宜野座村中央公民館前広場には、村政60周年記念事業による「噴水装置」が設置されています。中央公民館前には、「新里善助翁之像」があり、明治・大正・昭和の三代に亘り、村民福祉に貢献した新里善助翁の業績を称えています。
一帯には、「宜野座村立中央公民館」「宜野座村立博物館」「宜野座村総合体育館」「宜野座村地域福祉センター」などが整備されています。
参照(宜野座村 水と緑と太陽の里 http://www.vill.ginoza.okinawa.jp/)
01-0610 水と緑と太陽の里
02-0610 水と緑と太陽の里
03-0610 村政60周年記念事業(噴水設置)
04-0610 村政60周年記念事業(噴水設置)
05-0610 村政60周年記念事業(噴水設置)
06-0610 村政60周年記念事業(噴水設置)
07-0610 村政60周年記念事業(噴水設置)
「村政60周年記念事業(噴水装置)…宜野座村制60年を記念し、村民の憩いの場である村立農村公園広場及びバーゴラ施設の一部を改修すると共に中央公民館前広場に建立された平成記念モニュメントに噴水設備を増設し、本村のキャッチフレーズでもある命の水の豊かさをアピールすると共にモニュメント基面に設置された6個の布石は村内6つの行政区を象徴しており、6つの行政区が力を合わせ村政をしっかり支える事により、長く後世に渡り『水と緑と太陽の里』として住みよい村になるよう村民が一丸となり、邁進する事を祈念し、本事業を実施する。 平成18年10月吉日 宜野座村長 東 肇」
08-0610 新里善助翁之像
09-0610 新里善助翁の略歴
「新里善助翁の略歴…翁は 明治十五年十二月二十五日宜野座村字惣慶に生まれ 明治三十五年沖縄師範学校講習科卒業後 宜野座小 東小 諸喜田小 安和小の各学校で教鞭をとり 青年時代はもっぱら教育の普及振興に情熱を燃やし 常に時代の先端に立って 当時の封建的旧慣打破に身を挺した革新的青年教師であった 明治四十四年村民の嘱望により 金武村上席書記に起用され 二年後 村長臨時職務代行となり 政治行政の道に入られた 大正六年七月 村長に就任した翁は 村民の信望厚く 第四 第五 第九代(三期十二年)金武村々長として 卓抜した手腕を発揮された それは 石川-松田間(今の国道三二九号線)の県道の新設である 当時の金武山原は荷馬車さえ通す道路がない 那覇間の交通は徒歩か 山原船の海上交通のみであった この県道の新設によって 自転車が走り 荷馬車が往来して 交通は便利となり 産業の拡大となって村民生活の向上を招来した さらに 昭和七年松田潟原許田間(一〇八号線)の横断道の新設がある 県に対する折衝 隣接町村 名護 久志の協力に東奔西走遂にその実現をみたのである 当時の土木工事は 鍬だけで 人間の汗と油の労働力で行われ 中でも 明治山の山岳地帯は大変な難工事であった この県道の完成によって東西の交通が便利となり 名護を中心に文化の交流 産業の発展を促進した さらに 大正十一年金武小学校が全焼しその再建に当たっては 世の進運に対する洞察力と 卓越した外向的手腕によって 沖縄最初の鉄筋コンクリート造り校舎建設に成功し教育の振興に大きく寄与されたのである その他 金武村有地長地原の土地改良 宜野座小(現高校々舎)鉄筋コンクリート造りの建設 金武大川の改修 村民の保健衛生生活改善など 多彩なる仁政をなし 地方自治の実績は中央行政機関から高く評価され 時の内務大臣から模範村として表彰された 昭和十一年村長任期満了後 二期間村議員として活躍されたが終戦となり 戦後の昭和二十年八月 惣慶だけでも二万余の人口を有する市長として 生死の境を彷徨する避難民の救援に尽力 続いて宜野座村の分村に伴い昭和二十一年八月 第二代村長に選任されて戦後処理に献身的努力をなされたのである かくの如くして翁は 明治 大正 昭和の三代に亘り その生涯を村民福祉に貢献され 日本政府よりその功績を認められるに至り 昭和四十二年十一月勲五等瑞宝章を受章された かくして 翁の生涯は 『徳孤ならず』のとおり 政治に当たっては仁 人に接するに徳 今やその徳望は村民の尊敬の標である ここに 永く世の師表たることを祈念し その功績と徳声を称え翁の記念像を建設するものである 新里善助翁記念像建設委員会 委員長 末石森吉」
10-0610 記
「記…新里善助翁の胸像は 昭和五十二年六月 宜野座村々民並びに諸外国に在住する当村出身者及び関係者各位の願望により 村に胸像建設委員会を組織し 村 各区はもとより広く村内外からの暖かいご芳志によって建立され 昭和五十二年十二月二十五日 出生の日に顕彰を称え除幕式を行った 昭和五十二年十二月二十五日 彫刻 岩野勇三 起毫 貞政少登 鋳造 平野 進」
11-0610 宜野座村民憲章
「宜野座村民憲章…私たち宜野座村民は 一、自然を愛し 美しい村をつくりましょう 一、きまりを守り 住みよい村をつくりましょう 一、産業をおこし 活力ある村をつくりましょう 一、教養を高め 文化の村をつくりましょう 一、スポーツに親しみ 明るい村をつくりましょう 昭和六十年九月二日制定」
12-0610 宜野座村立中央公民館
13-0610 漆喰シーサー
14-0610 宜野座村立博物館
15-0610 宜野座村立博物館
16-0610 オキナワウラジロガシ
「オキナワウラジロガシ(方言名:カシギ)…オキナワウラジロガシは、ブナ科の常緑広葉樹(じょうりょくこうようじゅ)で樹高20m、幹の太さが1mに達する琉球列島の固有種です。花は2~3月頃に咲き、10月~1月頃には長さ2.5~3cmの実が熟します。 本種はむ、奄美(あまみ)大島・徳之島(とくのしま)・沖縄本島・久米島・石垣島・西表島の非石灰岩地帯に分布し、山地から低地の谷間に生育します。宜野座村では、惣慶の御宮(マチョウガマノ嶽)と漢那ウェーヌアタイに自然林残っています。 オキナワウラジロガシの利用については、松田区の前原(メーバル)遺跡でオキナワウラジロガシの実を湧水に浸け、食べる目的でアク抜き又は貯蔵していたと考えられる縄文時代の遺構(いこう)が発見されています。 また、材質が硬く張りが大きい為、建築材や船舶(せんぱく)材等に利用され、首里城正殿にも使われていましたが、蔡温(さいおん)によって17371751年に林野制度が確立して以後、オキナワウラジロガシは琉球王府(おうふ)の御用木(ごようぼく)となり、首里城正殿のイヌマキ(方言名:チャーギ)に代わっています。2014年3月 宜野座村教育委員会」
17-0610 オキナワウラジロガシ
18-0610 宜野座村総合体育館
19-0610 宜野座村総合体育館
20-0610 宜野座村地域福祉センター
21-0610 宜野座村地域福祉センター
22-0610 大人が変われば、子どもも変わる
23-0610 たくさんの人生学べる本の中
24-0610 金武町
25-0610 金武町
26-0610 うるま市
27-0610 うるま市
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