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ナーシング助産院のブログ

手技は桶谷式で乳房の調子を整えるマッサージ方法を行っております。駐車場あり。

入院中に吸わせれば出るようになると言っても(12月6日の続き)

2012年12月12日 13時50分42秒 | 母乳相談など

吸わせたくとも吸わせられない色々な事情があると思います。例えば

小さく産まれて保育器にしばらく保育されている場合親の方が早く退院しますが。

母親が入院中、母乳を絞っていられても自宅に帰った後搾乳をしっかりできている人とちょっとそうでない人と別れ気味です。

もともと母乳がしっかりと入院中に分泌の確率が出来ていれば、搾乳する時間になると催乳感覚がでてきているのでぼにゅうを絞ろうという気持ちになります。

しかしそんな感じもなければついもう少し溜めてから搾ろうと。結果間隔が開いてきて分泌が悪くなる。

分泌過多の人は搾りすぎてさらに出すぎて出が悪い人は搾らない。もったいないから溜めておこうと悪循環になってくる。

搾乳をしたのを病院に届けているママには、搾乳の仕方などを直接お手伝いしながら方法をお話しております。もちろん病院に運んでいないママにも。


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12月7日の地震・久しぶりに大きかったですね。

2012年12月10日 15時26分16秒 | 雑記

夕方ジム内で運動のために自転車こぎをしていた真っ最中に地鳴りと同時に揺れだした。停電はしなかった。

停電したら、怖い。女川大丈夫かなー。そんなことを話しながら揺れが収まった。

宮城県は女川原発を控えているから。以前は、原発の稼働を中止したら、それ以上の事はないと思っていたが送電して冷却水を冷やし続けなければならないことを知って事態は大きく変わった。

ガスの元栓を閉めればガス漏れをしないという簡単なことではないということをあの大地震は教えてくれた。外は津波注意報の声がサイレントともに鳴りひびいていた。

 


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東日本大震災の体験談(Hさんより)

2012年12月09日 20時36分02秒 | あの日あの時(東日本大震災)

震災後ナーシング助産院に通院されていたお母さんより、体験談を書いていただきました。

 

「平成23年3月11日14時46分、私は石巻市のアパートに1歳の子供と地震の10分前に帰宅していた夫と3人でいました。私は妊娠8ヶ月でした。

地震の揺れに驚き、子供を抱きしめ頭をクッションで守りました。揺れが少し弱くなった時に外に出てみると大津波警報が鳴り響き、大粒の雪が降っていました。アパートは海の近くだったので、すぐに車で逃げました。

心のどこかで「すぐに帰ってこれるだろう」と思い、オムツだけを持ちました。

高台にある小学校に避難しました。小さな子供専用の教室があり、子供は夜泣きがあったのでとてもほっとしたのを覚えています。

毛布など不足していたので教室にあった模造紙などをひいて寝ました。

私は食べ物や飲み物を全く持っていなかったので子供の事が心配でしたが、周りの人からいろいろ頂き助かりました。

避難所から支給されたのは油揚げや缶詰め、水200ccなどでした。赤ちゃんがいる人はミルクがないなど大変そうでしたが、卓上コンロでお湯を沸かしたり、粉ミルクを分け合ったり協力しながら支えあっていました。

私がいた避難所では2人の妊婦さんが陣痛を起こし、1人は近くの方が自宅を提供してくれて無事に出産されたと聞きました。

私は避難所で5日間を過ごし、その後多賀城の親戚の家にお世話になりました。

初めて車の中から見た津波の被害の大きさに言葉を失い、涙しか出ませんでした。

夫は仕事だったため、慣れない避難所生活で元気に動き回る子供をみるのは大変でしたが、おなかの中で元気に動いてくれていた赤ちゃん、無邪気なかわいい笑顔を見せてくれた子供がいたからこそ、私も元気に乗り越えられたのだと思います。

平成23年5月31日14時36分、元気な女の子を出産しました。

妊娠後期は落ち着いた生活もできず、赤ちゃんも大変だったと思うけど「元気に健康に産まれてきてくれてありがとう」と涙が溢れ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

