●「振るわせる」取組みを考える
令和5年4月に、新潟県知事から私は「新発田(しばた)地域を振興せよ」との御下命をいただいた。
「地域の振興」とは何かといえば、地域が社会的にも経済的にも勢いを増すということではないかと考える。それはその地域に住まう人、活動する人が増えることにより成されよう。とくにその勢いの持続性を保ち将来に向けて伸びやかなものとするためには「若い人」というのが大切になろう。
すなわち私に課せられたのは「新潟県の新発田地域の振興のために、若い人で住み続ける人や、この地域に関心を持って関与し続ける人を増やす」ということだと考えてみる。
そのためには、若い人達が、好きな事や、やりたい事で、経済的にも社会的にもこの地で生活していけるということ。つまりは、望みに適う「働く場」と「暮らしよい環境」が整っているということになる。
地域の中で居付きさえしてくれれば何処でも有難いのであるが、少し欲を言えば我々自治体的には「街なか」を活かして欲しい。生活関連の各種インフラが整備済であり行政コストの掛かり方や税の賦課や徴収などに関しても効率的であり、結果して住民サービスへの還元も効率的で効果的なものとできる。
また、地域を担う中核者となっている人達においても、単に「かつての繁栄よ今一度」というノスタルジーだけでなく、行政で対応しきれない自助共助の発揮などを通じた心地よいコミュニティーの維持と充実にも「街なか」の活性化は悲願であるに違いない。
「若い人」と「働く場」をキーワードとした時に、先ずは直ぐにターゲットになりそうな人達の生の声を聴くことから始めたいと考えた。着目するのは、就労に向けてこの地域内で修学中の大学生や高校生。新発田地域も含め新潟県からの進学先として多くが送り込まれている東京圏の大学等で修学する学生さん達に対する面談やアンケートは難しいし、経験的に察して、その就活も大学のある東京圏が中心になる人が多いので実効性が乏しそうだ。既に手遅れ感があるのだ。
一方で、新発田地域振興局長として赴任してきて管内について見聞きすると、いくつかの大学や地域内外の不特定の若者が出入りしている集まりがあるという。
とりわけ大学というのは、新潟県内の高校のように多くが周辺地域から進学して、進路やその指導についてあまり融通性を感じにくいものと異なり、県内でも遠方や県境を越えて入学して来る者が結構居たり、自主性を重んじる環境や成人前後の幅広な体験などを通じて進路に関する視野や考えに個々人としての深みや柔軟性がもたらされる場とも言える。学生の集まり方が市町村の域を越えていて、向き合うにあたって幅広で深い知見も求められる大学という舞台を相手にすることは、広域性や専門性を本領とする県行政としての役割に適う仕事となり得ると考えるのだ。
新発田地域で修学中で就活前の大学生などから、この地域で働いて住み続けられるために必要なことについて意見を聴き、それを叶えるためにどんな手立てがあるか、地元で既に実践している人や知見を有する人達から真に活かせる有意で実効性ある助言や意見を引き出して、この地域で自分の好きなことで生活し続けていけることをリアルに考えられるようにしてはどうか。
ここで方法として常套になるのは、事務的にアンケートやヒアリングをして、その結果をもとに有識者を会議室にロの字型に並ばせて御意見を伺うような形式のものだ。しかし、経験的に振り返ると、事務局たる役所側のお膳立てにより、アンケートの項目は何か誘導的になるし、結果も肌感覚や臨場感から乖離した統計的で冷ややかな計数にしか見えないようなものになり、それを基にして出口となる施策や対策も、最大公約数的で優等生的な事務局案が、その上品さ故に、権威ある有識者同士が傷つけ合うことを避ける様な牽制に近い形式的な会議体の緊張感も相まって、さほど深掘りされずに軽微な修正程度で合意されがちだ。
国や都道府県などの全体について企画立案する大きな組織体の本庁においては、”大きな船”を座礁させないように大勢に影響のないような予定調和も必要なのかも知れない。しかし、私が向き合うのは、この地の高台から見渡してみれば街の息遣いや田畑の温度感まで肌に感じられるような、新発田地域という「現場」なのだ。
