うるま市石川嘉手苅にある「嘉手苅観音堂」のお堂には、戦前まで『邦海済宏(沖縄をひろく救う)』の扁額が掲げられていたそうです。「嘉手苅ガー」は、「王様より賜ったカー」として、生活用水として使用され、ウブガーとしても崇められていました。「ぬちしぬじガマ」は、沖縄戦で、嘉手苅、伊波の住民約300人が避難し、全員が助かったガマとして知られています。
参照(うるま市の文化財・市指定文化財 http://www.city.uruma.lg.jp/1/277.html)
01-0213 嘉手苅観音堂
02-0213 嘉手苅観音堂
「嘉手苅観音堂 うるま市指定文化財第3号『建造物』 指定年月日:1984年(昭和59年)6月12日…嘉手苅観音堂は、紀伊(きい)の国(現在の和歌山県)から金武の福蔵(フックヮ)に漂着した僧(日秀上人)が伊波按司に勧(すす)めて建立されたお堂と伝えられています。お堂の創建は、伊波按司の住まいである伊波グスクの下、ノロ殿内の西方と言われています。しかし2度の火災に遭(あ)い、伊波按司が嘉手苅の根人(ニーンチュ)に命じて、現在のお堂の西側に移転させましたが、そこでも火災に遭い、再移転したのが現在のお堂の場所です。 1919年(大正8年)に改修工事が行われ、平地に建てられていたお堂を石の台座の上に乗せています。戦前までは『邦海済宏(沖縄をひろく救う)』の扁額(へんがく)がお堂の中に掲げられていました。」
03-0213 嘉手苅観音堂
04-0213 嘉手苅観音堂
05-0213 嘉手苅観音堂
06-0213
07-0213 地頭火神
08-0213 地頭火神
09-0213
10-0306 嘉手苅ガー標識
11-0306 嘉手苅ガー
12-0306 嘉手苅ガー案内板
13-10306 嘉手苅ガー案内板
「嘉手苅ガー…嘉手苅ガーは、嘉手苅村の西山田(橋口山田)の先祖で、王に仕えていた人が役職を解かれ家に帰されたとき、その労に対し王より石大工が遣わされ、カーが構築されたとの伝承が残っています。 『王様より賜ったカー』という意味で『御拝領(グヘーロー)ガー』とも呼ばれています。 昔から生活用水として使用されたカーで、ウブガー(産泉)としても崇められています。設置 うるま市教育委員会」
14-0306 嘉手苅ガー
15-0306 嘉手苅ガー拝所
16-0306 嘉手苅ガー
17-0306 嘉手苅ガー
18-0306 育成学童クラブ
「嘉手苅ガー」の標識がある道の反対側には、「育成学童クラブ」がありました。
19-0306 ぬちしぬじガマ標識
20-0306 ぬちしぬじガマ
21-0306 ぬちしぬじガマ標識
22-0306 ぬちしぬじガマ
23-0306 ぬちしぬじガマ
参照(沖縄鍾乳洞探検!ヌチシヌジガマ体験エコツアー-がじゅまる自然学校 http://wens.gr.jp/gajumaru/gaj-kojin/nuchi.html)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます