●覚醒の日は来た(その2)
小学校での放課後のイベントはトーナメント方式でもあり、負けたチームは体育館に残って観戦するか下校するかのいずれかであったのだが、敗者となった我々のクラスは誰が言いだすでもなく何故か外の校庭に飛び出して、そのボールゲームをクラスメイトだけで敵味方に分かれて続けはじめた。不本意な負け判定による不完全燃焼の感じが我慢できないという思いが皆同じだったのだ。
体育館で続く決勝に向けた残り試合から聞こえてくるボールの打音や歓声が漏れ聞こえてくる中で、広い校庭に我がクラスの8人ほどのみが黙々とボールを打ち合い続けていた。「あれは反則だったよな」「全くひどいよね」などと憂さ晴らしをしていたが、晩秋の夕方で次第に肌寒くなってくる中、メンバーが帰宅すると言っては一人抜け二人抜けと、次第に減っていき、運動神経のいい者だけがコートに残りつつある中で、私も自然と押し出されるようにプレーの切れのいいタイミングでコートから離れて、帰り支度のために教室のある校舎へゆるりと引き上げた。
2階にある薄暗い教室に入ると私一人だけで、窓からは僅かな人数となって未だにボールを打ち続ける級友を見下ろせたが、いつまでもゲームの不正に憤り続け飽き足らずにプレイをやり続けている彼らが急に羨ましいような気持ちになった。自分はどうしてああも何かに夢中になったり続けたりできないのだろうかと。
その感情は転じて、何故彼らは先ほど私が”戦線”を離脱するに際して引き留めなかったのだろうという疑問で沸々となってきた。振り返れば思い当たる局面が頭に浮かんできた。私はどこか軽んじられているというか見下されているのではないかと落雷のように頭をよぎるものがあった。私にはもっとやれることがあるだろうし、やれないだろうと思われていることを見返さなくてはならない。今思うと我ながら脈絡が感じられないのだが、当時の私には整然と一本筋の通った感情の奔流のようであったと記憶している。そんな強い感情が急激に異常な強さをもって私の心の奥底から湧き上がってきたのだ。
昨日までと明日からは自分は違うようになるかも知れないと覚醒するかのようだったその時の不思議な感覚と目に映っていた校庭の場面は、その後、中学生活でハードな部活に耐えたり進学や就職のための試験勉強などで辛苦を感じる時などに、つい昨日あった出来事のように夢に見たり脳裏に浮かんできたりしたものだ。
半世紀近くが過ぎた今、脳内でそうしたリプレイが起こらないのは、もう人生に新しい進展は望めないかかのようで寂しいようでもあるし、穏やかに過ごしていいんだよと内なる自分に諭されているようでもあって感慨深い。
(「柏崎こども時代26「覚醒の日は来た(その2)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた実家暮らしこども時代の思い出話「柏崎こども時代27「野球は早めに挫折」」に続きます。)
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