昨日までの足元ユラユラ感は、少なくなりました。
芽吹き始めたミナサン
昨夕の福島沖M5·3である程度、地球がエネルギーを放出したのでしょうか?
日本列島の中で、こうした役割を果たして下さる土地の意識に感謝するだけです。
地震の多い日本に生まれて来た日本人は、魂の中で承知しているのではないかと思えるほど、地震に対して覚悟があるように感じるのは、私だけでしょうか?
地震に対して不安や恐怖があるのは、もちろんですが、地球という生きている惑星に対して自然を愛し尊敬し大切にしている、、温泉や地熱などに感謝して生きているのが日本人。
これは、限られた国土の中で長年、自然(地球)と共存しながら培って来た歴史があるからかと思います。
そこから逃げることなく、工夫して覚悟を決めて生きているわけです。
春分2日前の今朝は、あまり思い出すことのなかったアチラに逝かれたたくさんの親族に想いを馳せ
、ここまで守護し繋いでくれたことにあらためて、感謝していました。
やはり、お彼岸に入りアチラが近くなっているのでしょうか、、
と、言いましても私は墓参りも仏壇参りもしないのです
www
と、言いますか形式は、重視していないと言うことです。
自宅には、仏壇も神棚もありません。
でも、アチコチに質素なお花を活けています。
アチラに逝かれたお御霊には、いつでも自分の心の中から話しかけることをしています。
毎日などしませんが、、
それは、それでアチラに失礼かと思いますwww
アチラに逝かれたばかりの頃からコチラの自分の心が穏やかになるまでは、毎日語りかけていましたが、、
私くらいの年齢になりますと親族は、ずいぶん少なくなります。
親族とは、血筋、、つまりDNA繋がりです。これは、同じ目的を持ちながら繋げてきているもの、つまりテーマがあると捉えています。
そういう意味では、そのテーマを経験し学びたい魂は、そこに産まれてくる、、
そういうこともあるかと思います。
これは、血筋がないと他人?と言う捉え方ではなく、他人でもそのテーマを助けるために結婚したりする場合もたくさん、あるかと思います。
全ての意識は繋がっていてワンネスであると思えば、血筋は、テーマという個性の違いなのだと思うわけです。
春分を前に、このようなテーマを思うと人の長い歴史の営みの厳粛さや深淵さにあらためて、魂が震える感じがしています。
芽吹き始めたミナサン