先日、「愛するということ」というタイトルで、
石井ゆかりさんが日記を書いてらした。
”友人まで公開”になっていたので、
その内容には触れないけれど、
その日記をよんで感じたことを記しておきたいと思う。
10代の後半、ずっとすきな人がいた。
その人とは遠距離で、ポケベルも携帯もない時代、
当時は文通!をしていたりした。
彼のことは、気づけば何年も思い続けていたのだけれど、
何の因果か、彼の親友が私のことを思っていてくれたこともあって、
ずっと友達という一線は越えられなかった。
誰もが思いを告げないけれど、
誰もがお互いの思いをわかっていた、の?
憎からずは思ってくれているだろうことは感じていたけれど、
私には、彼がどう思っているか分からなかったし、
いっそ、彼の親友がきちんと私に思いを告げてくれれば、
きっぱりと「ごめんなさい」を告げることもできるのに!と思っていたけれど、
3人の関係は不安定なトライアングルのまま、月日は流れた。
ずっと、好きで好きで・・・
今となっては、彼のどこがそんなに好きだったのかよくわからない。
叶わない思いに、意地になっていただけかもしれない。
私がたまたま東京の友達のところに遊びに行っている時に、
彼も出張で東京に来ると聞いて、
彼の空いている時間に、ふたりでディズニーランドに行ったりもした。
彼の親友には、彼からそのことを話していた。
まるで、やましいことは何もないとでもいうように。
微妙な三角関係は、私と彼が付き合うという形で終わりを告げた。
だけど、あれほど好きだった彼との仲は、
その後、あっけなく終わった。
私からサヨナラをいう形で。
彼とその親友は、本当にお互いを大切にしていた。
何年ものつき合いで、それがよくわかっていたからこそつらかった。
そのつらさに耐えられなかったし、
本当にこれでいいのか?と苦しんだ。
彼に恋していたあの頃、私の話を聞いてくれる人がいたとしたら、
私の話は、自分のことばかりで、
彼の姿が浮かばなかったのではないかと今は思う。
本当の愛とは、きちんと相手のことが浮かんでくるものなのだ。
何年想っていたとか、どれだけ苦しんだかとか、
そんなことじゃないんだよね。
時を重ね、
今なら「本当に愛する」といことが、
少しだけど、分かるような気がする。
だから今、幼かった恋にサヨナラがいえる。
石井ゆかりさんが日記を書いてらした。
”友人まで公開”になっていたので、
その内容には触れないけれど、
その日記をよんで感じたことを記しておきたいと思う。
10代の後半、ずっとすきな人がいた。
その人とは遠距離で、ポケベルも携帯もない時代、
当時は文通!をしていたりした。
彼のことは、気づけば何年も思い続けていたのだけれど、
何の因果か、彼の親友が私のことを思っていてくれたこともあって、
ずっと友達という一線は越えられなかった。
誰もが思いを告げないけれど、
誰もがお互いの思いをわかっていた、の?
憎からずは思ってくれているだろうことは感じていたけれど、
私には、彼がどう思っているか分からなかったし、
いっそ、彼の親友がきちんと私に思いを告げてくれれば、
きっぱりと「ごめんなさい」を告げることもできるのに!と思っていたけれど、
3人の関係は不安定なトライアングルのまま、月日は流れた。
ずっと、好きで好きで・・・
今となっては、彼のどこがそんなに好きだったのかよくわからない。
叶わない思いに、意地になっていただけかもしれない。
私がたまたま東京の友達のところに遊びに行っている時に、
彼も出張で東京に来ると聞いて、
彼の空いている時間に、ふたりでディズニーランドに行ったりもした。
彼の親友には、彼からそのことを話していた。
まるで、やましいことは何もないとでもいうように。
微妙な三角関係は、私と彼が付き合うという形で終わりを告げた。
だけど、あれほど好きだった彼との仲は、
その後、あっけなく終わった。
私からサヨナラをいう形で。
彼とその親友は、本当にお互いを大切にしていた。
何年ものつき合いで、それがよくわかっていたからこそつらかった。
そのつらさに耐えられなかったし、
本当にこれでいいのか?と苦しんだ。
彼に恋していたあの頃、私の話を聞いてくれる人がいたとしたら、
私の話は、自分のことばかりで、
彼の姿が浮かばなかったのではないかと今は思う。
本当の愛とは、きちんと相手のことが浮かんでくるものなのだ。
何年想っていたとか、どれだけ苦しんだかとか、
そんなことじゃないんだよね。
時を重ね、
今なら「本当に愛する」といことが、
少しだけど、分かるような気がする。
だから今、幼かった恋にサヨナラがいえる。