はいはい、お待たせしておりますよ。
今回はね、6月の岩手沿岸縦断編ですよ。
震災から3ヶ月目、陸前高田は2回目の訪問です。
今回は6月18日から23日まで。
18・19のプチ合宿1日目を引っかけて、22日のGTYに合わせた半弾丸でした。
3ヶ月も経つと、復旧作業の進み具合も大きな差が出ていました。
陸前高田・大槌・山田・田老なんかはすっかり片付いてそれなりにきれいになっていたけど、細浦や両石なんかは未だ片付かない現場の実情がありました。
そして、3ヶ月目にしてようやく高田松原に残った一本松に逢うことができました。
後半かなりグダグダだけど、それじゃあ行ってみよー!
あ、長編だからPCで見てね。
6月18日
いつも通り軽子ちゃんは稲沢でお留守番。
合宿にさりげなく参加するために、わざわざスーパーライナー4号に乗っていきます。
合宿は江ノ島界隈だから、東名大和で下車。
江ノ島の件は長いからざっくり割愛
簡単に言えば、教授が雨降らせたから呑んだくれたと、まあいつもの感じ。
でもって池袋の駅前の松屋でごはん食べてから西口BTへ行って、やっとここから本題ね。
今回は行きは夜行高速けせんライナーに乗っていきました。
池袋~一ノ関・気仙沼・陸前高田・大船渡経由の釜石行きね。
震災以降は一ノ関・気仙沼線と陸前高田・大船渡・釜石線に系統分割して運行しています。
気仙沼線はマル貸車両で早くから再開していたけど、釜石線の再開には結構時間がかかりました。
気仙沼線はこの時でもマル貸車だったけど、釜石線はHDの3列シート車でした。
今回乗ったのは3列シートの釜石系統ね。
でもって、発車オ~ライネットで予約したんだけど、やっぱり出てくるのは1列目なのね。
6月19日
翌朝最初に停車するのは、陸前高田市のサンビレッジ高田です。
10分の早着。
おぉ、天気えぇなぁ、流石みやっち。
さあ、そそくさと市街地へ下りてくか。
市内へ下りてく途中で一枚。
高台のこの辺りは田植えもされて何も変わらない景色だけど、変わったのは遠くに見える市街地の様子。
中心部から西側は結構片付いているけど、東側はまだ多くの瓦礫が残っています。
線路も橋台はしっかり残っているけど、桁は対岸の堤防に打ち上げられています。
津波で流された路線て復旧する時には上路式のプレートガーター橋は無くなるんだろうねぇ。
全部PC橋梁になっちゃったら撮影ポイント減っちゃうねぇ。
宮古の閉伊川とか織笠とかね、もったいないねぇ。
その近くには切断して集められたレールが。
国道沿いには流された家。
これ2階建ての家の2階だけ。
別に1階が埋まったわけじゃあないんですよ。
さらに国道沿いの雇用促進住宅。
やっぱ画像にすると分からんなぁ。
現場でこれを見た時は圧倒されました。
5階建ての4階までがごっそり持っていかれとるわけですよ。
こっちから裏まで貫通しとるんですよ。
4階の高さって言うと15mぐらいか?想像できんよね。
津波の全てを物語っています。
取り壊さずに残してほしいなぁ。
国道を挟んだ向かいにあるのは海洋センター。
津波で流された廃車体が集められていました。
コメリがあった場所は瓦礫の仮置き場になっています。
その隣にはJAのスタンドがあったんだけど・・・。
給油機も事務所も根こそぎ持ってかれとる・・・。
耐震設計ではあるけど、津波に耐えれるかどうかは分からんわね。
石巻のスタンドが奇跡だったのかもね。
ここから少し線路の方へ行ってみました。
道はちょっと水浸し。
あれ?写真撮ってねぇ・・・、なんでやねん。
線路があったとこまで来たわいいけど・・・。
踏切が分からん。
踏切の先で切断されたレール。
レールが途切れるってやっぱり寂しい。
ここにも切断して集められたレールが。
後ろの建物は市民体育館と博物館。
線路の周辺はまたまだ瓦礫が残っていました。
この踏切は砂畑踏切だったんだ。
高田松原と広田湾を目の前に望んだキャピタルホテル。
建物は残っているけど、館内はいろんな物が散乱していました。
同じく高田松原を望んだ道の駅高田松原。
こちらも何もありません。
道の駅の向かいにはガソリンスタンドがあったけど、跡形もなくごっそり持っていかれてます。
スタンドの向こうは一面水浸し。
ここは一面田んぼだったところです。
