Saxophonist 宮地スグル公式ブログ

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音楽の未来について語ろう。

2020年03月19日 01時50分00秒 | music

新型コロナウィルスのせいで一部仕事が出来ず、妄想してると色々頭を駆け巡った。


音楽の未来について今日は語ろう。少しSFチックになるけど。


最近の小学生の将来の夢のランキングの上位にユーチューバーが挙がってるとか。およしなさい。恐らく、5年か、まぁ遅くとも10年以内にはそんな職業(僕は職業と認めてないけど)は無くなるだろうから。なぜなら、そこには「文化」が無いから。


あれって、スマホでインスタントで観れる、使い捨ての情報だったり、どうでも良い面白動画じゃん…(ま、僕にとっちゃ面白くもなんとも無いけど)。情報ったって誰でも知ってる、或いはどっかで聞いた事の有る情報をコピペして垂れ流してる「まとめサイト」と全く同じ臭いがする。


視聴者数を稼がなきゃ課金されないシステムなんて、遅かれ早かれネタが尽きて疲弊する。自分の本職のサックスとかジャズには興味有るし、知らない音源を見つける上ではYouTubeはとても役に立つけど、レッスン動画とかを観ても少数を除いては真新しい発見は殆ど無い。我が師匠のJerry Bergonziのレッスン動画(ダイジェストだけど)は目を見張るものが有り、流石!って思ったけど、中々そういうレッスン動画に当たる事は少ない。


何を隠そう、誰もレッスン動画なんか流してなく、スマホもそれ程普及してなかった11年前(て事は2009年になるか。)に、ふと天からアイデアが降りてきて、レッスン動画を上げたら、9万弱のアクセスが有り、今だにその動画を観てレッスンを受けに来る生徒さんが居る。自慢じゃ無いけど僕は先駆者だ。その後、真似する人が続々現れて行くのだけど。でも、それで金儲けしようなんて思わなかったし、興味が無かった。目的はレッスン生を増やす事だったし。


僕にとってレッスンとは文化を伝える事だ。ジャズは難しいと思う。その楽しみ方は独特だ。だから、楽しみ方を伝えたいと強く思う。一方、昨今のレッスン動画を観ると、手っ取り早く上手くなる方法とか、とても浅い内容が多くて辟易する。まぁ、それでも可愛いお姉ちゃんがサックスのレクチャーする動画は観ちゃうし(笑)、内容が皆無でも、「簡単に上手くなれる」みたいなキーワードが理由で視聴者数が多いのは分からないでもない。でもね、そこには「文化」は無いし、ネタなんてのはいずれ疲弊するのですよ。タダで学べるものなんてそうそう無い。僕もレッスンのコアな部分はお金を払ってくれる生徒さんにしか教えないもの。


今日、社会人の生徒さんに、「Udemy」という、eラーニングのプラットフォームを提供するサービスを教えて貰ったんだけど、少し調べてみたら、ちゃんと課金されるシステムで、今、ユーチューバーを名乗ってる人でも、本当に技術の有る人や頭の良い人は、試運転としてYouTubeを利用してるに過ぎず、いずれは全てこういう形で情報提供されるのが当たり前になると思う。


レッスンも、必死で作った音楽そのものも、いつまでもタダで得られると思ったら大間違い。ミュージシャンだってそれほど馬鹿じゃない。


demyに自分が参加するかどうかは今は未定だけど、世界中に生徒が出来る可能性が有るわけだし、英語も勉強しとかなきゃになるのかなぁとは思う。今はスカイプ・レッスンで対応している。で、音楽配信は色々試した結果、Gumroadというシステムを使って既に販売してるし、もう、レコード会社を通して販売実績とかを気にしながら、音源を売る時代は終わったと思う。個人が独自に好きなものを売れる時代の到来だ。


レッスンも5G6Gになり速度が速まれば、スカイプ・レッスンでも僕がピアノを弾いて、オンラインの生徒がサックスを吹くっていう、ごく普通のレッスンが可能になるだろうし、ジャム・セッションだって、店に集まらなくても各自の練習室からオンラインで参加する事が可能になるだろう。そう、スカイプで会議するかの様に。そうなると世界中の人とセッション出来るし、ライブ中にサプライズゲストがネットで参加!なんて事も可能になるだろう。


ただ、それで懸念するのは、「生音の良さ」を理解出来ない人間が増えたり、ライブハウスが消えてしまう事だ。生音とは空気の振動であって、耳だけではなく、身体で感じるものだ。その楽しさや興奮を後世に伝える義務が我々の世代には有ると思う。もしかしたら、音を吸収して振動をデジタル化し、PCなどで復元出来るシステムが開発されるかも知れない。でも、それでも生音はいいと未来の人間に思って貰いたい。


ちょっと前に、ライブのお客様でデジタル音源の素晴らしさを力説してる方がいらっしゃった。映像では4Kの時代で相当進んでるのに、音楽の方は遅れてるとも仰ってた。ハイレゾ化された音源は、それぞれの楽器が何やってるのかハッキリと分離されて聴けるから良いのだとの意見。だけど、僕にとってはそれは不自然なのだ。だってライブ会場でそれぞれの楽器に耳を当てて同時に聴くことなんて不可能なんだから。


所詮、アナログであるレコードも、Bassは聴こえやすく大きな音でミックスされてるから、昔からバーチャル・リアリティーの様な作りにはなっている。しかし、あくまでスピーカーで鳴らした時に、ライブ会場で聴こえる状況に近いものという前提で作られてるし、それが僕にとってとても心地良いのだ。それぞれの楽器の細部をクリアに聴きたいなんて思わない。でも、そういう音質を求める人といくら激論しても通じ合わないのは分かってるから、黙ってるしかない。


なんか、この様な感じで、生音の良さを知る者と知らない者とで価値観が違って、分かり合えない様な事態が来ると、凄く寂しくなるなとは思う。


生音はライブハウスでしか体現出来ないし、生音を自宅で再現出来るシステムが生まれても、マンションなど集合住宅でその再現が可能か?という話にもなってくるし、また、そこまで自宅を離れない個人主義が進行すると、人間の社会性とかにも影響を及ぼす可能性がある。


このコロナ騒動で、多くの会社がリモート・ワークを選択したけど、それでも上司の決済のハンコを貰いに出社したという笑い話が有るくらい、日本は社会生活の極端な変化を嫌う国民性が有る。ま、そのおかげで、オワコンのCDが今だに売れて助かるんだけど。(笑) そのガラパゴス具合はアメリカと国交を絶っていたキューバと変わらないと思う。でも、それが決して悪い事じゃないと思う。


技術革新によって得られるものは沢山有るだろうし、その進歩に付いて行かなければ、我々ミュージシャンも食い扶持が無くなるだろう。だから、常に考えながらアクションを起こす必要がある。でも、芸術に携わる者として、一方では技術革新とは無関係に伝統を守る必要もある。それは自分自身だけではなく、人を教育するという義務も担っている。


しかし、例え技術がめちゃくちゃ進んだとしても、オーケストラの様な大人数で、タイム感がデジタルではなく、指揮者と共に呼吸しながら、お互いの小さな呼吸音を聞きながら進めて行く様な音楽だと、先程述べたオンライン上のジャム・セッションの様には行かないだろう。最後はマンパワーなのだ。


だから、僕は生音を聴く文化は必ず後世に残ると思っている。


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