長らくお待たせしておりましたね、伝わらないから書くだけムダな長編記事ですよ。
いつも通り分かってもらえる人だけに分かってもらえれば、それだけで十分です。
長編だからPCで見てね。
さてさて、今回はですね、5月の仙石線・石巻編です。
この時点では柳津~志津川間には未だ代行も振替もなかったので、今回も南三陸町は見送ることに。
7月から代行区間が松島海岸~矢本に短縮されたけど、この時はまだ東塩釜~石巻間でした。
運転取扱の関係で列車の運転は高城町と矢本までだけど、陸前大塚までと陸前小野までは工事さえすれば走れなくもない感じがしました。
結局、東名から野蒜にかけての東松島市内が壊滅的で、代行を余儀なくされているのです。
暫くは電車代行が続きそうですな。
でもって、今回は4月以上に弾丸だったので、行きは青葉くんで仙台直行、帰りは東京でGTYの写真展会合で呑んだくれて帰ってきました。
まだ写真展の締切前だったんだなぁ。
あの時は写真展に出す気全く無かったから、ストックで適当にあしらう気満々だったもん。
よし、本編行ってみよー!
5月19日
名鉄BC21時発のどんたくんを見送って、21時半発の仙台行き青葉くんに乗っていきます。
さりげなく青葉くん初乗りです。
途中休憩は駒ヶ岳と国見のはずがなぜか駒ヶ岳は乗務員交替だけで、夜中の2時ぐらいに本来乗務員交替だけの妙高で開放休憩をした。
なしてそんな真夜中にわざわざ起こすだや?
5月20日
でもって翌朝は普通に国見で休憩。
仙台には6分の早着でした。
新幹線が走っとるって至って普通のことだけど、やっぱ安心感が違いますな。
そそくさと仙石線に乗って野蒜へ。
東塩釜で電車代行に乗換です。
7月に高城町まで再開したわけだけど、この時点で復旧作業は軌道修正をしている段階でした。
陸前大塚までは大きな被害は無いように見えたけど、一山越えて東名に出たら状況は一変しました。
2ヶ月経っても引かない水。
水没した車や瓦礫で埋まる川(運河)。
そうして野蒜駅で下車。
駅前はきれいにはなったみたいだけど、倒れかけた街灯に中が抜けた案内板。
駅の横のヤマザキショップもあの日のまま。
駅舎の中も瓦礫で埋まり、駅事務室も窓は破れて制御盤が残っているだけでした。
駅構内も土砂と瓦礫で埋まっています。
状況を見に来ていた保線区の人に聞いたら、仙石線で一番被害が大きい区間だそうで、このあと石巻まで行ってその話に納得しました。
東名方では転轍器が転がっていて、その先は架線が切れていました。
架線が垂れてる架線柱の横には、一階の柱のうち一本がなくなっているのに奇跡のように建っている家がありました。
流石にもう取り壊されただろうなぁ。
野蒜から東名に向かう線路は一直線に延びていました。
でも、今は路盤はえぐられ、軌道も曲がっています。
線路のすぐ横にある野蒜郵便局。
局内はすっからかん。
局のそばには流されたカブ。
野蒜小学校の職員室の黒板ですかね?
線路脇にありました。
警報器が倒れてるけど、もうどこが線路か分からん。
よく地方へ撮影に行くとショートカットとかして平気で生きた線路を歩いてるけど、列車の走っていない死んだ線路を歩くのはやっぱり寂しい。
廃線も死んだ線路だけど、それとは違った寂しさがある。
道路沿いの家の庭先は流されてきた瓦礫が山積みになっていました。
道路沿いで見た失われた日常。
道具は意思を持たない物ではなく意思を持つもの。
道具は人一倍大切に扱うみやっちは、こういう光景を見ると悲しいです。
玄関先にあった足踏みミシン。
今どき一般家庭に足踏みミシンがあるってすごいね。
ずっと大切に扱われてきたんだろうねぇ、うれしいなぁ。
努力賞のノート。
また頑張ってもらおうね。
運河沿いを歩いて東名へ来ると、軌道内は瓦礫で埋まっていました。
当然軌道中心はずれてます。
線路の近くのアパートの駐車場にはボンネットも屋根もはがれた車がありました。
東名駅の裏。
流される建物と流されない建物の違いって一体なんだろうね?
