新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代70「一宿の恩義」

●一宿の恩義

 天井の端より壁を伝い流れてくる雨水から急ぎ守るべきは、精密機械であるオーディオセットということで、各機器やスピーカを壁からできるだけ離し、各々にタオルなど被せた上に更にゴミ袋などを割いたビニールで覆い防水対策を講じた。
 それ以外にも壁にくっ付けるように配置していた本棚などを壁から離し、雨漏りする箇所の下にはバケツを置くなどして一通りの応急処置を施し終えると、避難のために車で持ち出すものをスポーツバッグに急いで詰め始めた。当座の衣類や貴重品をかき集めたのだが、もしかしたら車中泊になるかもしれないので毛布も持ち出すことにした。
 時は夜の8時前くらい。スポーツバッグやら毛布を抱えてドアを開け、部屋の外に出て階段を降りると、暗がりの足元で水たまりに防犯灯の明かりが揺れていた。雨風は未だに強いが、トタン屋根が飛んだ時ほどではなくピークを越えたのかも知れない。アパート前に停めた中古の愛車ランサーEXに避難荷物を詰め込むとエンジンキーを回したが、ハタと考える。果たしてどこに避難すれば良いのやらと。
 地震や洪水など大規模災害であれば、自治体の避難場所が開設ということになろうが、私を直撃した災害は住むアパート個別の事件であり、公的な対応など望むべくもない。柏崎市の実家は80km以上も離れているので、天候が落ち着き次第に家財を整理したりするためにまた戻ってくることを考えると面倒だ。近くで一晩過ごさせてくれる場所はあるまいか。その時、県庁への同期採用で飲み仲間になっていた友人が思い浮かばれた。彼の家は確かそう遠くなかったはず。
 最寄りの公衆電話ボックス横に車を停めて電話してみると、運の良いことに彼は自宅に居てくれて、事情を離すと「それは大変だね。これからウチに泊まりに来ていいよ」と言ってくれた。親交の日の浅い私からのこんな唐突なお願いに躊躇なく家へ招いてくれるとは。感極まってお礼を伝えると、電話で聞いて何となくイメージした彼の住所へと車を走らせ始めた。ナビゲーションなど無い時代なので入り組んだ街中には苦労したが、暴風雨で車の通りも少なかったこともあり、あちこち見て確かめながらなんとか辿り着くことができた。
 そこは、新潟市の通称”下町(しもまち)”と呼ばれる信濃川左岸河口近く。住所地も「湊町(みなとまち)」というくらいで古くからの港町だ。数件並んだ戸建ての一つの玄関口で入口を明るくして同期の友は待っていてくれた。車も家の前の脇に置いておけば良いという。促されて玄関から上げてもらい、少し古い日本家屋ならではの軋み音のする板張り廊下の奥から階段を上ると八畳ほどの和室の大広間があって、そこが彼の寝室なのだという。その広い空間の端には既に客人たる私用の布団も敷いてくれていた。
 「屋根が飛ぶとは大変だったね。時間も時間だし、疲れたろうから、一杯呑んでさっさと寝てしまおうよ」と、グラスを渡してくれると貰い物だというナポレオンを開けて注いでくれた。一時は、今晩は車中泊かと覚悟していたのに、広い和室にしっかりした寝具を借りられて、寝酒に高級酒まで頂けるとは。何が起きるか、そしてその後にどんな展開になっていくかというのは想像を軽く超えてしまうものだ。激動の急展開の果てに得られた一筋の光明のような親切さに、男泣きしそうなくらいに嬉しいばかりの晩だった。

(「新潟独り暮らし時代70「一宿の恩義」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代71「一飯の恩義と再起動」」に続きます。)
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