笠松先生には長男の時からお世話になり、母乳の大切さを教えて頂いてました。東日本大震災を経験し、母乳の大切さをより実感しました。

長男の時は母乳とミルクでしたが、今回は母乳だけで頑張っています。

石巻のアパートは全壊、全て津波に流されましたが、家族みんな無事だったことがどんなに幸せなことなのかと改めて感じました。

自分が生まれ育った大好きな宮城県、そして東北が1日も早く復興できることを心から願っています。」

(当時石巻にて震災にあった体験 23年7月記 Hさんより)

 

この作文をお願いした時は、私がまだ病気前でした。私もだいぶ元気になりました。ありがとう。心配をかけさせてしまいました。

2日目に油揚げ2枚、4日目におかゆが子供にだけ出たり、ミルクの人はたった1本の哺乳瓶を割った人大変な思いをしたというお話も伺いました。

二人のお子さんも元気な様子で何よりです。念願の母乳育児が出来何よりでした。ご家族皆々様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

 


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セブン会の忘年会

2012年12月07日 15時18分05秒 | 雑記

セブン会で間違ってもセレブ会でないので。(笑う)

下の子供が中学生の時に地区の子供会で知り合った、お仲間で人数は7人でしたので、セブン会という名称です。もっとかわいい名前はないかなーという発想でしたが、とりあえず今年もセブン会でした。子供が卒業して、あれから10年経ちますね。そのまま親は年に数回集まってます。ただ単に楽しいからということと一緒にこの地区で歳を取ろうねという気持ちがあります。赤信号みんなで渡れば怖くないなんて言葉が流行ったときがありましたね。なんかその心境に近いかなー。この地区の中で年を仲良くとろうねという感じのお仲間です。

まあそうは言ってもこの7人の中で私が一番年長ですので、大病したのも私が初めて。

そんな体験なども話して仲良くお付き合いをしてます。久しぶりで梅酒を一杯だけ頂きました。たった一杯なのに酔いが回ったなー。


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母乳育児は産後、産院にいる期間がとっても大切です

2012年12月06日 10時15分08秒 | 母乳相談など

WHOユニセフの母乳育児を成功させる10か条を推進してくれるそれによって成功のネックがあると思います。

経産婦のママは体験上感じておられる方も多いです。それは入院中に日数に応じてミルクの量を決められてしまって、その方法だとどんどんミルクにしましょうというメッセージだと。気が付いた時には母乳分泌不足という結果が待ち受けております。だいぶ日にちが経ってから、そのことに気が付いたころは母乳が出ない。赤ちゃんが母乳を嫌がって飲まなくなる。第一子の時そんな経験された方は、多いですね。自分が感じている以上に思ったより早い日数でミルクにまたは、哺乳瓶に慣れてしまいます。

初産婦の方は、病院・産院でどのような援助を受けられたかによって、退院後の母乳育児がスムーズにいくかどうかが左右されます。

もちろん母乳が出れば母乳でというその条件のもとで母乳育児をスタートさせると思いのほかいろいろなトラブルなどに遭遇したり対応方法が間違っていたりで、あっという間にミルクになってしまう。

ミルクが悪いと言っているのではなく母乳で育てたいと思っていても退院してひと月すると母乳育児が出来ている人は半分近く。残りの半分は人口 栄養と混合栄養そして徐々に混合栄養の人が少なくなり代わりにミルク育児になる方向です。もったいない。もったいないと思うこのごろ。

産院に入院中すぐにミルクが出てくる場合には、足す理由があるかないかを、しっかりと考えて行動しましょうね。もちろん足さなければならない理由がある場合は、しっかりと理由を聞いて納得してミルクを飲ませても、母乳を諦めないで根気よく母乳を吸わせて下さいね。

生まれたらすぐにおっぱいが自然にわきでるもと、、ほとんどの人はそう思っている。

吸わせてこそ自然に出るようになるという事を。吸わせてこそというの言葉が足りない。

 


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