陸橋から見た東名駅。
土砂が流入して、線路はめくれ上がっていました。
ジェットコースターのレールではないですよ。
ホームから見ると線路と枕木が柵みたい。
東名から代行バスに乗って石巻へ向かいます。
野蒜の先ではとりこになったままの列車がいました。
一時間ちょっとで石巻に到着。
いたるところにサイボーグ009がいます。
石巻は石ノ森章太郎の出身地です。
今回女川は諦めてたから時間はたっぷりあるので、とりあえず渡波ぐらいまで行けるとこまで歩いて行くことにしました。
駅周辺では信号は点いてたけど、商店街の方はまだ復旧してません。
お巡りさんが交通整理してました。
北上川まで来ると、まだまだ手付かずのままの瓦礫がたくさん残っていました。
中洲の漫画記念館も被災して、復旧の目処が立っていません。
船も打ち上げられていました。
橋を渡ると、陸前高田や田老とは違い、未だ片付かない石巻の現状がありました。
ニュースであれだけ石巻は人手が足りないって言っていた意味が理解できました。
神社の境内も瓦礫で溢れ、いたるところに漁船が打ち上げられていました。
学習塾の前には泥にまみれた机とイスが。
ある家の壁にはこんな横断幕が。
こうやって感謝の気持ちを示されると、やってる方は当たり前のことをしているんだけなんだけどね、やった甲斐があるってもんですわね。
う~ん、でも自分は何を協力したんだろう?
自分の目で見たものを撮って書いてブログに載せとるだけじゃそこら辺のやじ馬と変わらんよね。
こんな記事で何か役に立ってますか?
ここから先へ進むにつれて状況はどんどんひどくなってきました。
道も狭くなってきて歩道も歩きづらくなり、足元も土砂に油が混ざって足を取られるようになってきました。
この先は作業してるとこも多くて、歩道を歩いていくことも難しそうだったから残念ながらここで引き返すことに。
帰り道、歩道橋にはがんばろう石巻の横断幕がありました。
この交差点を左折すると北上川、直進すると国道。
国道方面の道は、所々冠水していました。
幼稚園児も応援してます。
これは員弁の幼稚園から贈られたものです。
アーケードも所々屋根が落ちかけていました。
この震災で地盤沈下した地域が多くあります。
石巻も例外ではなく、女川代行は道路状況により運休になる場合もあるから、今回女川は外していました。
この日は運転していたから、渡波まで行ってみることにしました。
渡波の駅前には水産高校が造った花壇がありました。
街中を歩いていると、ガソリンスタンドの見本のようなスタンドがありました。
ガソリンスタンドはその性質上耐震設計されています。
根こそぎ流されたスタンドも多くありますがこのスタンドは流されず、逆に流されてきた家をしっかりと受け止めていました。
さらに海沿いへ行くと、まだまだ瓦礫の残る光景がありました。
瓦礫が残る中、電柱だけが新しく建て直されているのは異様な感じがします。
約2時間歩き回り、行きと同じバスに乗って石巻へ戻りました。
帰りは国道のトンネルが大渋滞で20分ぐらい延着しました。
数日前に石巻まで開通した石巻線で小牛田へ出ます。
なにも食べていなかったのでNDでお弁当を買って車内で食べることに。
おや?なんか余分な缶が・・・。
あ、石巻はいつもヒーローが復興を見守っていてくれますよ。
小牛田で陸羽東線に乗り換えて古川へ。
この日は古川の東横インに泊まりです。
夕食サービスでカレーがあるんだけど・・・。
どう見てもこれは量が多いぞ。
そんなこんなでお腹いっぱいになりすぎて、風呂入って飲んでこの日は終わり。
結局また飲んだんだ。
5月21日
ゆっくり10時前にホテルを出たのはいいけど、次の小牛田行きは10:50です。
