新潟久紀ブログ版retrospective

柏崎中学生時代7「先生、バスケがしたいです(その4)」

●先生、バスケがしたいです(その4)

 昭和52年に柏崎市立第二中学校のバスケットボール部で新入部員として受けた通称”基礎練習”、実質”シゴキ”についての具体は枚挙にいとまがないのだが、全国的に恐らく標準であった”昭和のスポ根”のいわば黒歴史であり、令和の今にほじくり返すのは詮無いように思える。そして、内容の良し悪しはともかく、その結果として私は、入部の最大の目的だった肥満体型から脱却できたことに加え、随分と心身ともに打たれ強くなったので、最初の一年間に何らネガティブに思う事はない。
 同学年の部員の中には、自分が受けた仕打ちの腹いせのように、上級生になったら新入生に同じ事をしてやると息巻いていた者もいたと思うが、私は自分自身の目的が果たされていたし、効果が疑わしい特訓や意味のない歌唱など不条理な事をするのは何かとてもバカバカしく思えていたので、シゴキがPTAで問題となり、私達が二年生になるのと併せて"禁止のお触れ”が出されたことで、面倒が減ってやっとボールに触れることになり、バスケットボールに専念出来てかえって良かったと思っていた。
 しかし、生まれ変わった二年生の私達は少しフランクで優しすぎたかもしれない。初めて受け入れた下級生である新一年生のバスケ部員達には生意気な態度が横行してしまい、また、放任過ぎると受け止めもされたのか、早々と辞めていく者もいた。大きな緊張が無くなると、自由と思い込んでいる緩みが、良い意味での統率まで劣化させてしまうのは、日本の片田舎の弱小運動部も世界情勢においても変わらない"ヒトの普遍の業"に思える。
 悩ましかった肥満の解消という「横幅」絡みのみならず、身長という「縦尺」においても、思い切って飛び込んだ運動部の特にバスケットボールは大変な効用をもたらしてくれた。
 一年生の春先に履いていた靴は24.5cmだったのが、年度末には27cmになっていた。先ず足のサイズが大きくなって驚いた次に背がグングンと伸び始め、150cm前後だったのが一年間ほどで170cm以上に急成長した。小学六年生の頃は見上げていた同級生の女子は成長が早くも鈍化していたようで、知らぬ間に見下ろすようになっている事に我ながら驚いたものだ。
 短期間での急伸は身体にも歪をもたらす。足の膝上下やモモのあたりに身割れが幾つも生じ、急激な負担を受けた膝にたまった水を医者で抜いてもらったりもした。しかし、そうした痛みは背が伸びる嬉しさ誇らしさに比べれば何の苦にもならなかった。身体を上に伸ばす運動の多いバスケは長身化には効果覿面(てきめん)だったのだ。
 一年足らずで凄い速さで身体が大きくなっていくと、それを見込んで大き目のサイズにしていた制服ですらもパンパンになってきた。私の兄も陸上部などのおかげか中学時代に大きく背を伸ばしたので、そのお古を着まわせないかと考えてみるが、6歳も年が離れていて使い込まれた制服は随分以前に処分済だった。それでも学生服というのは意外に高価である上に使うのも中学時代のあと一年少し。ここで新品を買うのはためらわれる。
 古着の売買など一般的でなかった時代なので、知人同士の融通し合いということになり、裕福でない我家を切り盛りする我が母は、同僚の子息の使い古しを入手できないかと勤める鉄工所で聞きまわってくれたようだ。懇意にしていた人の息子が第二中学校のしかも私の一年上の先輩であり、当人も成長著しくて一年程で着れなくなった制服をもったいなく思っていたとのことで、我が家に譲ってくれるという。
 小中学校で使う教材や資料など元々どんな物でも実の兄、しかも6歳上の兄のお古で凌いできた私は、お下がりを使うことには何の抵抗もなかったのだが、一つ上の先輩がつい最近まで着ていた比較的新しめの制服を頂けるとなれば素直に有難くて嬉しかった。
 ご恵与くださる同僚の名を聴けば心当たりのある苗字。よもやと思いその家に住む先輩のことを聞いてみると、なんと同じバスケットボール部の一つ上級生の方だったので驚いた。
 一つ上級生といえばシゴキを与えてくれた見た目もチョイ悪な二人組が強烈な存在だったのだが、それ以外にバスケが本当に上手くて尊敬できる先輩が何人か居た。学生服を譲ってくれるのは尊敬できるタイプの一人なので安堵と共に嬉しかったものだ。
 ただ、彼も見た目はやや強面の角刈りでヤクザ映画に出て来そうな感じだったので近寄り難くもあったのだが、他の部員達が居ないところで恐る恐るお礼を申し上げると、破顔一笑で「我儘で買ったのに直ぐに着られなくしてもったいなく思っていたので丁度良かった」と爽やかに答えてくれた。
 「我儘で…」という言葉は学生服を貰ってみて意味が分かった。当時ツッパリ気味の生徒達御用達だったのだが、裏地に少し”やんちゃ”な刺繍が施されており、割高価格だったに違いない。この先輩は強面で角刈りの見た目に違わず仁侠スピリット(?)を心に宿す"漢(おとこ)"だったのだ。

(「柏崎中学生時代7「先生、バスケがしたいです(その4)」」終わり。「柏崎中学生時代8「先生、バスケがしたいです(その5)」」続きます。)
小学生時代までの「柏崎こども時代」(全46話)はこちら
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