新潟久紀ブログ版retrospective

新発田地域ふるわせ座談会34「櫛形山脈を日本一の小ささで活性化(その1)」

●櫛形山脈を"日本一の小ささ"で活性化(その1)

 基礎自治体である市町村の区域を越えて広域性や専門性を発揮すべき新潟県庁の役割を考えたとき、新発田市と胎内市をまたいで存在する”日本一小さな山脈”である「櫛形山脈」を、昨今の全国的な低山ブームも巧みに取り入れながら、地域外からの誘客増進に結びつけて地域の活性化に結び付けることは、県の地域機関たる新発田地域振興局として、まさに関与のしどころであると思う。
 令和5年4月に振興局長に着任して以来、所管する4市町の随所を訪ね見聞きする中で、その思いを強く持った私は、「櫛形山脈」の活用促進が今一盛り上がっていない雰囲気の中で、手前勝手になんとかしなければとの思いに焦りを感じていたものだ。
 しかし、過去の振興局の資料など紐解くと、新参者の私が独り善がりに感じるまでもなく、約10年前には振興局として櫛形山脈の賑わいを創出しようと5か年ほどで県費数百万円を投じて、歩道の補修やベンチ設置、急登部などの安全ロープ設置などのハード整備と登山口マップ制作など、登山や山歩き周遊の環境整備と普及啓発に、二市や地元関係者と共に力を入れてきたことが分かった。
 私が、今年の春先に櫛形山脈の主な峰々を登頂したり、縦走したりした際に、登りやすかったり転ばないように支えてくれた設備の数々は、まさにその時の事業で整備されたものだったと遅ればせながら知らされたのだ。
 ただ、そうした整備の直後にコロナ禍が例外なくこの地も襲った。普段の外出も控えられる中で、本来であれば”密”を避けられて手軽でもあるレジャーの筈の低山歩きであっても、東京の高尾山のような人口後背地を近くに抱える低山はともかく、都会からアクセスのよくない田舎町近くでは、人を呼び込むことが中々叶わなかった。
 県が中心になってハード整備した施設の利用は、地元の二市と足並みをそろえた広報によってこそ誘客効果が上がるものであったと思うが、コロナ禍の危機管理対応に追われる行政機関においては、人流を増やすような取り組みは積極的に推進することはできず、櫛形山脈への誘客策も停滞せざるを得なかったようだ。
 そんなコロナ禍明けとほぼ同じタイミングで振興局長に着任した私は、今までの鬱積を晴らすかのように「櫛形山脈」という地域資源を大々的に活かす取り組みを展開したいわけなのだが、残念ながら新潟県庁は未曽有の財政危機に襲われており、活動のための財源が極めて乏しい状況。
 人々の行動を促すための金が無いなら関係者で知恵を出し合うしかない。そこで、コロナ禍を通じて地元周辺に居て各々で櫛形山脈のために活動していながらも、交流が停滞し関係性が薄れているように見受けられた人達を集めて、課題意識の共有や活性化のためのアイデアを出し合うための意見交換会を主催することにした。
 そんな経緯と想いで、私が新発田地域振興局長に着任してから始めた、地域をもっと面白くしようとする様々な方々と語らう「地域ふるわせ座談会」の第11回は、店主が無類の櫛形山脈フリークであり蕎麦の美味さも素晴らしい「山岳手打ちそば一寿」の座敷を会場としてお借りし、新発田市と胎内市にまたがる全長わずか13.5km、最高峰567.9mの「日本一小さい山脈 櫛形山脈」をテーマに、趣旨に賛同する関係者にお集まりいただいたのだ。
(その2へ続く)

(「新発田地域ふるわせ座談会34「櫛形山脈を日本一の小ささで活性化(その1)」」終わり。「新発田地域ふるわせ座談会35「櫛形山脈を日本一の小ささで活性化(その2)」」続きます。)
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「活かすぜ羽越本線100年」をスピンオフ(?)で連載始めました。

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