特に今日の予定を決めてなかったから、作戦会議をすることに。
ほいで決まった行先は、高城町~松島海岸。
石巻経由で行くのは時間がかかるから、東北線経由で松島から歩くことにしました。
松島と塩釜は仙石線まで歩いて15分ぐらいなのね。
まずは高城町へ。
高城町は駅前へバスが入れないから、公民館前に代行バス乗り場があるんだけど、駅には一応駅員さんがいるのね。
列車が走らないから錆びた線路。
石巻方ではかたわらに咲く花が廃線を思わせます。
仙台方のポイントも錆びています。
でもこの2ヶ月後の7月には高城町まで開通するわけで、高城町~松島海岸間でも工事が行われていました。
松島海岸まで歩いていくつもりで時間が合えば高城町から代行に乗っていこうかと思ったけど、ちょうど行ったあとだったから仕方なく歩いていくことに。
公民館へ行く途中、学校のグラウンドには瓦礫が集められていました。
松島海岸まで歩いてくると、思ったよりも活気があってちょっと安心しました。
でも、いくら松島湾の島々が津波の勢いを和らげてくれたとは言っても、被害を受けたお店が何軒か見受けられました。
シャッターがひしゃけたお店や、中までやられたお店。
他の地域に比べたら、確かに被害は少なかったかもしれないけど、やっぱりそれなりに被害は受けているわけで・・・。
遊覧船も早くに運航を再開したから、早く観光地の活気が戻るといいですね。
さて、今回の被災地回りは松島で終わり。
松島海岸から代行バスに乗っていきます。
上下便同発です。
同時進入で警備員さんも苦笑い。
エアロが上りで、セレガが下り。
東塩釜の到着は東口です。
電車を待っていると試運転が来ました。
あおば通り行きに乗って仙台へ。
仙台からは新幹線だから、マジきっぷの約半額のやまびこ片道きっぷを使います。
で、Maxも数年後にはいなくなるから、早めの乗り納め。
自由席はリクライニングしんのだね。
2Fだと防音壁なんか関係ないね。
なんか缶があるけど・・・。
東京に着くと反対のホームには200系の国鉄色が。
そのまま飯田橋へ行って呑んだくれ。
帰りは中央高速線の夜行便。
京王便。
翌朝、名鉄BCは20分の早着。
さあさあさあ、まずは5月仙石線・石巻編はこれでおしまい。
めでたし。
次は6月岩手沿岸縦断編ですよ。
じゃ、文久三年。
いつも通り分かってもらえる人だけに分かってもらえれば、それだけで十分です。
長編だからPCで見てね。
さてさて、今回はですね、5月の仙石線・石巻編です。
この時点では柳津~志津川間には未だ代行も振替もなかったので、今回も南三陸町は見送ることに。
7月から代行区間が松島海岸~矢本に短縮されたけど、この時はまだ東塩釜~石巻間でした。
運転取扱の関係で列車の運転は高城町と矢本までだけど、陸前大塚までと陸前小野までは工事さえすれば走れなくもない感じがしました。
結局、東名から野蒜にかけての東松島市内が壊滅的で、代行を余儀なくされているのです。
暫くは電車代行が続きそうですな。
でもって、今回は4月以上に弾丸だったので、行きは青葉くんで仙台直行、帰りは東京でGTYの写真展会合で呑んだくれて帰ってきました。
まだ写真展の締切前だったんだなぁ。
あの時は写真展に出す気全く無かったから、ストックで適当にあしらう気満々だったもん。
よし、本編行ってみよー!
5月19日
名鉄BC21時発のどんたくんを見送って、21時半発の仙台行き青葉くんに乗っていきます。
さりげなく青葉くん初乗りです。
途中休憩は駒ヶ岳と国見のはずがなぜか駒ヶ岳は乗務員交替だけで、夜中の2時ぐらいに本来乗務員交替だけの妙高で開放休憩をした。
なしてそんな真夜中にわざわざ起こすだや?
