Saxophonist 宮地スグル公式ブログ

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「モノよりヒト」/グループ・ホームで感じた事。

2014年10月27日 02時45分51秒 | Weblog
先日、神戸に帰郷した。目的は母の様子を見る事だった。昭和13年生まれの母は既に齢76。健康なのは有り難いが、物忘れや認知症の傾向が有り、一人で生活させているのは不安なので、妹と相談の上、グループ・ホームに入居して貰う事にした。

これまでも、財布や鍵など貴重品を無くしたり、老人を狙った悪徳商法に少額ではあるが騙されたり心配事は多かったが、やはり最も心配だったのは火の元だ。ここ数年はデイ・ケアに朝から晩まで世話になっており、自宅での生活は寝るだけだったので心配は軽減されたが、やはり長年自炊して来た事も有り、調理しようとして失敗したり作りかけで忘れてしまったりも有ったりで心配であった。施設に入居して貰う事で、こういった心配は一切なくなる。

ただ、新たなる心配は母の性格であった。非常に外交的で派手好き。ブランドものが大好きで、国内外を問わず旅行に行きまくり、贅沢な美食を楽しみ、つい最近までBMWやフェアレディを乗り回していた母が老人達に囲まれ何も無い施設で地味な生活をする事に耐えられるのだろうか?しかも、根っからのリーダー気質で、なんでも自分中心で物事を推し進めたがる・・・。しかも、仕事が何よりも好きだと来てる。う~ん、心配だ。

自分としては、コミュニケーションも取り辛くなってきて、説明しても理解して貰えなかったり納得して貰えそうにないので、騙し討ちの様に入居して貰った所も有るので、罪悪感も無いわけではない。まぁ、次の日には記憶がリセットされてしまうので、恨みを持ち越す事も無いのは分かっているのだが・・。それより、何より、僕の事を認識してくれるかどうかが最大の心配で、施設が近づくにつれ緊張して来た。前回、眼鏡をかけただけで知らない人扱いを受けてしまったので・・。母の記憶の中で僕は20代~30代半ばで止まってる様で、ある程度の若作りが最大ミッションである。でも、いくらなんでも、アラフィフのオッサンが20代は無理ってなもんである。(苦笑) 施設の前で、母の知らないオッサンで通すか?「貴方の息子です!」と訴えるか?自問自答を繰り返し、緊張はピークを迎えた。

妹と共に施設に入ると、いきなり黄色い声が聞こえて来た。母である。お爺ちゃんと卓球に興じ、ケラケラ笑って上機嫌である。スタッフの方に「宮地さん、ご家族がいらっしゃったよ。」と言われ振り向いた母。「あら、二人ともどうしたん?」と我々に尋ねる。おぉ!俺の事認識している!これだけで十分感動ものである。しかし、母の向こうで卓球を中断されたお爺ちゃんがこちらを睨んでいる。「すいません、母を借りますね。」と一礼して母と共に母の部屋に入る。お爺ちゃんはスタッフの方を捕まえて「卓球しようや。」と誘った。

母の部屋は、6畳ほど。タンスが一つだけで、ベッドは無く布団で寝ている様だ。くもりガラスで外の景色は見えない。勝手に脱出出来ない様に窓は開かない。「日当たりはいいの?」と尋ねると、十分だと答える。何もない殺風景な部屋、それに自由に外出できない状況を考えると、とても母が可哀そうに思えた。スタッフの方がお茶を出してくれたので、部屋を出て卓球台の有る広い食堂兼談話室に戻った。さっきのお爺さんが、スタッフさんと共に無心にラケットを振っている。楽しそう・・ってわけではなく、無表情にひたすら球を追っている。

人生の殆どを贅沢三昧に自由に過ごしてきた母に、恐る恐る「今の生活はどう?楽しい?」と尋ねてみた。「うん、すごい楽しい!」と即答。僕としては全く予想してなかった事だ。「ここはいい人ばっかりだしね。」・・へぇ~。すると、ずいぶんと小柄な腰の曲がったお婆さんが近寄って来た。「あら、こんな立派なお子さん、おってなの(いらっしゃるの)?」と尋ねられ母が改めて紹介してくれた。そのお婆さん、90歳だと仰る。話もしっかりしてるし、ハキハキしているので、とても90歳とは思えない。たまに人や場所の名前がアヤフヤになり、「最近、ちょっとボケて来てん。ピンボケや。」としっかり笑いも取りに来る。おそるべし関西人魂。

卓球台を占拠していたお爺ちゃんに、スタッフさんが「ちょっと休憩しましょか。」と声を掛け1時間ほど続いてた卓球がやっと終わった。広間のTVでは丁度、よしもと新喜劇が放映されていた。座ったそのお爺ちゃんがおもむろに「蒸し暑いな。」と呟く。「そうですね。ちょっと冷房入れて貰いましょうか?」と答えた。母はこの蒸し暑い中、長袖のシャツ、セーター、その上にベストを羽織っている。どうも、歳を取ると寒暖の感覚が薄れるらしい。「ちょっと脱いだら?」と勧めた。お爺ちゃんが呟く。「蒸し暑いな。」・・・丁度TVでは、よしもと新喜劇がスッチーお得意のリフレイン・ネタをやっていた。 

母が着替えてる間、90のお婆ちゃんとお話をしていたら、座ってた卓球爺さんがすっくと立ち上がり、廊下をスタスタ歩いて非常口に向かって行った。非常口に着くと、タッチしてUターンして帰って来た。足元がなんだかムーン・ウォークで前進してる様で不思議な歩き方だ。帰って来ると着席し苦虫を潰したような表情で「蒸し暑いな。」と呟く。新喜劇の劇中なら、絶対ズッコケるシーンである。すると、話していたお婆ちゃんが「え~っと、ほれ、なんやったかいな・・。あかん、忘れてしもた。またピンボケや。」それにかぶせる様に、お爺ちゃんがスタッフの腕を掴み「卓球やろうや!」と誘う。とてもじゃないが、僕一人で全部ツッコミを入れるのは不可能である。

母が薄着になって戻ってきた。その間、90のお婆ちゃんは、神戸の震災の話や太平洋戦争の体験談をしてくれた。どれもこれも詳細でリアルな実体験として伝わってくる。その記憶力たるや、とても母と同じ症状の持ち主とは思えない。特に戦争の体験は凄まじく、どこかで是非講演して貰いたいと思ったほどだ。それを横で聞いていた母が「凄い体験やねぇ。私らの世代では考えられへんわぁ。」と言うので、「よ~言うわ!あんた田舎に疎開した話しとったやないか!」とそこはツッコミを入れておいた。しかし、母には昔から何気にサバを読む所が有るので、リアルかワザとかビミョーなボケをかまして来やがる。

母とお婆ちゃんが「ところで、お昼ご飯まだやろか?」と話している。僕と妹は施設の昼食が終わったのを見計らって来ているわけだし、既に2時半。当然、二人とも食べている筈である。「そろそろ、おやつの準備が有るので卓球終わりましょか?」と長時間ラリーを続けていたスタッフさんがお爺ちゃんに声を掛けた。戻って来たら「蒸し暑いな。」って絶対言うに違いない・・と僕の胸は期待に膨らむ。しかし、戻って来るなり調理室を覗き込み、「おやつ早よ、くれ。」・・うわ!絶妙に外してきた!そして、ちょいと太めの男性スタッフのお尻を撫でて、さっきまでの仏頂面が嘘の様にニヤリと笑った。おぉ!この裏切り方、ただのリフレイン芸人じゃないぞ、この爺さん!

おやつの時間となり、別のお爺さんが自室から出て来た。手を洗った後、帽子をかぶった僕の妹を見つけ無言で指を差して、文句でも言うのかと思いきや、「その帽子、カッコええなぁ。」というジェスチャーをして親指を立て、裏ピースをして自室に消えた。キャラが濃すぎて、ツッコミが出来ない。。

卓球がやりたいお爺ちゃん、おやつのシュークリームを3口で食い、ホットコーヒーを一気飲みして、まだ作業中のスタッフさんに「卓球やろうや。」と声を掛け始めた。調理室の中ではスタッフ同士で何か相談をしている。それを見ていた母が「私はね、ああやって若い社員が話してるのを聞くのが好きなの。」と言う。え?社員??・・あぁ、今はここは会社っていう設定なのね。はいはい、じゃ、話合わせましょう。まったく仕事が好きだった母らしい。

母の話を聞きながら、卓球を眺めていると、卓球爺さんがやたら上手い事に気が付く。無駄な動きはせず、確実に相手の手元に返す。流石、一日中ピンポンやってるだけはある。シフトが変わったのか、新しく若いスタッフさんが入り、僕の所に挨拶にいらした。挨拶を返すと、母が怪訝な顔で「あの子誰?見た事無い。」と言うので、スタッフさん・・と言いそうになって、(あ、いかんいかん、今は会社の設定だった。)・・・と思い出して、「あの人も社員さんやん。」と答えた。すると、「社員??あんた何言うてんの?ここ会社ちゃうで。」と言い返された。え~??もう「会社の設定」終わりかい!!


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とまぁ、こんな感じで、思ったより楽しく過ごしているのが分かって良かった。あまりに質素な個室を見た時は、酷く心配したけれど、結局、こうして広間で色んな方と日長一日話していれば部屋に帰る必要もないわけで、個室はあくまでも寝るだけのスペースだと考えれば別にあれでも良いのかなと思った。

思えば、症状が出始めた当初、老人性鬱も入っていた母の表情はとても暗く、突然泣き出したり喚きだしたりと大変だったけど、今はすごく生き生きしていて顔も明るい。自宅で大好きな調度品に囲まれた裕福な暮らしを送っていた頃は「寂しい」が口癖だったけど、今は何もない質素な暮らしの中で色んな人に囲まれて、あの口癖は無くなっている。今の母の表情を見て、決して可哀そうだとは思えない。勿論、今の僕にあの制限された生活は不可能だし、頭が変になっちゃうだろうと思うけど、歳を取ると「幸せの価値観」というものは大きく変わるんだな・・・という事は、今回学んだと思う。

結局、人生の最後はカネやモノではない。逆にそれが有っても寂しいだけで、人間性はどんどん崩壊して行く。周りに人が居てくれるかどうかが如何に重要な事かを、母は知らず知らずに僕に教えてくれてるのかも知れない。実家にある高級な調度品を処分するのは勿体無いと思いつつも、僕も妹もそれらを維持出来るほどの金持ちではなく、シンプルな生活を求めているのは同じなので、これらを処分するのは仕方ないと思っている。高度成長期を生きて来た両親とはライフスタイルが全く異なるのだ。しかし、恐らくそのエンディングで感じる事は同じだと思う。「モノよりヒト」なんだろうね。

母の今の幸せが続く事を祈るとともに、自分自身の人生を立て直さなければと強く思う。
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