●ISEZI(いせじ)に遭遇(その2)
令和5年4月に新発田地域振興局長に着任し、振興策のヒントを探したいと思う中で、地域の社会経済の中心といえる新発田市において、この地を面白く元気にしようと活動している人々がいらっしゃるというので、先ずは彼らから話を聴いてみたくなった。そんな私の手前勝手な願望を聞き入れてお相手してくださるという方々が一か所に集まって座談会に応じてくださるという。
令和5年5月半ばの金曜日の午前10時前。会場へと車で新発田市の中心市街地に入ると、個人商店が並ぶアーケード街は人通りが少なく活気が感じられない。新潟県内の随所で見られる同様の光景にもはや慣れてしまっているのも空しいものだ。
そんな寂れた雰囲気のど真ん中にある「ISEZI(いせじ)」に到着。150年前から続いた呉服店は外見は閉店した時のままのようであり、この場が若い人の活動の拠点となっているのかいぶかしく思えるほどで少し心配になるくらいだった。
アルミサッシの入口を開けると、昔の呉服店の建付けそのままの空間が目に飛び込む。すなわち、入り口からそのままコンクリートたたきの広い土間の様な商品陳列と販売の空間、続いて腰かけて座れるような小上がりの僅かな畳の間があって、開いた障子の奥に古風な座敷が見える。昭和生まれで実家のある地元の街中にそんな店舗の見覚えのあった私には初めて訪ねたのに懐かしさが込み上げてくるような空間だ。
その広いコンクリート土間のど真ん中に何故か「卓球台」が置いてあり、その奥の角で、なにげない柔らかな風体の中にも黒縁の洒落た眼鏡の奥にインテリジェンスの主張がにじむような、壮年と思しき長身細身の男性が待ち構えてくれていた。卓球台の上でガチャガチャと湯のみ茶碗やらを用意してくれていて、簡易な椅子が回りに置いてある。卓球台は座談会のテーブルになるようだ。
働き盛りの面々を稼ぎ時に無料で集まってもらう手前、私は持ち込んだペットボトルのお茶を参加者の座る場所を想定して配らせていただいた。懐かしい空間と卓球台、そして店内で目に付く調度などについて雑談していると、予定のメンバーが勢ぞろいした。
出迎えてくださったのが、旧呉服店「伊勢治」の建物を活用して「ISEZI(いせじ) Social Design Project」を展開するリーダーの「水島優」さんであった。そして、その活動のメンバーの中から「近藤潤」さんと「五十嵐萌」さんが出席してくれた。さらに、この座談会企画に関心を持って駆けつけてくれたのが、地域版フリーマガジンの編集長やコミュニティFMのエフエムしばた代表取締役を務める「西村純子」さんであり、地元のお寺の住職でありながら食を活かした地域イベントで成功を重ねている「関根正隆」さんだ。
お忙しい皆さんを留め置けるのは1時間と短い。私は冒頭の挨拶と座談会の趣旨説明もそこそこに、各々の自己紹介と新発田地域おける取組内容や振興に向けた意見を先ずは一通りお聞かせいただいた。
水島優さんは、1983年新発田市生まれで、写真家としてパリへ移住して現地で独立まで果たして活躍された上で、2021年に帰国して築150年余りの旧呉服店の町屋と蔵を使って「ソーシャルデザインプロジェクト」を立ち上げたのだという。
本人曰く「現状の新発田市は厳しく言えば”終末医療のホスピス”」。それは、衰弱する一方で死を待つだけのような新発田を何とかしたいという郷土愛の裏返しであろう。
ISEZIは、突き詰めると市外からの関係人口の増加を目的としていて、本日参加のメンバーなど市外にいる運営メンバーのネットワークの広がりをそれに繋げようとしているようだ。常時開設しているのではなく、「哲学カフェ」や「無料学習スペース」、この卓球台を使う「暗闇卓球」など、何か行事がある時に開く場所なのだという。
電灯を消して、ビートの効いた音楽に乗りながら、蛍光する球を打ち合う暗闇卓球は、年代問わずにその特異な面白さに病みつきになる者が生じているほか、参戦せずとも非日常的な奇妙な空間と動態を楽しみながら観戦したり歓談したりする者も増えているのだという。かなり奇抜だが正に、家や学校、会社、更には典型的な遊び場などでは体験できない「別の居場所」といえるだろう。
