うるま市勝連南風原地区は、勝連地区の南西部、具志川地区と境を接し、勝連城のお膝元にあたります。南風原集落は、勝連城南側傾斜地の元島原にあったのですが、前浜三良(カッチンバーマー)の努力によって、現在の肥沃な地に移動したといわれています。
01-0606 勝連城跡
02-0606 親田家
「親田家」の庭の隣家境に、梵字や漢字、絵文字で文字が刻まれた「刻紋石柱」が立てられています。訪問意図を説明し、話を伺った後、許可を得て撮影しました。帰り際に見た、石垣にはめ込まれた「石敢當」に惹かれました。
参照(石敢當 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%95%A2%E7%95%B6)
03-0606 親田家刻紋石柱
04-0606 親田家石垣
05-0606 親田家石垣の「石敢當」
南風原の人々は、「報恩社」を建てて、「カッチンバーマー」を祀っています。
06-0606 報恩社
07-0606 報恩社
08-0606 報恩社
09-0606 カッチンバーマー頌徳碑
10-0606 カッチンバーマー頌徳碑
「全島に広く名をなした、非凡な才物カッチンバーマーの本名は前濱三良といい、平安名村 前濱家の二男として、一七〇四年に生まれた。文子、南風原掟、浜夫地頭、親雲上となり、勝連間切地頭代として活躍し、数々の逸話も語りつがれている。 一七二六年南風原村が元島から現在地へ移動したとき、内間村との先陣争いがあり、公事や三司官に百万陳情し、後手ながらも南風原村の移動が実現した。 綿密な移動計画により、村の四角に守護神の村獅子を据え、碁盤目型の道路網、中央には村屋、東西に共同井戸と公共の広場(カーヌモー)、前方(メーベー)には防火・雑用水の池(クムイ)を掘り、村づくりの基盤を整えた。 カッチンバーマーの偉業を称え、遺徳を偲び、一九三五年旧居の地に報恩社を創建した。この度改築すると共に頌徳碑を建立し、末永くその功績を顕彰する。 二〇〇二年十二月吉日 勝連町字南風原」
11-0617 ジーブ大屋
12-0606 拝所
13-0606
14-0606
集落の中ほどにある「マンナカガー」の近くに、「南風原ノロ殿内」がありました。屋敷主に話を伺った後、許可を得て撮影しました。「中に入って、見てもいいですよ」とのことでした。屋敷内には、井戸もありました。
15-0617 南風原ノロ殿内
16-0617 南風原ノロ殿内
17-0617 南風原ノロ殿内
18-0617 南風原ノロ殿内
19-0617 南風原ノロ殿内
20-0617 南風原ノロ殿内
21-0617 南風原ノロ殿内
22-0617 南風原ノロ殿内
23-0617 南風原ノロ殿内井戸
いかにも勝連らしい名の「きむたか保育所」がありました。
24-0617 きむたか保育所
25-0617 きむたか保育所
26-0617 きむたか保育所
27-0617 きむたか保育所
南風原地区から「勝連城跡」に向かう道の両端には、「希の会」と書かれた「プランター」や「花壇」があり、きれいな花を咲かせていました。
28-0606 希の会ボランティア作業所
29-0617 希の会プランター
30-0617 希の会花壇
31-0617 希の会プランター
32-0617 希の会プランター
33-0617 南風原地区畑地
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