「Cool」。涼しいではなく、ここでは「イケてる」「カッコいい」って意味なんだけど、その語源はレスター・ヤングの熱くならない冷静な演奏が黒人達の間でカッコいい…ってんでスラングとして広まったらしい。
で、僕はそういう演奏スタイルが、ずーっと嫌いだった。(笑)
落ち着いてなんかいるより、破天荒で次がどうなるのか分からない、その結果、破綻を招く様な事が有っても冒険するリスクをチョイスするのが僕のライフ・スタイルだからだ。だから、コルトレーン の様に自らスタイルを変え続け、冒険を繰り返すプレイヤーが憧れの的だった。そんな僕にはクール・ジャズのプレイヤー達は決して破天荒ではなく、統制が取れていて「守り」に入ってる様に映っていた。
僕は好き嫌いがとても激しい。でも、決して聴かず嫌いではなく、何度となく色んな演奏を聴いた結果、そうなっている。でも、本当は直感的にほぼ最初聴いた時に好みに関する答えは出てるし、間違ってるとも思えない。その結果、ずっとクール・ジャズと呼ばれるものは聴かずに過ごして来た。
でも、高校時代にはアート・ペッパーがよく来日していたせいもあり、ちょっとしたブームで、僕も好きでレコードを買ってよく聴いていた。西海岸のクール・ジャズの旗手の様な人である。しかしながら、当時のペッパーは決してそんなスタイルではなく、モードを取り入れた、かなりホットな演奏を繰り広げていたのである。「ミーツ・ザ・リズムセクション」を聴くのはだいぶ後になってからだ。
高校時代はビッグバンドでリード・アルトを演ってたので、グレンミラーなど分かりやすい白人モノをアンサンブルとして取り上げていたけど、レコードで聴いてるコンボは別物だった。なにせ、両親にマイルスとブレイキーを聴かされて育った子供である。
クール・ジャズと呼ばれる人達の殆どが白人だった事もあり、やはりジャズは黒人でNYでしょ!と決めてかかり、ショーターやらばかり聴いていた。しかし、徐々にフュージョンの洗礼を受け、白人サックス奏者も聴き始め、結局、ブレッカーにドハマリしていく訳だけど、やはり、熱い音楽が好きな事に変わりはなかった。
テナーを吹き始め、勉強の為に開祖と言われる、コールマン・ホーキンスとレスター・ヤングは聴いてみたものの、豪快なホーキンスに比べレスターはヘナチョコにしか聴こえない。しかも、レスターは繊細で気が弱い上に、ホーキンスと比べられて非難されまくってドラッグに溺れて酷い演奏のものが多い。手癖の連発とショボい音…これの何処が評価されてるのか僕にはサッパリ分からなかった。
クール・ジャズのサックス奏者は須らくこのレスターの影響を受けている訳だが、それ自体が意味不明な上にその魅力がず〜っと分からないまま50年以上生きて来て、スタン・ゲッツを始め、彼の影響を受けていると言われる人達の演奏が嫌いで嫌いで仕方がなった。ゲッツやズートなどは「上手い」というのは十分分かってはいるのだけど、生理的に受け付けなかったのである。
そんな僕が今はそのクール・ジャズにドハマリ中である。
演奏家として生活して行く中、自分の演奏は厳しく自己評価して行かざるを得ないわけだが、熱くなって自制が効かずに崩壊する自分の演奏がとことん嫌になったり、自分のサウンドに飽きたりしていたのが第一の原因だけど、「レスター・ヤングの軌跡を一般のジャズ・ファンにレクチャーする」という仕事を戴いたり、ずっと否定してた「小さい音で吹く」っていう音楽的シチュエーションを仕事で多く求められたり、様々なキッカケが有った。僕もこの歳になって、こんな多くのチャンスを頂き、「コレは生まれ変わる重要な節目なんだな。」と感じた。
研究して行くうちに、ダメダメだと思ってた開祖・レスターにも絶好調の演奏が有り、それを聴くと、やはりその後のクール系に与えた影響力を感じざるを得ず、またその演奏に圧倒されたり、今までコピーしてたソニー・スティットと、全く別物と捉えていたゲッツに似た様なフレーズの存在を感じたり、ペッパーの「ミーツ・ザ・リズムセクション」で分かるように、意外と西海岸と東海岸のミュージシャンの交流は多く、白人だの黒人だの、バップだのクールだのと区別化を図ってるのはレコード会社とリスナーだけなんじゃないのかと感じたりもした。考えたらゲッツはフィラデルフィア生まれで、クール系の師範である白人ピアニストのレニー・トリスターノはシカゴ出身で西海岸でも何でもない。
そして、くぐもったベールに包まれた様な音でスタン・ゲッツやウォーン・マーシュが奏でるフレーズは意外にもぶっ飛んでて時代を超えて新鮮なのだ。