5月20日
でもって翌朝は普通に国見で休憩。
仙台には6分の早着でした。
新幹線が走っとるって至って普通のことだけど、やっぱ安心感が違いますな。
そそくさと仙石線に乗って野蒜へ。
東塩釜で電車代行に乗換です。
7月に高城町まで再開したわけだけど、この時点で復旧作業は軌道修正をしている段階でした。
陸前大塚までは大きな被害は無いように見えたけど、一山越えて東名に出たら状況は一変しました。
2ヶ月経っても引かない水。
水没した車や瓦礫で埋まる川(運河)。
そうして野蒜駅で下車。
駅前はきれいにはなったみたいだけど、倒れかけた街灯に中が抜けた案内板。
駅の横のヤマザキショップもあの日のまま。
駅舎の中も瓦礫で埋まり、駅事務室も窓は破れて制御盤が残っているだけでした。
駅構内も土砂と瓦礫で埋まっています。
状況を見に来ていた保線区の人に聞いたら、仙石線で一番被害が大きい区間だそうで、このあと石巻まで行ってその話に納得しました。
東名方では転轍器が転がっていて、その先は架線が切れていました。
架線が垂れてる架線柱の横には、一階の柱のうち一本がなくなっているのに奇跡のように建っている家がありました。
流石にもう取り壊されただろうなぁ。
野蒜から東名に向かう線路は一直線に延びていました。
でも、今は路盤はえぐられ、軌道も曲がっています。
線路のすぐ横にある野蒜郵便局。
局内はすっからかん。
局のそばには流されたカブ。
野蒜小学校の職員室の黒板ですかね?
線路脇にありました。
警報器が倒れてるけど、もうどこが線路か分からん。
よく地方へ撮影に行くとショートカットとかして平気で生きた線路を歩いてるけど、列車の走っていない死んだ線路を歩くのはやっぱり寂しい。
廃線も死んだ線路だけど、それとは違った寂しさがある。
道路沿いの家の庭先は流されてきた瓦礫が山積みになっていました。
道路沿いで見た失われた日常。
道具は意思を持たない物ではなく意思を持つもの。
道具は人一倍大切に扱うみやっちは、こういう光景を見ると悲しいです。
玄関先にあった足踏みミシン。
今どき一般家庭に足踏みミシンがあるってすごいね。
ずっと大切に扱われてきたんだろうねぇ、うれしいなぁ。
努力賞のノート。
また頑張ってもらおうね。
運河沿いを歩いて東名へ来ると、軌道内は瓦礫で埋まっていました。
当然軌道中心はずれてます。
線路の近くのアパートの駐車場にはボンネットも屋根もはがれた車がありました。
東名駅の裏。
流される建物と流されない建物の違いって一体なんだろうね?
陸橋から見た東名駅。
土砂が流入して、線路はめくれ上がっていました。
ジェットコースターのレールではないですよ。
ホームから見ると線路と枕木が柵みたい。
東名から代行バスに乗って石巻へ向かいます。
野蒜の先ではとりこになったままの列車がいました。
一時間ちょっとで石巻に到着。
いたるところにサイボーグ009がいます。
石巻は石ノ森章太郎の出身地です。
今回女川は諦めてたから時間はたっぷりあるので、とりあえず渡波ぐらいまで行けるとこまで歩いて行くことにしました。
駅周辺では信号は点いてたけど、商店街の方はまだ復旧してません。
お巡りさんが交通整理してました。
北上川まで来ると、まだまだ手付かずのままの瓦礫がたくさん残っていました。
中洲の漫画記念館も被災して、復旧の目処が立っていません。
船も打ち上げられていました。
橋を渡ると、陸前高田や田老とは違い、未だ片付かない石巻の現状がありました。
ニュースであれだけ石巻は人手が足りないって言っていた意味が理解できました。
神社の境内も瓦礫で溢れ、いたるところに漁船が打ち上げられていました。
学習塾の前には泥にまみれた机とイスが。
ある家の壁にはこんな横断幕が。
こうやって感謝の気持ちを示されると、やってる方は当たり前のことをしているんだけなんだけどね、やった甲斐があるってもんですわね。
う~ん、でも自分は何を協力したんだろう?
自分の目で見たものを撮って書いてブログに載せとるだけじゃそこら辺のやじ馬と変わらんよね。
こんな記事で何か役に立ってますか?