アンケートでは、全数から傾向を抽出するため、確度の観点でサンプル数が問題になるが、私が取り組む課題の場合は、顔を見てやりとりする個々人のリアリティから広く通用しそうな対策を抽出しようというものだ。少人数でも特異ではない人から濃密な掘り下げや引き出しが必要だ。その手法は「座談会」だなと思う。
新発田地域に散在する、潜在性を秘めた人や各々で活躍している人を「集め」て、働き掛けて関連付けさせて「振動させ」て、少しでもこの地の活性化に繋がるようにする。名付けて「ふるわせ座談会」を始めようようと考えてみた。
「若い人」と「働く場」をキーワードとした時に、先ずは直ぐにターゲットになりそうな人達の生の声を聴くことから始めたいと考えた。着目するのは、就労に向けてこの地域内で修学中の大学生や高校生。新発田地域も含め新潟県からの進学先として多くが送り込まれている東京圏の大学等で修学する学生さん達に対する面談やアンケートは難しいし、経験的に察して、その就活も大学のある東京圏が中心になる人が多いので実効性が乏しそうだ。既に手遅れ感があるのだ。
一方で、新発田地域振興局長として赴任してきて管内について見聞きすると、いくつかの大学や地域内外の不特定の若者が出入りしている集まりがあるという。
とりわけ大学というのは、新潟県内の高校のように多くが周辺地域から進学して、進路やその指導についてあまり融通性を感じにくいものと異なり、県内でも遠方や県境を越えて入学して来る者が結構居たり、自主性を重んじる環境や成人前後の幅広な体験などを通じて進路に関する視野や考えに個々人としての深みや柔軟性がもたらされる場とも言える。学生の集まり方が市町村の域を越えていて、向き合うにあたって幅広で深い知見も求められる大学という舞台を相手にすることは、広域性や専門性を本領とする県行政としての役割に適う仕事となり得ると考えるのだ。
新発田地域で修学中で就活前の大学生などから、この地域で働いて住み続けられるために必要なことについて意見を聴き、それを叶えるためにどんな手立てがあるか、地元で既に実践している人や知見を有する人達から真に活かせる有意で実効性ある助言や意見を引き出して、この地域で自分の好きなことで生活し続けていけることをリアルに考えられるようにしてはどうか。
ここで方法として常套になるのは、事務的にアンケートやヒアリングをして、その結果をもとに有識者を会議室にロの字型に並ばせて御意見を伺うような形式のものだ。しかし、経験的に振り返ると、事務局たる役所側のお膳立てにより、アンケートの項目は何か誘導的になるし、結果も肌感覚や臨場感から乖離した統計的で冷ややかな計数にしか見えないようなものになり、それを基にして出口となる施策や対策も、最大公約数的で優等生的な事務局案が、その上品さ故に、権威ある有識者同士が傷つけ合うことを避ける様な牽制に近い形式的な会議体の緊張感も相まって、さほど深掘りされずに軽微な修正程度で合意されがちだ。
国や都道府県などの全体について企画立案する大きな組織体の本庁においては、”大きな船”を座礁させないように大勢に影響のないような予定調和も必要なのかも知れない。しかし、私が向き合うのは、この地の高台から見渡してみれば街の息遣いや田畑の温度感まで肌に感じられるような、新発田地域という「現場」なのだ。
アンケートでは、全数から傾向を抽出するため、確度の観点でサンプル数が問題になるが、私が取り組む課題の場合は、顔を見てやりとりする個々人のリアリティから広く通用しそうな対策を抽出しようというものだ。少人数でも特異ではない人から濃密な掘り下げや引き出しが必要だ。その手法は「座談会」だなと思う。
新発田地域に散在する、潜在性を秘めた人や各々で活躍している人を「集め」て、働き掛けて関連付けさせて「振動させ」て、少しでもこの地の活性化に繋がるようにする。名付けて「ふるわせ座談会」を始めようようと考えてみた。
(「新発田地域ふるわせ座談会3・「振るわせる」を考える」終わります。「新発田地域ふるわせ座談会4・「県庁出先の役割」を考える(その1)」に続きます。)
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