彼等に影響を受けたと言われるマーク・ターナーを始めとするNYのコンテンポラリー・テナー奏者達をきちんと理解する上では、クール系をちゃんと聴く必要が有ったし、今は腑に落ちた所が沢山ある。寧ろ、我々マークの同世代や下の世代がやるべき事ってマーク等のコピーではなく、温故知新の方ではないのかと確信している。(マークにインタビューした時に彼自身もそれを力説していた。) 若手が彼等の影響を強く受けるのは、僕も当時のアイドルであるブレッカーをコピーしていたのだからシンパシーは感じるが、「コピー・バンドを聴かされてる」と感じた瞬間、例えオリジナルを演ってたとしても全く新鮮味を感じないし、良い音楽とも思えない。今現在、ブレッカーのコピー・バンドの様なアルバムを聴いたら古臭くてクソだと感じるのと同様の事が10年後に確実に起こるだろう。
温故知新の末に自分のやり方を発見しなければならない。その線上に今のコンテンポラリー・ジャズが有る。今、再び、コルトレーン系が流行り始めてる気配を感じてるけど、僕はトレンドを吸収はするけれど、自分のスタイルを完全に別物として変える事はしない。
スタン・ゲッツも時代毎にソフトでクールな演奏から、コルトレーン の影響を受けて破天荒でハードな演奏になったり、フュージョンにまで手をだしたりしたが、根本的なボイスは変わらなかった。
僕も自分のボイスやフレージングまで抜本的に変えようとは思ってないが、ゲッツのソフトなこの世の物とも思えない夢の中の様な音色やマーシュの突拍子もないフレージングには憧れが有る。だから、彼等を研究して、自分なりのフィルターを通して、アウトプット出来れば新しい自分が生まれるんじゃないかと思う。そこにリサーチしたトレンドが入り込めば、その時代に則した自分なりのコンテンポラリーな音楽が生まれるだろうし、「自分」という物さえ持っていれば、それは将来的に決して古臭いものにはならない筈だ。
いずれにせよ、ジャズにもまだ聴いたことの無いようなジャンルが有り、まだまだ奥が深い。今も苦手なものもあるけれど、転じてこうして好きになる事だってある。せっかくの出会いのチャンスを無駄にしない事だ。歳を重ねるとそういうのが億劫になるけど、常に貪欲でありたいと思う。
ただ、テナーだけでもこの大変さだ。他の楽器をやる暇がない。
さ、またレコードを聴かなきゃ。一部で、以前の僕のスタイルの方が好きだ…と仰るファンの方もいらっしゃるけど、そこは、守りに入らず人に何と言われようと破天荒に生きるタイプなので、悪しからず。(笑)
で、僕はそういう演奏スタイルが、ずーっと嫌いだった。(笑)
落ち着いてなんかいるより、破天荒で次がどうなるのか分からない、その結果、破綻を招く様な事が有っても冒険するリスクをチョイスするのが僕のライフ・スタイルだからだ。だから、コルトレーン の様に自らスタイルを変え続け、冒険を繰り返すプレイヤーが憧れの的だった。そんな僕にはクール・ジャズのプレイヤー達は決して破天荒ではなく、統制が取れていて「守り」に入ってる様に映っていた。
僕は好き嫌いがとても激しい。でも、決して聴かず嫌いではなく、何度となく色んな演奏を聴いた結果、そうなっている。でも、本当は直感的にほぼ最初聴いた時に好みに関する答えは出てるし、間違ってるとも思えない。その結果、ずっとクール・ジャズと呼ばれるものは聴かずに過ごして来た。
でも、高校時代にはアート・ペッパーがよく来日していたせいもあり、ちょっとしたブームで、僕も好きでレコードを買ってよく聴いていた。西海岸のクール・ジャズの旗手の様な人である。しかしながら、当時のペッパーは決してそんなスタイルではなく、モードを取り入れた、かなりホットな演奏を繰り広げていたのである。「ミーツ・ザ・リズムセクション」を聴くのはだいぶ後になってからだ。
高校時代はビッグバンドでリード・アルトを演ってたので、グレンミラーなど分かりやすい白人モノをアンサンブルとして取り上げていたけど、レコードで聴いてるコンボは別物だった。なにせ、両親にマイルスとブレイキーを聴かされて育った子供である。
クール・ジャズと呼ばれる人達の殆どが白人だった事もあり、やはりジャズは黒人でNYでしょ!と決めてかかり、ショーターやらばかり聴いていた。しかし、徐々にフュージョンの洗礼を受け、白人サックス奏者も聴き始め、結局、ブレッカーにドハマリしていく訳だけど、やはり、熱い音楽が好きな事に変わりはなかった。
テナーを吹き始め、勉強の為に開祖と言われる、コールマン・ホーキンスとレスター・ヤングは聴いてみたものの、豪快なホーキンスに比べレスターはヘナチョコにしか聴こえない。しかも、レスターは繊細で気が弱い上に、ホーキンスと比べられて非難されまくってドラッグに溺れて酷い演奏のものが多い。手癖の連発とショボい音…これの何処が評価されてるのか僕にはサッパリ分からなかった。
