6月20日は、同じく総務常任委員会において午前10時から、「集団的自衛権行使容認に反対する意見書」採択を求める請願(九条の会・よっかいち)の意見陳述と審議が行われました。
筆者も傍聴しましたが、大変素晴らしい内容の意見陳述でした。にも関わらず、現在ちょうど審議中の事柄であるとの理由で継続を望む意見が複数出て、賛成議員2名にもかかわらずこの議案は継続扱いとなりました。採決結果は賛成2,反対0、継続5でした。傍聴者は9名でした。この問題は秘密保護法と切り離しては考えられない事柄で、全国でもう100以上の自治体から続々と意見書可決がされているのに、残念であると思いました。以下に陳述者の方の許可を得て、意見陳述原稿を掲載させていただきます。
九条の会・よっかいちの事務局の一員、大野章です。請願者・当会代表呼びかけ人、増原一眞に代わって請願の趣旨説明をさせて頂きます。
提出した「請願趣旨」に若干の補足をいたします。
まず、「立憲主義」の立場から、「集団的自衛権行使容認」を閣議決定で行うことは許されないと言うことについて述べます。
劇作家の井上ひさしさんは、「「明治憲法は『国家』が『国民』に命令する憲法だったが、今の憲法は『国民』が『国家』に命令する憲法だ。即ち、立憲主義とは憲法で国民が政府を縛るものということだ」と言いました。
安倍政権は、「憲法改正」をやりやすくするため、改定条項(憲法96条)を改定して、現行の「衆参両院のそれぞれ3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民投票で過半数の賛成を必要とする」を「衆参両院のそれぞれ2分の1の賛成で、国会が、発議し・・・」に変えようとしました。
これに対しては、「憲法を改正すべし」と言っている人達からも批判が続出しました。
すると、安倍政権は、憲法改正の手続きを全くとらずに、政府の解釈変更によって、歴代政府が営々として守ってきた「憲法解釈」、即ち、「現行憲法下では集団的自衛権の行使は許されない」という立場を180度転換して、「行使容認」に解釈変更しようとし始めました。「国会での議決」も「国民投票」も省略して、行政権だけで行使容認を決めようとすることは「立憲主義」を根底から否定するものです。
委員のみなさんの中には「憲法を変えた方が良い」とお考えの方もあるでしょう。「守るべきだ」という方もみえるでしょう。「集団的自衛権の行使は必要」という方も「行使すべきでない」という方もいらっしゃるでしょう。でも、その立場の違いを越えて、「立憲主義は侵してはならない」「議会制民主主義は守ろう」、「『閣議決定』は許さない」の一点で、この請願に賛同くださるようお願いします。
さて、 『集団的自衛権』とは、自国が攻撃されていなくても、他国が攻撃され、それが「我が国の安全を侵す恐れがある」と政府が判断した時、武力行使ができるというものです。
これについて、安倍政権は、いくつかの事例を挙げていますが、二つに絞って、その根拠がいかに詭弁であるかについて述べます。
その一つは、安倍首相がパネルを示して協調した、「海外で紛争が起こった時、在留邦人を救出して帰国させるためにアメリカ艦船で輸送してもらう際、その船が攻撃されても、自衛隊が出動して守らなくも良いのか」と言った問題です。
これについて、6月16日付けの朝日新聞は、政府関係者の話として「米軍が海外の自国民らを救出する作戦では、国籍による4段階の優先順位があり、米国籍、米国の永住許可証の所有者、イギリス国民の順番で優先順位があり、日本人は最後の『その他』に位置づけられている」ということで、「日本人は救出しない」とアメリカが言っているのに、「邦人が乗っている米艦が攻撃される」というのは、あり得ない虚構だということです。これについては複数の外務省関係者も同様の証言をしており、安倍首相の根拠は、根底から崩れる詭弁にほかなりません。湾岸戦争の時の首相だった海部俊樹さんは、「そんな話は一度も聞いたことがない」と言ってみえます。また、集団的自衛権そのものについても、鳩山内閣の外務大臣だった岡田克也さんは「在任中、アメリカから求められたことは一度もない」と言っておられます。
安倍政権の詭弁は明確です。
