皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

「愛子天皇」を見たい(北原みのり氏の記事を読んで)

2024-06-05 22:24:54 | 皇室の話(3)
メディアにおける皇室関係の記事はいい加減なものが多く、読んでいるとつい批判したくなり、その結果、心がすさんだような感じになってしまうのだが、素晴らしい記事も存在する。

少し前の記事ではあるのだが、令和4年12月7日、AERAdot.配信の「「愛子天皇」を見たいムードがこの国にはある 大変な運命の下に生まれた女性から目が離せない」と題する北原みのり氏の記事がある。

北原氏は独自の視点で皇室についても読み応えのある記事を書いてきた方であるが、今回の記事は、愛子内親王殿下の存在感を非常に上手く表現しており、筆者は非常に共感できた。

-----引用開始-----
どうかこのまますくすくとご自身の道を歩いていただきたい。できれば天皇になってほしい。いや、ご本人がなりたくないならならなくていい、幸せに生きてほしい。「生きのびてくれて、ありがとう」という気持ちになったのだ。
-----引用終了-----

-----引用開始-----
愛子内親王。日本の近現代史上初めて、時代の流れによっては、「天皇」という地位に最も近い場所に立つ女性。成年記者会見の言葉からは、愛子内親王にとって皇室は重荷ではなく家業のように受け継ぐもの、というような意思を感じたものだが、20代を今後どのように過ごされていくのだろう。
-----引用終了-----

なかなかぐっとくる文章が次々と出てくる。

酷い記事を読んで疲れてしまった方には、一読をお勧めしたい。
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つまらない揶揄

2024-06-05 22:01:24 | 皇室の話(3)
令和6年6月5日、現代ビジネス配信の「「皿婆」「政治介入」との批判が…コロナ感染の美智子さまがまったく休まらないワケ」と題する記事がある。

その中に、以下の記載がある。
-----引用開始-----
「美智子様が衆院議長に『(皇位継承に関する議論を)よろしく進めてくださいね』とおっしゃったという週刊新潮の記事について、5月23日の定例会見で宮内庁の西村泰彦長官は力強く否定しました。事実なら大問題とはいえ、あそこまで躍起だったのは美智子様ご本人の意向もあったと考えられます」(皇室担当記者)

「皿婆」と揶揄する人も

これまでも美智子様は、国民からの「見え方」をことのほか気にされてきたという。
「昨年秋ごろから、よくお召しになっているお帽子が小皿のように見えるため、ネット上では美智子様を『皿婆』と揶揄する人が増えており、ご本人の耳にも入っているそうです。今回は政治介入とも取られかねないからこそ、宮内庁も素早く対応したのでしょう」(同前)
-----引用終了-----

お心が休まらないというのは、お気の毒なことだ。

上記のうち、衆議院議長へのお声がけの話については、仮に、そういうお声がけがあったとして、筆者にはあまり気にならない。
ただ、そういう事実がないにも関わらず、実際にあったかのように記事に書かれるというのは、それ自体が御本人にとっては、気味悪く、不快な話であろう。
真実でないことをいろいろ書かれるという辛さは、有名人でなければ実感しにくいことであるが、皇室のことを考える際には、そういう辛さに思いを巡らしてみることも大事だと思う。

「皿婆」については、筆者は河西秀哉氏の記事で知ることとなった。

 河西秀哉氏の逆効果記事
 歴史に刻まれる「皿婆」

時期は、やはり昨年の秋、10月である。
このころから、「皿婆」という表現を用いる者が、ネット上で増えたのであろうか。

ただ、筆者は、ネットニュースを見ることはあるが、「皿婆」という表現を見かけたことは、ほとんど記憶にない。
お帽子について、「小皿帽」という表現は、上皇后陛下のファッションを憧れの対象として紹介する記事で用いられることがあるようだ。
筆者から見ても、確かに珍しいけれども、素敵なお帽子だと思うので、どうか、あまり気になさらないで欲しいと思う。
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