新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代8「下宿生活半年で早くも転居を思案」

●下宿生活半年で早くも転居を思案

 アメリカンタイプのチョッパーハンドルで背筋を立てて乗るヤマハRX50は素晴らしいバイクだった。ヘルメット嫌いの私は無規制の原付がマストだったが、股で挟むタンクも大きく高回転まで回すと相当なレスポンスを得られる原付離れのスペックは、柏崎の実家との片道80kmもストレスなく風を切らせてくれた。
 中古とはいえ大満足のヤマハRX50にもトホホな思い出が。サークル活動での8ミリ映画撮影に愛車と共に登場した私は、海岸での演技の最中にカギを砂浜に落としてしまったらしい。仲間と必死に日が落ちるまで探すも後の祭り。原付バイク離れしたデカい車体を押しながら暗く長い夜道を合い鍵のある下宿まで歩く虚しさよ。
 ヤマハRX50はスーパーカブに比べれば長い時間乗っても疲れず速度のレンジも広かったので、乗ること自体と遠出が好きになった。暫くしてサークルの4年生の先輩が就活に専念するので中学生の家庭教師の交代者を探していると聞き、新潟市内において大学から対極の地区にあるような港町のお宅と聞いても即申し出た。
 家庭教師は大学生としては最も嬉しいアルバイトだ。週一回、高校受験に向けた勉強を見ることで、初めて定期的で時給も良い収入を得ることになった。非常に不便で数月経ても馴染む感じがしない安下宿を移りたいという願望が強まる。親も仕送りが増えなければ異論は無いはず。転居先を考え始めた1年生の秋だった。
 転居を考え始めると、今の下宿の悪いところだけが日々気になる。車庫上の安普請の6畳一間、廊下の先にある和式の共用トイレ、雨風でも外を歩く離れ小屋の風呂、調理の難しい一口のみのミニコンロ、共用のピンク電話が掛かってくるとインターホン呼出しを受けてから階段を降りて敷地内の別棟アパートの3階まで外階段を歩く…等々。
 また、別棟アパートの一二階を住居としていた大家さんは、夏に恒例行事として我々下宿生を広間に招き昼食会を開いた。親元離れて独り暮らしの学生への気配りは有り難く、終始笑顔で歓談はしたが、当時"尖っていた"私は興味や関心を持てない話に付き合わされるのは苦痛でしかなかった。「今の生活場所は自分らしくない」と痛感するばかりなのだ。
・転居必至の思いが絶頂の折に、家庭教師のバイトを引き継がせて頂いたいだ先輩から、就職を決めて来春にアパートを引き上げると聞いた。サークルの仲間と何度かお邪魔したその部屋は新しくはないが大学に近く、トイレと分離のバスは風呂釜付きだし、台所もシステムキッチン的だし、洗濯機も屋内置きができる等々。コスパ的にも魅力だった。

(「新潟独り暮らし時代8「下宿生活半年で早くも転居を思案」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代9「一目惚れの「あけぼのハウス」の後釜に」に続きます。)
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