もう一つ、「機雷除去」をするには「集団的自衛権」が必要だと述べているのも、詭弁です。安倍首相は「集団的自衛権を行使しても、自衛隊は戦闘地域には行きません」と言っていますが、国際法上「戦闘中の機雷除去は相手国への戦闘行為であり攻撃の対象になる」というのが常識で、この点でも大きな矛盾があり、集団的自衛権行使の根拠が崩れるものです。
さて、「戦争放棄」を定めた憲法の下で、自衛隊が海外に派遣されたのは、小泉内閣の時のイラク戦争でした。このときは「人道支援」という名目で、派遣された自衛隊は後方支援に徹し、一人の戦死者もなく、一人の外国人を殺すこともありませんでした。しかし、あのイラク戦争でアメリカの要請に応じ、「集団的自衛権」発動でイラク戦線に赴いた国々は、多くの戦死者を出しています。「大量破壊兵器をフセイン政権が隠している」とのウソの情報を根拠として始まったあの大義なき戦争は、まさに「集団的自衛権」が招いた悲劇でもあったのです。
いま、戦争と平和を巡る世界情勢は大きく変化しています。武力解決ではなく、話し合い外交、これが主流です。確かに、東アジア情勢は緊迫しています。尖閣、竹島・・・村山富市元首相は「根本原因は安倍さんが作ったんでしょう」と言っていますが、安倍政権の言動にこそ主たる要因があるのではないでしょうか。アメリカ自身も変化しています。今、イラク情勢は緊迫していますが、ブッシュ時代のように、軍事介入には踏み切れていません。ベトナム、アフガン、イラクでの無用な戦争で、幾多の米兵が亡くなり、多くの帰還兵が重症の精神疾患を患い、広く厭戦気分が広がっているからです。これこそ、戦争がもたらした厳しい現実です。
今、述べさせて頂いた、「集団的自衛権行使容認」は、立憲主義を無視して政府の解釈改憲で行ってはならない、と言う点と、安倍政権の示す根拠が虚構のものが多く、かえって「国民の生命と安全」にとって危険だということがら、新聞各紙の社説も、「拙速は避けよ」と警告しています。そして、地方自治体からも、かつてなく大きな声が上がり、多くの首長から、「慎重な対応」を求める意見が寄せられています。隣の鈴鹿市の末松市長もその一人です。多くの地方議会で「集団的自衛権の行使を解釈改憲で容認することに反対する」意見書が採択されてきています。岐阜県議会では、自民党が呼びかけて、意見書が採択されています。四日市市議会においても、是非、「意見書」を決議して頂くよう、心からお願いするところです。
「戦争を知らない世代が政権の中枢にいること自体が危険だ」と与党の自民党・公明党の戦争体験者からも危惧の声があがっています。加藤紘一さん、野中広務さん、古賀誠さん、山崎択さん、河野洋平さん、そおして公明党の草川昭三さんらから、次々と声が上がっています。
私自身も、少年時代の戦争体験者です。軍国少年育成のため、昭和16年に小学校が「国民学校」と変わり、その年に一年生になりました。「サイタ サイタ サクラガ サイタ」が「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」に変わった最初の一年生です。学校では「お国もために立派に戦って死ねる人間になろう」と教わりました。「はい、立派に戦います」と優等生ぶって答えていても、家へ帰ると、押し入れの中にもぐり込み、こわくて、こわくて、しくしく泣いていたものです。富田国民学校では、それはなかったですが、学校によっては、校長先生が、卒業式で「行け、戦え、死ね!」といって送り出したところもあったそうです。個人の幸福を国の犠牲にする誤った教育の下で、多くの若者の命が奪われました。国家が国民に命令する憲法の下でのあの忌まわしい時代が、今日ほど、「今」と重なることはありません。しかも、あの過ちが、今度は「国民」が「国家」を縛る民主主義の時代に繰り返されて良いのでしょうか。最後に、戦争中、教え子を戦場に送った、高知県の竹本源治という教師の「戦死せる教え子よ」という詩を朗読して締めくくります。
戦死せる教え子よ(竹本源治)
逝いて還らぬ教え子よ
私の手は血まみれだ
君を縊ったその綱の
端を私は持っていた
しかも人の子の師の名において
嗚呼!
「お互いにだまされていた」の言い訳が
なんでできよう
慚愧、悔恨、懺悔を重ねても
それが何の償いになろう
逝った君はもう還らない
今ぞ私は
汚濁の手をすすぎ
涙をはらって君の墓標に誓う
「繰り返さぬぞ絶対に!」
ありがとうございました。