涙も出なくなった頃、
長く生きた人は、その源の愛を感じながら自分が愛と反対のものも注いできたことに気づくのでした。
たくさんの主義主張や思想への敵対や悪いと決めつける心、嫌いな人を別視する心など分離を選択する思いなど
たくさんの愛と反対のものが浮かんできたのです。
あの時、あの個人の組織の欠点を何人かで言いながら笑っていた自分...
あの時、自分の思想と違う人を疎外していた自分...
あの時、感情だけで違う人だと分けていた自分...
あの時、理解しあえないと諦め背を向けていた自分..
あの時、傷つけられたと思いずっと許していない自分..
まだまだ、出てくるのでした
。
でも長く生きた人は、思うのでした。そんなことは生きていればあることであり、ここまで来て自分を責めても切りがない。
そう思い愛でないものを注いでしまったことには、愛を注ぎ愛で満たすしかないと思うのでした。
そして、思い出す限りの愛でないものを注いだことに自分の力の限りの愛を注ぎだしたのでした。
その作業を意識の中で続けていると、自分自身にたくさんの愛が源から注がれ枯渇することは、ありませんでした。
どのくらい過ぎたのかは、わかりませんが長く生きた人は、自分は長くなんて生きていなかったのだと思うのでした。
自分は、目的を失いかけて
長く生き過ぎたと錯覚していただけなのだと思うようになったのでした。
長く生きたと思っていた人は
それから、朝に晩に
様々な人に
生き物に
事象に
地球に太陽に
宇宙に源に
そして多次元の自分に
愛を注ぎながら生きるようになったのでした。
そうしながら
長く生きたと思っていた人は
自分は、まだ少しの人生しか歩んでいなかったと思えるのでした。
それからは、毎日を丁寧にすべてを慈しみ育み尊び、すべてに感謝して生きるようになったのでした。
その人は、いつしか年齢も忘れてしまいました。
ある時、ふっと鏡を見るとそこには、優しい顔をした青年の姿があったのでした..
長く生きたと思っていたその人は、時空を超えて生きるようになっていたのでした..
そして、その人は多くの命を活性化させる役割りを自ら望んでするようになっていたのでした。
それは、遠い昔から決めていたことでもあったのだとその人は、深淵な思いでふりかえるのでした。
長く生きた人は、その源の愛を感じながら自分が愛と反対のものも注いできたことに気づくのでした。
たくさんの主義主張や思想への敵対や悪いと決めつける心、嫌いな人を別視する心など分離を選択する思いなど
たくさんの愛と反対のものが浮かんできたのです。
あの時、あの個人の組織の欠点を何人かで言いながら笑っていた自分...
あの時、自分の思想と違う人を疎外していた自分...
あの時、感情だけで違う人だと分けていた自分...
あの時、理解しあえないと諦め背を向けていた自分..
あの時、傷つけられたと思いずっと許していない自分..
まだまだ、出てくるのでした
。
でも長く生きた人は、思うのでした。そんなことは生きていればあることであり、ここまで来て自分を責めても切りがない。
そう思い愛でないものを注いでしまったことには、愛を注ぎ愛で満たすしかないと思うのでした。
そして、思い出す限りの愛でないものを注いだことに自分の力の限りの愛を注ぎだしたのでした。
その作業を意識の中で続けていると、自分自身にたくさんの愛が源から注がれ枯渇することは、ありませんでした。
どのくらい過ぎたのかは、わかりませんが長く生きた人は、自分は長くなんて生きていなかったのだと思うのでした。
自分は、目的を失いかけて
長く生き過ぎたと錯覚していただけなのだと思うようになったのでした。
長く生きたと思っていた人は
それから、朝に晩に
様々な人に
生き物に
事象に
地球に太陽に
宇宙に源に
そして多次元の自分に
愛を注ぎながら生きるようになったのでした。
そうしながら
長く生きたと思っていた人は
自分は、まだ少しの人生しか歩んでいなかったと思えるのでした。
それからは、毎日を丁寧にすべてを慈しみ育み尊び、すべてに感謝して生きるようになったのでした。
その人は、いつしか年齢も忘れてしまいました。
ある時、ふっと鏡を見るとそこには、優しい顔をした青年の姿があったのでした..
長く生きたと思っていたその人は、時空を超えて生きるようになっていたのでした..
そして、その人は多くの命を活性化させる役割りを自ら望んでするようになっていたのでした。
それは、遠い昔から決めていたことでもあったのだとその人は、深淵な思いでふりかえるのでした。