昼はナンチャンラーメンで46杯目。
午後から所用のため地場産へ。
ギャラリーは準備中かなと見ていると、昨日まで開催されていた「全国やきものの里展」の片づけのようでした。
帰宅後は天気も良いのでラントレ。
夜は実家へ向かい、いつもの寿司栄で三世代会食でした。
昼はナンチャンラーメンで46杯目。
午後から所用のため地場産へ。
ギャラリーは準備中かなと見ていると、昨日まで開催されていた「全国やきものの里展」の片づけのようでした。
帰宅後は天気も良いのでラントレ。
夜は実家へ向かい、いつもの寿司栄で三世代会食でした。
ホテルの朝食はすき家でした。
昨夜の光景とは一変の朝の西九条駅界隈。
売る方も買う方も年々肩身が狭くなっているであろうザ・煙草屋など都会ならでは?
午前中の会社訪問は大阪Metoroバスで(どこで乗っても降りても210円)、大阪のガス業界No.1関連会社まで。
帰りのバス停での待機中、淀川河口付近の阪神高速5号湾岸線、そして反対側に大阪市街地を望みつつ、ランニングにはもってこいの道路だなとも思いつつ。
昼は西九条に戻ってバス停そばの白馬童子でラーメンをいただき45杯目。
食後、駅へ歩いていると夜と朝には気付かなかったラーメン店を発見。
鯛出汁ラーメンと銘打たれており、此方も良かったかなと惹かれつつ今度ですかね。
鉄道で移動してインテックス大阪のバイオマス展へ。
今回は会社出展ブース対応と9月の東京に続きセミナー講演でした。
前回の講演は盛況?で5,60人が席に着かれて、講演後の名刺交換も行列?で10人以上と面会させていただきました。
一方、本日は10人に満たない状況で名刺交換も2人と寂しい限り・・・。
展示会最終日の最終講演となる大トリだった影響でしょうかね!?
夕方、会場を後にして直通バスで大阪駅まで移動。
大阪駅大丸のモンデールで頼まれていた堂島ロールを買い込み一路金沢へ。
金沢到着後、その依頼主である菊一へ。
閉店間際にこれまたSKD中学同級生のなかしが登場。
昨夏に会って以来の約1年半ぶり。
何やらめでたく表彰されたらしく賞状、景品などを披露していました。
何はともあれ、おめでとうございます!
明日は午前から大阪の会社訪問とバイオマス展対応なので、夕方から移動の前泊です。
まずは白山そばで腹ごしらえ!?
高校のとき、冬はバス通学だったのですが、バスケットボール部活動の帰路は学友と連れ立って金沢駅まで遠回り、当時の白山そばで一杯平らげて帰宅、そして普通に夕食を食べて寝てといった生活でした。
そんな勉強の記憶がゼロだった(本当にしなかった)2年生は科目の半分は赤点、学年テストは450人中400番以下という低空飛行状態だったので、母親は号泣の発狂寸前だったような記憶が鮮明によみがえります。
話は戻り、そんな白山そばでのラーメンは特別メニューで、皿は大きく、調理も麺の茹でに時間を費やし、価格もかけそばの倍以上だったので、当時のノッポにとってはごちそうの一つでした。
そんな記憶をよみがえらせながらラーメンを注文、思い出は美化されるものでしょうかね、今年44杯目はごく普通のラーメンでした。
食べていると裏メニューのラミネートが!?
今度ですかね。
サンダーバードに乗車してしばらくすると、窓際ノッポの横には金沢旅行帰り?な若い女性の3人連れが通路を挟んで着座、そのうち乗った号車はほぼ満席!?
そして、アナウンスが流れ「列車は大変混み合ってあり、自由席から指定席への変更は致しかねます云々」と。
ワクチン接種率が高まり、10月以降の感染者数は激減傾向なので人流は明らかに戻りつつあることを改めて実感。
そんなほぼ満員電車で揺られながら一路大阪へ。
到着後に環状線に乗り換え西九条へ。
今宵はアーバンティ西九条に宿泊。
さて、夕食を食べに行きましょうと22時過ぎに出ると、呑み系以外の食事系の店はどこも閉まってます・・・。
目星をつけていた大阪王将も同様で、あてが外れて界隈を徘徊するも飲まない系の店は見つからず・・・。
トンネル横丁
OK18番街
西九条を略してN9J?
19番飲食街
結局、すき家で牛丼♪でした。
京都の高名な先生がご来社、自家栽培の新米をいただきました。
ありがとうございました。
その先生を見送る際、夕日に照らされた鶴来方面の紅葉がきれいだったので一枚。
今宵は辰口クラブ(DRAGONS.BB)の練習でした。
コートを走り回ることは難しくも局地戦ではかつての世代No.1の名に違わない無類の強さを見せるファジーカス選手がいつになく走り、跳び、大声を出しで躍動していました。
400-200 mのインターバルを6本なのでラントレ効果としてはどうなのかなといった疑問が浮上するも、日々できる限り少しでも走り距離を重ねつつ、インタバールの方が単なるペース走より刺激があるかなと思っています。
原油高騰の比例してガソリン価格も上昇の一途です。
「総務省統計局東京都区部の小売価格」なる資料がありました。
ノッポがガソリンを必要とする内燃機関を有する機械に目覚めたのは大学に入学した1990年でした。
当初は原付自転車、2年の1991年からは今でも乗りたいと思う3代目プレリュードが主になり、消費量は増え始めました。
当時はガソリン価格が120~140円と、湾岸紛争の影響もあり高めの傾向でしたが、その後は下がっていき2000年にかけては二桁水準まで到達、燃料消費量が全く気にならない時期でしたね。
その後は一転、これまでの途上国、特に中国経済の発展と比例して物資不足が顕著化すると、北京五輪の2008年に最高に至るもその後のリーマンショックによる経済停滞で二桁近くまで急落しました。
しかし、すぐに反転して高騰、また下落して高騰と2回ばかり谷と山を描き、今はまた最高値を記録する勢いで高騰しています。
新型コロナ禍による生産量調整、ワクチン接種拡大による重症者及び死亡者数激減に伴う経済復旧、しかし生産量はすぐに戻らず慢性不足により高止まりといった図式のようです。
そのような影響はあるかと思いますが、深いところで一般には知り得ない闇の世界による相場調整もあるかもしれず、今後はどうなるでしょうか。
ただ、これから冬を迎えるにあたり必須となる暖房用の灯油、運送業者のガソリンや軽油が高値傾向のままだとあちこちに波及して物価高になることも懸念されます。
原油高なので当然ながら燃料油のみでなく、プラや化繊など由来の石油化学製品の全てがそうです。
地球温暖化、脱炭素などと盛んに喧伝されていますが、まだまだ石油時代です。