秘密保護法と共謀罪を考える四日市の会

秘密保護法・共謀罪に反対し、その廃止を求めましょう!

4月5日、6日の全国集会に参加しました(その2)

2014年04月08日 | メッセージ
今日は第2日の4月6日、初の全国交流会に参加したメンバーからの報告をお送りします。


 「憲法改悪についての議論がありましたが、安倍政権は国民の声を聞かないので、国民は彼らの欲望のため利用された挙句、使い捨てられています。また、政権に、「守るべきものは何ですか?」とか、問いかけることも必要です。というのも、電車内で母子を見て、重税や秘密法、集団的自衛権などの問題があり、そう思ったからです。(以上、会場で発言した内容。)
 消費税増税も悪政を進める上での必須事項かとも思えます。生活するのがやっとで、それ以外のことを考えることができなくなりますからね。その他、最近は動画でも(安倍政権を批判する)替え歌を観ます。それも山が動いて海に入る前兆だと分析しています。」(Tさん)


「『秘密法に反対する全国ネットワーク』の第1回交流集会が、6日、名古屋市内のウイルあいちで開催され、全国から160名が参加しました。
 全国各地の「強行可決」後の取り組みが報告されましたが、特にすばらしいと思ったのは長野からの報告です。(写真)県下各地で市民グループが運動を強化し、それをゆるやかなネットワークでつなぎ、オール信州でいやだネコバッジを普及して廃止世論を広げる『やだネット長野』の活動、『信濃毎日新聞』への意見広告、『48自治体の廃止意見書』など、我々も参考にできる、市民運動を学びました。」(Oさん)




4月5日、6日の全国集会に参加しました(その1)

2014年04月08日 | メッセージ
 少しご報告が遅れましたが、4月5日、6日に名古屋で行われました「秘密法廃止 ここから」に私たちの会のメンバーが数名参加しましたので、ご報告をしたいと思います。今回は「その1」ということで、初日の講演会に参加した筆者からの報告です。受け取ることが多々あって、長文お許し下さい。


 5日は落合恵子さんの講演会がありました。600名の出席でした。筆者は講演の後購入した絵本にサインと握手をしてもらって、終わってから懇親会には行かない組3人、で初対面にもかかわらず深い話ができたことがとても嬉しかったです。

 講演は「社会の主役は誰?民意から考えるこの国のかたち。」と題して行われました。途中でCD絵本の音楽も流してくださり、とても考えさせられることの多い2時間でした。
 人前で話すのは本当はとっても苦手とおっしゃっていましたが、仰るとおりもともと内気な方なのかもしれないのですが、そういうご自分のことを語ってくださることがうれしく感じられました。
 お話は多岐にわたり、言葉も聞き取りやすく終始生き生きした気持ちで聞けると感じたのですが、ふだんの運動のあり方や人間をどうみるかに対して大切な問いかけがあったように思います。

 冒頭の言葉が何より心に残っています。
「あちこちで話をすることを続け、自らにそれを課してさえいる状態の中で、言いたいことをわたしはワンフレーズで言えるようになってきているのかもしれない。しかし、効率よく要領よく短く伝えられるようになるとき、多くの日常の具体的でちいさな物語を語らずに済ませることになる。実はそれら省かれる些細と見える事柄のうちに本質があるのではないかと思う。」おおよそこのような内容でなかったかと思います。
 丁寧に自分のペースで物事を見る、感じる、種を植えて育てる。芽が出るのを見てここに命があると喜ぶ。ふだんの生活と言われるものの中に、いかにみずみずしく人を活かす、傷を癒やすものがあるか、それを発見する驚き。
(落合さんはしばしば種を植えて発芽を確かめ、喜ぶと言われました。)
 ああ、そういうことを私も楽しみ喜んでいいんだ、いかに機会的に物事を見て情報処理をしてしまっているか、そのことの味気なさを思わされ、このようなひどい時代にあって勝つかどうかわからない戦いを続けて疲れ悩むときに、まだ自分にも回復の手がかりがあるのだと気付かされました。ちなみに、落合さんは集会や講演で遅く帰ってきて疲労を感じるときでもお食事をご自分で作られるそうです。そしてそれに自ら癒やされるということです。
 
 先に運動を始めた人々、先に危機感を持って勉強もし知恵を蓄えた人々が、初めて近づいてくる人や後から運動に加わった人ー未だ知識も少ない人々を、奢りを持って排除することはないか。あるいは少しの違いをもって別れることを繰り返してはいないかという問いかけをいただきました。
あとから来た人を心から歓迎して、一緒にやろうと言う。とても広やかなことです。そして謙遜なことだと思います。

 どうしてもお伝えしたいことは、あなた(がた)は勝ち目があるから戦うのか、そんなけちな了見であなたは運動するのか?それはもはや打算ではないかという問いかけです。私に対して、耳の痛い問いでした。
 さて、私自身がそうですし、おそらくは他の方々も、「どうして、そしていつまで、自分は反対の声を上げ、運動するのか」という問いを自分に向けたことがあるかと思います。
 落合さん自らがたぶんその課題に正面から向き合われたからこその言葉だったでしょう。「勝つか負けるかわからない、でも生き切らなければこの命の甲斐がない。自分のために戦い、抗い続けているのだ。」

 落合さんはクレヨンハウスという本屋さんを39年続けておられるそうです。最近は本屋さんが日本では激減して、半数に減っているということです。ということはどういうことを意味するか。「考える人が半分になった」!ことだそうです。背筋の寒くなる思いです。


 講演を聞いて週明けに知人に誘われて花見に行きました。しばらく桜の木の下で談笑していると、風が吹いてきて桜の花びらがそこここに散ってきました。道路を見ると花弁の一枚一枚は薄いのですが丸い形をしているので、ちょうど運動会の時の輪回しのようにころころと転がっていって、それから横になるのです。小さい一枚ですが張りがあるのでしょう。
 一緒に行った方は大病を患われた方です。共に、見頃の花を見られてリラックスしていろいろお話ができたので、うれしかったです。