卒業してから早20年。
区切りとなる同窓会に出席してきた。
気の置けない仲間とは、年に2回くらい定期的に集まっているのだけれど、
それとは別に5年おきに学年全体の同窓会が開かれている。
毎度毎度、お世話どりしてくれる感じの面々には感謝しきり。
今年は特に20年という節目でもあり、
先生方もお招きして、今まで連絡がつかなかった同級生にも、
何とかして連絡をつけようとつながっていったのもあって、
前回の倍くらい?全体の半分くらいの人数が集まっていました。
20年経っても、みんな本当に変わらない!
そりゃ20年もたつと、みんな人生いろいろだけど、
挨拶の時に先生がいった
「20年経って、こういう場にちゃんと顔を出せるっていうことが、
ちゃんと人生を歩んできているってこと」
って言葉が妙に胸に届いた。
20年の間に何がどうなって、どういう風になっていたとしても、
こうしてみんなで顔をあわせれば、それでよし!という気がする。
卒業まではある意味みんな同じ道を歩いてきたけど、
卒業と同時に進む道は違っていった。
みんなそれぞれ普段は、
パパやママの顔だったり、夫や妻の顔だったり、職場での顔や、地域の顔、
いろんな顔を持っているんだろうけど、
ここにくれば、「自分」というひとりの人と向かい合える。
自分がどんな人生を歩んできたかも振り返ることができる。
それは決して100点満点じゃないんだけど、
だからこそ、私、頑張って生きてんなぁとかって思う(笑)
ある小説の中で、
『生きていくってことは恥ずかしいことなんだ。
たくさん失敗して、情けなくって、あんなことはもうたくさんって思うのに、
自分の周りには、その時の自分と同じようなことをしている若い奴がいて。
だから、ついつい良かれと思って口をはさんでしまったりするけど、
当時、自分がそういったアドバイスをきけなかったのと同じように
やっぱりきいてもらえなくって、
同じような失敗をして、悩んで、苦しんで。
それを見ているってことは、とてつもなく恥ずかしい。
人生とはそれに向かい合うことなんだ。』
みたいなことが書いてあって。
今、当時を振り返ると、本当になんだかなぁと、
その不器用さや融通のきかなさ、
振りかざしていた正義感に苦笑してしまうのだけれど、
あの時はあのときで、それが精一杯だったなぁって。
20年経っても覚えている小さなエピソードというのは結構あって。
それを語り合えるのは、同じ時を生きていた証。
その瞬間を、その一言を覚えていたというのは、
確かにそのとき、その人のことをしっかりと心に受け止めていたという
『存在承認』でもあると思う。
この20年の間に、先に旅立ってしまった子がふたりいる。
いつになくグラスを傾けながら、
彼らもこの輪の中にいるようで・・・
笑顔も「よぉ!久しぶり。元気してたか?」といっている姿も目に浮かぶのに、
でもやっぱりいないんだなぁと思うと、ちょっとうるっときた。
東京でのお葬式の時のこと、
納骨の時にみんなで集まった時のこと、
後日、彼が亡くなったのを聞いた時のこと、
彼のことを誰もが笑顔で語っていた。
そうそう頻繁には会えないけれど、
いいところも悪いところもひっくるめて分かりあっている仲間との関係は、
他の何にも代え難くって、
これからも大事にしたいって、改めて思った。
区切りとなる同窓会に出席してきた。
気の置けない仲間とは、年に2回くらい定期的に集まっているのだけれど、
それとは別に5年おきに学年全体の同窓会が開かれている。
毎度毎度、お世話どりしてくれる感じの面々には感謝しきり。
今年は特に20年という節目でもあり、
先生方もお招きして、今まで連絡がつかなかった同級生にも、
何とかして連絡をつけようとつながっていったのもあって、
前回の倍くらい?全体の半分くらいの人数が集まっていました。
20年経っても、みんな本当に変わらない!
そりゃ20年もたつと、みんな人生いろいろだけど、
挨拶の時に先生がいった
「20年経って、こういう場にちゃんと顔を出せるっていうことが、
ちゃんと人生を歩んできているってこと」
って言葉が妙に胸に届いた。
20年の間に何がどうなって、どういう風になっていたとしても、
こうしてみんなで顔をあわせれば、それでよし!という気がする。
卒業まではある意味みんな同じ道を歩いてきたけど、
卒業と同時に進む道は違っていった。
みんなそれぞれ普段は、
パパやママの顔だったり、夫や妻の顔だったり、職場での顔や、地域の顔、
いろんな顔を持っているんだろうけど、
ここにくれば、「自分」というひとりの人と向かい合える。
自分がどんな人生を歩んできたかも振り返ることができる。
それは決して100点満点じゃないんだけど、
だからこそ、私、頑張って生きてんなぁとかって思う(笑)
ある小説の中で、
『生きていくってことは恥ずかしいことなんだ。
たくさん失敗して、情けなくって、あんなことはもうたくさんって思うのに、
自分の周りには、その時の自分と同じようなことをしている若い奴がいて。
だから、ついつい良かれと思って口をはさんでしまったりするけど、
当時、自分がそういったアドバイスをきけなかったのと同じように
やっぱりきいてもらえなくって、
同じような失敗をして、悩んで、苦しんで。
それを見ているってことは、とてつもなく恥ずかしい。
人生とはそれに向かい合うことなんだ。』
みたいなことが書いてあって。
今、当時を振り返ると、本当になんだかなぁと、
その不器用さや融通のきかなさ、
振りかざしていた正義感に苦笑してしまうのだけれど、
あの時はあのときで、それが精一杯だったなぁって。
20年経っても覚えている小さなエピソードというのは結構あって。
それを語り合えるのは、同じ時を生きていた証。
その瞬間を、その一言を覚えていたというのは、
確かにそのとき、その人のことをしっかりと心に受け止めていたという
『存在承認』でもあると思う。
この20年の間に、先に旅立ってしまった子がふたりいる。
いつになくグラスを傾けながら、
彼らもこの輪の中にいるようで・・・
笑顔も「よぉ!久しぶり。元気してたか?」といっている姿も目に浮かぶのに、
でもやっぱりいないんだなぁと思うと、ちょっとうるっときた。
東京でのお葬式の時のこと、
納骨の時にみんなで集まった時のこと、
後日、彼が亡くなったのを聞いた時のこと、
彼のことを誰もが笑顔で語っていた。
そうそう頻繁には会えないけれど、
いいところも悪いところもひっくるめて分かりあっている仲間との関係は、
他の何にも代え難くって、
これからも大事にしたいって、改めて思った。