クール・ジャズのサックス奏者は須らくこのレスターの影響を受けている訳だが、それ自体が意味不明な上にその魅力がず〜っと分からないまま50年以上生きて来て、スタン・ゲッツを始め、彼の影響を受けていると言われる人達の演奏が嫌いで嫌いで仕方がなった。ゲッツやズートなどは「上手い」というのは十分分かってはいるのだけど、生理的に受け付けなかったのである。
そんな僕が今はそのクール・ジャズにドハマリ中である。
演奏家として生活して行く中、自分の演奏は厳しく自己評価して行かざるを得ないわけだが、熱くなって自制が効かずに崩壊する自分の演奏がとことん嫌になったり、自分のサウンドに飽きたりしていたのが第一の原因だけど、「レスター・ヤングの軌跡を一般のジャズ・ファンにレクチャーする」という仕事を戴いたり、ずっと否定してた「小さい音で吹く」っていう音楽的シチュエーションを仕事で多く求められたり、様々なキッカケが有った。僕もこの歳になって、こんな多くのチャンスを頂き、「コレは生まれ変わる重要な節目なんだな。」と感じた。
研究して行くうちに、ダメダメだと思ってた開祖・レスターにも絶好調の演奏が有り、それを聴くと、やはりその後のクール系に与えた影響力を感じざるを得ず、またその演奏に圧倒されたり、今までコピーしてたソニー・スティットと、全く別物と捉えていたゲッツに似た様なフレーズの存在を感じたり、ペッパーの「ミーツ・ザ・リズムセクション」で分かるように、意外と西海岸と東海岸のミュージシャンの交流は多く、白人だの黒人だの、バップだのクールだのと区別化を図ってるのはレコード会社とリスナーだけなんじゃないのかと感じたりもした。考えたらゲッツはフィラデルフィア生まれで、クール系の師範である白人ピアニストのレニー・トリスターノはシカゴ出身で西海岸でも何でもない。
そして、くぐもったベールに包まれた様な音でスタン・ゲッツやウォーン・マーシュが奏でるフレーズは意外にもぶっ飛んでて時代を超えて新鮮なのだ。
彼等に影響を受けたと言われるマーク・ターナーを始めとするNYのコンテンポラリー・テナー奏者達をきちんと理解する上では、クール系をちゃんと聴く必要が有ったし、今は腑に落ちた所が沢山ある。寧ろ、我々マークの同世代や下の世代がやるべき事ってマーク等のコピーではなく、温故知新の方ではないのかと確信している。(マークにインタビューした時に彼自身もそれを力説していた。) 若手が彼等の影響を強く受けるのは、僕も当時のアイドルであるブレッカーをコピーしていたのだからシンパシーは感じるが、「コピー・バンドを聴かされてる」と感じた瞬間、例えオリジナルを演ってたとしても全く新鮮味を感じないし、良い音楽とも思えない。今現在、ブレッカーのコピー・バンドの様なアルバムを聴いたら古臭くてクソだと感じるのと同様の事が10年後に確実に起こるだろう。
温故知新の末に自分のやり方を発見しなければならない。その線上に今のコンテンポラリー・ジャズが有る。今、再び、コルトレーン系が流行り始めてる気配を感じてるけど、僕はトレンドを吸収はするけれど、自分のスタイルを完全に別物として変える事はしない。
スタン・ゲッツも時代毎にソフトでクールな演奏から、コルトレーン の影響を受けて破天荒でハードな演奏になったり、フュージョンにまで手をだしたりしたが、根本的なボイスは変わらなかった。
僕も自分のボイスやフレージングまで抜本的に変えようとは思ってないが、ゲッツのソフトなこの世の物とも思えない夢の中の様な音色やマーシュの突拍子もないフレージングには憧れが有る。だから、彼等を研究して、自分なりのフィルターを通して、アウトプット出来れば新しい自分が生まれるんじゃないかと思う。そこにリサーチしたトレンドが入り込めば、その時代に則した自分なりのコンテンポラリーな音楽が生まれるだろうし、「自分」という物さえ持っていれば、それは将来的に決して古臭いものにはならない筈だ。
いずれにせよ、ジャズにもまだ聴いたことの無いようなジャンルが有り、まだまだ奥が深い。今も苦手なものもあるけれど、転じてこうして好きになる事だってある。せっかくの出会いのチャンスを無駄にしない事だ。歳を重ねるとそういうのが億劫になるけど、常に貪欲でありたいと思う。
ただ、テナーだけでもこの大変さだ。他の楽器をやる暇がない。
さ、またレコードを聴かなきゃ。一部で、以前の僕のスタイルの方が好きだ…と仰るファンの方もいらっしゃるけど、そこは、守りに入らず人に何と言われようと破天荒に生きるタイプなので、悪しからず。(笑)
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