令和5年5月半ばの金曜日の午前10時前。会場へと車で新発田市の中心市街地に入ると、個人商店が並ぶアーケード街は人通りが少なく活気が感じられない。新潟県内の随所で見られる同様の光景にもはや慣れてしまっているのも空しいものだ。
そんな寂れた雰囲気のど真ん中にある「ISEZI(いせじ)」に到着。150年前から続いた呉服店は外見は閉店した時のままのようであり、この場が若い人の活動の拠点となっているのかいぶかしく思えるほどで少し心配になるくらいだった。
アルミサッシの入口を開けると、昔の呉服店の建付けそのままの空間が目に飛び込む。すなわち、入り口からそのままコンクリートたたきの広い土間の様な商品陳列と販売の空間、続いて腰かけて座れるような小上がりの僅かな畳の間があって、開いた障子の奥に古風な座敷が見える。昭和生まれで実家のある地元の街中にそんな店舗の見覚えのあった私には初めて訪ねたのに懐かしさが込み上げてくるような空間だ。
その広いコンクリート土間のど真ん中に何故か「卓球台」が置いてあり、その奥の角で、なにげない柔らかな風体の中にも黒縁の洒落た眼鏡の奥にインテリジェンスの主張がにじむような、壮年と思しき長身細身の男性が待ち構えてくれていた。卓球台の上でガチャガチャと湯のみ茶碗やらを用意してくれていて、簡易な椅子が回りに置いてある。卓球台は座談会のテーブルになるようだ。
働き盛りの面々を稼ぎ時に無料で集まってもらう手前、私は持ち込んだペットボトルのお茶を参加者の座る場所を想定して配らせていただいた。懐かしい空間と卓球台、そして店内で目に付く調度などについて雑談していると、予定のメンバーが勢ぞろいした。
出迎えてくださったのが、旧呉服店「伊勢治」の建物を活用して「ISEZI(いせじ) Social Design Project」を展開するリーダーの「水島優」さんであった。そして、その活動のメンバーの中から「近藤潤」さんと「五十嵐萌」さんが出席してくれた。さらに、この座談会企画に関心を持って駆けつけてくれたのが、地域版フリーマガジンの編集長やコミュニティFMのエフエムしばた代表取締役を務める「西村純子」さんであり、地元のお寺の住職でありながら食を活かした地域イベントで成功を重ねている「関根正隆」さんだ。
お忙しい皆さんを留め置けるのは1時間と短い。私は冒頭の挨拶と座談会の趣旨説明もそこそこに、各々の自己紹介と新発田地域おける取組内容や振興に向けた意見を先ずは一通りお聞かせいただいた。
水島優さんは、1983年新発田市生まれで、写真家としてパリへ移住して現地で独立まで果たして活躍された上で、2021年に帰国して築150年余りの旧呉服店の町屋と蔵を使って「ソーシャルデザインプロジェクト」を立ち上げたのだという。
本人曰く「現状の新発田市は厳しく言えば”終末医療のホスピス”」。それは、衰弱する一方で死を待つだけのような新発田を何とかしたいという郷土愛の裏返しであろう。
ISEZIは、突き詰めると市外からの関係人口の増加を目的としていて、本日参加のメンバーなど市外にいる運営メンバーのネットワークの広がりをそれに繋げようとしているようだ。常時開設しているのではなく、「哲学カフェ」や「無料学習スペース」、この卓球台を使う「暗闇卓球」など、何か行事がある時に開く場所なのだという。
電灯を消して、ビートの効いた音楽に乗りながら、蛍光する球を打ち合う暗闇卓球は、年代問わずにその特異な面白さに病みつきになる者が生じているほか、参戦せずとも非日常的な奇妙な空間と動態を楽しみながら観戦したり歓談したりする者も増えているのだという。かなり奇抜だが正に、家や学校、会社、更には典型的な遊び場などでは体験できない「別の居場所」といえるだろう。
(「新発田地域ふるわせ座談会9・「ISEZI(いせじ)に遭遇」(その2)」終わります。「新発田地域ふるわせ座談会10・「ISEZI(いせじ)に遭遇」(その3)」に続きます。)
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