとPRできるようにしてみましょうか」というのだ。
 「ええっ、私たち自身でテレビに映って宣伝できるんですか。是非ともお願いします」と即答した。ズブの素人がテレビにて見栄え良く噛まずに宣伝できるだろうか。しかも生放送で。そんなことを思量する慎重さなど当時の私には微塵もない。若者にありがちな出たがり気質も後押ししたのかもしれない。
 一方で後から聞くと、局の方でも毎週の生放送の観客集めには苦労していたようだ。カメラで写すスタジオ観客が毎度同じような限られた番組ファンというわけにはいかない。大学生となれば局が苦労することなく学友で数を集められるだろうという思惑が、私たちの要望と合致したのだろう。いずれにしてもwin-winの話しだ。
 映画クラブに戻って報告すると、一二年生を中心に結構乗り気になってくれた。ネットのない当時にマスメディアであるテレビに出ることはある種の憧れでもあったのだろう。ほどなく局が望む人数が集まり、番組内での自主上映会の宣伝の役割分担や台詞、振り付けなども整い、本番の生放送に向かうのみとなった。

(「新潟独り暮らし時代27「映画クラブイベント宣伝(その2)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代28「映画クラブイベント宣伝(その3)」」に続きます。)
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