新潟久紀ブログ版retrospective

地域農政推進課13「他県調査に行くべし(その4)」編

●他県調査に行くべし(その4)

 鳥取砂丘の向こうから冬の日本海の轟音が響いて何度も夜中に目覚めることを繰り返したホテルを後に、早朝の鳥取駅から因美線の普通列車に乗り、いよいよ今回の出張の本命である智頭町に向かった。駅から歩いて智頭町役場に入ると、電話で面談の予約に応じてくれた智頭町企画課の担当職員が、朝早く慌ただしい時間帯にもかかわらず和やかに対応してくれた。
 「わざわざ遠い所をお越しいただくので、町長も挨拶したいと言っている」と誘導された玄関から入ってすぐの一階フロアの机に町長さんがいらっしゃったので驚いた。普通であれば首長さんというのは2階か3階の秘書窓口の奥の大きな個室に一人で鎮座しているものだ。「わざわざ新潟からお越しいただきありがとうございます」と名刺交換の際に町長は穏やかな表情で低い物腰だ。これは偉ぶりがちな人とは違う"人物"であり、ただモノでは無いなと僭越ながら思う。応接室で担当者から町長の来歴や業績等を聞いて流石だとの思いを強くした。
 町民の窓口でのやり取りなどをいつも近くで見ていて住民の時々の雰囲気を肌で感じていたいといった思いで、玄関入ってすぐで一般の職員と壁の隔てない机を町長の席としているのだという。こんな人が全国にどれほどおられるだろうか。形式的に真似をすれば良いというのではない。要はその"ものの考え方"と"姿勢"なのだ。疎開保険を始めとして智頭町の個性的な取組みについて担当者から詳しく説明を聞いていくほどに、あの町長の存在あっての施策なのだなと思われた。
 住民起点でものを考えるという理念は、かつて私も新行政推進室でスローガンとしていたところだが、いつのまにか、特に地方の農政は国策の請負がメインになりがちな中で基本の認識が薄らいできたきらいがあったかも知れない。町長のイニシアチブの下でのびのび活き活きと取組んでいることを雄弁に語る目の前の担当者を見ながら、遠いこの地まで来てみて自分を省みる点でも本当に良かったと思っていた。
 智頭町担当者の熱弁はなかなか止みそうになかったのだが、それでも「そろそろ次の場所に案内する時間だ」と言って私を役場から連れ出して近くの住宅地を歩き始めた。疎開保険で避難先となる民泊の家を実際に見せてくれる段取りを付けてくれていたのだ。
 その一軒家では玄関で初老の夫婦が待ち構えていてくれた。役所ならともかく私人の自宅に仕事でお邪魔させていただくのは福祉のケースワーカー以来かも知れない。
 顔なじみの町役場職員が引率してとはいえ、遠く新潟県庁から見ず知らずの職員が一人で来宅するということで、民泊のホスト役慣れしているとはいえ、ご夫婦はやや緊張の面持ち。私はすぐにお土産として持参した「田中屋の笹だんご」をお渡しする。奥様はとても珍しがって「早速頂きたいのでお茶を入れるわね」と笑顔になり一気に場が和んだ。県外出張でのお土産は大抵が笹だんごと決めているのだが新潟県人が思う以上に評価が高い、新潟は有難い食文化を持っているものだとその都度思う。
 民泊とはいえ都会人を受け入れるにあたっての配慮としてトイレや浴室の補修など町の補助も得て対処したことや、平時の交流として都会人が来宅した時は可能な範囲で酒など酌み交わしながら親睦を深めるよう努めていることなど、疎開保険の実践役としての取組みを聞かせて頂きながら家屋内を見せて頂いた。とても人当たりの良いご夫婦で話が尽きないほどであったが、私のタイトな出張行程では次の日程が迫っていたため、私も機会があれば個人的にこの町を改めて訪れ、できればまたお会いしたいと言ってその家を後にした。現場で体感しなければ得られない知見を数多く身に着けて。

(「地域農政推進課13「他県調査に行くべし(その4)」編」終わり。「地域農政推進課14「他県調査に行くべし(その5)」編」に続きます。)
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