2009年11月29日、シリアは国民的な祭日「犠牲際」のため4連休。Kさんと、ホムスから北東方面のラッカ(2015年3月11日現在、イスラム国ISISが首都と称している都市)に、「ユーフラテス川」と「カラート・ジャーバル(廃墟となった城跡)」を見に行きました。
トルコ東部からシリア、イラクを流れ、下流域で、チグリス川とともにメソポタミア文明を生み出したユーフラテス川。ラッカ南端の川幅は200メートル位で、岸近くの水深は浅く、1メートル前後という感じです。
近くで魚釣りをしていました。運転手を待たせ、釣りの様子を撮影。男の子が釣れたのを見せてくれました。鯉に似た魚です。
カラートジャーバルに向かう途中、道路右側のアスファルト歩道に黄色い粒状の物が敷き詰められているのを見かけました。車を止め、よく見ると、「トーモロコシ」の粒です。道路を利用してトーモロコシを干していたのです。
ユーフラテス川(ラッカ南端)
ユーフラテス川はラッカの西側でせき止められてアサド湖となり、発電や灌漑などのダムとして利用されています。魚の養殖も行われています。
カラート・ジャーバル
12世紀に建てられたカラート・ジャーバルは、35本の塔が建つ要塞でしたが、今では中心の塔と周囲の建物が残っている、廃墟となった城で、アサド湖に浮かぶように建っています。
入り口から階段を登り、崩れかかった壁や建物跡を見ながらゆっくり登って行きました。登りきると、広々とした湖の向こうに太陽が沈みかけていました。夕日を見ながら、「何千年も前から、この流域で、何度も支配者が入れ代わる中で、無数の被支配者たちはどういう思いを抱き、どのような人生を生きて命を繋いできたのだろう」と考え、様々な思いが交錯しました。
アサド湖の向こうに沈む夕日
カラートジャーバルからタウラに向かう途中で車をとめ、堤の上から、アサド湖の向こうに沈む夕日を撮影しました。
太陽は、太古の昔から地球を照らし、ゆったりと流れるユーフラテス川の流域では、農産物の生産や交易などにより、多くの富を得ることができました。そして、要衝の地の支配を巡り、多くの戦いが起こり、地域の支配者が幾度となく変わっています………。
そのようなことを考えながら、湖の向こうに沈んでいく夕日を眺めていました。
※「ラッカ県(アッ・ラッカ県、Ar Raqqah Governorate, アラビア語: مُحافظة الرقة)は、シリアの14ある県の一つ。面積は19,616平方km、人口は854,000人(2007年推計)。県都はラッカ(アッ・ラッカ)。
シリア国内の位置
…シリア北部に位置し、東はハサカ県とデリゾール県に、北はトルコ国境に、西はアレッポ県・ハマー県に、南はホムス県に接する。乾燥した土地が多いが、県内をユーフラテス川が貫き、北からバリフ川が合流する。川沿いは肥沃な農地となっており綿花などが栽培され、農業と牧畜がおもな産業である。
…新石器時代のテル・アブ・フレイラ遺跡などのほかにも、青銅器時代、ローマ帝国時代の遺跡が多数ある。ラッカはかつてアッバース朝の都にもなった街である。2014年8月24日、過激派組織ISILは、ラッカ県にあるシリア政府軍の空軍基地を制圧、ラッカ県のほぼ全てを手中に収めた。」
引用(ラッカ県 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AB%E7%9C%8C)
シリア国内の位置(ラッカ - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AB)
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