新潟久紀ブログ版retrospective

柏崎こども時代13「ワンダーランド比角小学校(その1)」

●13ワンダーランド比角小学校(その1)

 私は年度末ギリの早生まれで、5歳に成りたてでの小学入学は、発育も遅かったのか背丈もクラスで最小であったし、一年近く早く生まれた新一年生達の中で何事にも着いていくのがやっとだったようだ。暫くして親から先行きが心配だったと聞かれたものだ。
 ませた子はどんどんと小学校の校舎内や生活に順応していけたのだろうが、私は一つ一つ目に触れたり体験するものに警戒したり慎重になったりして過ごしていたと思う。
 ストーブの石炭運びで教室から廊下を通って校舎内の倉庫への往復の印象や、生活するに必須となる便所の古めかしい雰囲気などの次は、やはり当番で行き来することになったと思しき「教材準備室」の風景が思い出される。
 教室の並ぶ校舎の端で直角に曲がる板張り廊下の角の内側部分にそれは設けられていて、構造上の理由なのかクランク様の空間になっていたように思える。例の三角定規や分度器の親玉みたいな木製のものやらソロバンのデカいものなど、収納されている教材は棚のみでなく壁にかけられたり立てて置かれたりしていて多くあったので、小学生低学年ほどの小さな児童などは簡単に隠れてしまえる空間が随所にあった。
 少なくとも日中は施錠もされておらず、大らかな当時は木製の引き戸すら開け放されていて、休み時間などは児童が自由に出入りできていたように覚えている。現代で考えると危険の大きい空間なのだが、少なくとも私が在校中は事件などはなく不思議と問題視されることはなかった。木枠の窓ガラスから冬の晴れ間の陽射しが差し込む中で独特の空間が居心地が良くて、しばしば出入りしていたことが思い返される。
 どこぞの宮殿のような広くてしっかりした造りの階段とその下の倉庫、後付けで増設された建物を繋ぐ廊下の不自然な形状、大人数の児童に対応する大きくて工場のような給食調理室の雰囲気など、ハリーポッターの魔法学校に見るような空間が随所にリアルにあって、それはどれも現代の小学校よりも深みを感じる大人びた雰囲気であったので、情操の形成にも少なからず影響していたのではないだろうか。自分の子供が通う小学校の面白みも何にもないような校舎を見ては何時も思っていたものだ。
 単に懐古主義という事でなくて、普遍的かむしろ新しい価値として、特に子供がふれる施設や設備の個性が見直されるようにならないかと無責任に感じる今日この頃だ。

(「柏崎こども時代13「ワンダーランド比角小学校(その1)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた実家暮らしこども時代の思い出話「柏崎こども時代14「ワンダーランド比角小学校(その2)」」に続きます。)
☆ツイッターで平日ほぼ毎日の昼休みにつぶやき続けてます。
https://twitter.com/rinosahibea
☆新潟久紀ブログ版で連載やってます。
 ①「へたれ県職員の回顧録」の初回はこちら
 ②「空き家で地元振興」の初回はこちら
 ③「ほのぼの日記」の一覧はこちら
 ➃「つぶやき」のアーカイブスはこちら
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「回顧録」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事