ここから先へ進むにつれて状況はどんどんひどくなってきました。
道も狭くなってきて歩道も歩きづらくなり、足元も土砂に油が混ざって足を取られるようになってきました。
この先は作業してるとこも多くて、歩道を歩いていくことも難しそうだったから残念ながらここで引き返すことに。
帰り道、歩道橋にはがんばろう石巻の横断幕がありました。
この交差点を左折すると北上川、直進すると国道。
国道方面の道は、所々冠水していました。
幼稚園児も応援してます。
これは員弁の幼稚園から贈られたものです。
アーケードも所々屋根が落ちかけていました。
この震災で地盤沈下した地域が多くあります。
石巻も例外ではなく、女川代行は道路状況により運休になる場合もあるから、今回女川は外していました。
この日は運転していたから、渡波まで行ってみることにしました。
渡波の駅前には水産高校が造った花壇がありました。
街中を歩いていると、ガソリンスタンドの見本のようなスタンドがありました。
ガソリンスタンドはその性質上耐震設計されています。
根こそぎ流されたスタンドも多くありますがこのスタンドは流されず、逆に流されてきた家をしっかりと受け止めていました。
さらに海沿いへ行くと、まだまだ瓦礫の残る光景がありました。
瓦礫が残る中、電柱だけが新しく建て直されているのは異様な感じがします。
約2時間歩き回り、行きと同じバスに乗って石巻へ戻りました。
帰りは国道のトンネルが大渋滞で20分ぐらい延着しました。
数日前に石巻まで開通した石巻線で小牛田へ出ます。
なにも食べていなかったのでNDでお弁当を買って車内で食べることに。
おや?なんか余分な缶が・・・。
あ、石巻はいつもヒーローが復興を見守っていてくれますよ。
小牛田で陸羽東線に乗り換えて古川へ。
この日は古川の東横インに泊まりです。
夕食サービスでカレーがあるんだけど・・・。
どう見てもこれは量が多いぞ。
そんなこんなでお腹いっぱいになりすぎて、風呂入って飲んでこの日は終わり。
結局また飲んだんだ。
5月21日
ゆっくり10時前にホテルを出たのはいいけど、次の小牛田行きは10:50です。
特に今日の予定を決めてなかったから、作戦会議をすることに。
ほいで決まった行先は、高城町~松島海岸。
石巻経由で行くのは時間がかかるから、東北線経由で松島から歩くことにしました。
松島と塩釜は仙石線まで歩いて15分ぐらいなのね。
まずは高城町へ。
高城町は駅前へバスが入れないから、公民館前に代行バス乗り場があるんだけど、駅には一応駅員さんがいるのね。
列車が走らないから錆びた線路。
石巻方ではかたわらに咲く花が廃線を思わせます。
仙台方のポイントも錆びています。
でもこの2ヶ月後の7月には高城町まで開通するわけで、高城町~松島海岸間でも工事が行われていました。
松島海岸まで歩いていくつもりで時間が合えば高城町から代行に乗っていこうかと思ったけど、ちょうど行ったあとだったから仕方なく歩いていくことに。
公民館へ行く途中、学校のグラウンドには瓦礫が集められていました。
松島海岸まで歩いてくると、思ったよりも活気があってちょっと安心しました。
でも、いくら松島湾の島々が津波の勢いを和らげてくれたとは言っても、被害を受けたお店が何軒か見受けられました。
シャッターがひしゃけたお店や、中までやられたお店。
他の地域に比べたら、確かに被害は少なかったかもしれないけど、やっぱりそれなりに被害は受けているわけで・・・。
遊覧船も早くに運航を再開したから、早く観光地の活気が戻るといいですね。
さて、今回の被災地回りは松島で終わり。
松島海岸から代行バスに乗っていきます。
上下便同発です。
同時進入で警備員さんも苦笑い。
エアロが上りで、セレガが下り。
東塩釜の到着は東口です。
電車を待っていると試運転が来ました。
あおば通り行きに乗って仙台へ。
仙台からは新幹線だから、マジきっぷの約半額のやまびこ片道きっぷを使います。
で、Maxも数年後にはいなくなるから、早めの乗り納め。
自由席はリクライニングしんのだね。
2Fだと防音壁なんか関係ないね。
なんか缶があるけど・・・。
東京に着くと反対のホームには200系の国鉄色が。
そのまま飯田橋へ行って呑んだくれ。
帰りは中央高速線の夜行便。
京王便。
翌朝、名鉄BCは20分の早着。
さあさあさあ、まずは5月仙石線・石巻編はこれでおしまい。
めでたし。
次は6月岩手沿岸縦断編ですよ。
じゃ、文久三年。