リアスシーライナーに乗った時に駅から見たここの風景が強く印象に残ったから、陸前高田を訪れている自分がいます。
ほんとは、何度も被災地へ行く自分に自分が驚いてもいるけど、それはいろんな要素が複雑に絡み合った結果の自然なことだと思っています。
さて、一本松はすぐそこです。
でも、道がよく分からんかったから、気仙大橋の交差点で架橋工事現場の人に聞いたら、野外活動センターの方から行けると言うことだからそっちから行ってみました。
ダンプが通ると砂ぼこりが(×o×)
野外活動センターは瓦礫の仮置き場になっていました。
その瓦礫の中を歩いていくと・・・。
居ました。
3ヶ月目にしてようやく逢えました。
元気そうで何よりだけど、足下では土が海水を被っちゃったから水抜きしてます。
周りはみんな流されちゃったけど、一本だけ残ったことに自然のたくましさを感じるし、ありがたささえ感じます。
近くにはその時まで一緒に植わっていたであろう松の株や残骸が。
きれいな砂浜と穏やかな広田湾。
それがあの日牙を剥いた。
もう忘れとったんだろうねぇ、過去の惨禍を。
やっぱりね、忘れた頃にちゃんとやって来るんですよ、今回の台風15号では氾濫した庄内川もその周辺も、東海豪雨の教訓を活かせなかったから今回も痛い目にあったんだよ。
多分庄内川は次も同じことになると思うけどね。
波は普通に寄せて返すだけなのに・・・。
どれだけの歳月がかかっても、高田松原は元のきれいな松林ときれいな砂浜を取り戻してほしいです。
一本松にもごあいさつできたから、そろそろ駅へ向かいましょうかね。
高田病院の方から行くのに国道を歩いていくと、ここにも被災地の奇妙な光景が。
何もないところに建て直された新しい電柱。
いつ見ても、何回見ても気持ち悪い光景です。
高田病院の近くのマンション。
4階建てのこのマンション、3階に流されてきた木が刺さり、地盤が抜けて周りが堀のようになっています。
そうしてようやく駅に着きました。
さっぱりしてます。
ちなみに、↓4月はこんな感じ↓。
駅事務室は土台だけが残り、花が供えられていました。
あとで知ったのですが、津波で駅員さんが一人殉職していたそうです。
おそらくは駅員さんのご家族が供えられたんじゃないかと思います。
列車の来ないホームに座りこんで、いろんなことを考えながら暫しコーヒーブレイク。
あ、空き缶はちゃんと持ち帰りましたよ、当然。
約1時間半。
何も考えずただただボケ~っとしてました。
ずっといたいとこだけどこの辺でおいとますることに。
市役所の隣、市民会館はえぐられて野外ステージみたいになってました。
市役所の前には廃車体が集められていますが、ここは児童公園でした。
機能を失った市役所。
玄関脇には市民憲章があります。
ごく当たり前のことだけど、いい言葉が書いてあります。
市街地はきれいに片付いていました。
きれいで見通しが良すぎて、車校の所内コースみたい。
少し行くとこいのぼりが立っていました。
でも、吹き流しと子どもだけ。
まだ日常が残っているものも。
スティッチがいました。
待ち人来たらず・・・。
山車の足回り。
これが動く七夕の山車だと知るのは後のこと。
他の地区では流された山車もあるなか、市街地でほぼ津波直撃だったにもかかわらずよく残ったと思います。
あとからテレビで見た時はこみ上げるものがありました。
竹駒方面へ向かうのに、線路沿いから行きました。
↓4月に見た流された県交のバスね。
この時もまだありました。
あったけど、なぜか写真撮ってな~い。
踏切があったとこから線路を歩いてみることに。
線路は高い位置にあるのに、築堤やトンネル内にも瓦礫や土砂が流れ込んでいました。
線路も錆びてます。
でもって、トンネルを出てちょっと歩いたとこで事件が・・・。
なんかねぇ、右足のかかとが痛いのね。
なんじゃいって見たらね、木材から出た釘が軽くプスって。
!!!
うを~い!
高速バスとか近鉄特急とかね、ああいうおしぼりってねこういう時に役に立つのね。
とりあえず釘抜いてね、錆びた釘だからヤバイかなぁって思ったけど、取りあえずおしぼりで拭きましょうと。
ああいうおしぼりって殺菌消毒されてるからね。
血を抜きながらおしぼりで拭いて、バンドエイド貼って、はいOK。
その後もなんともなく。
ただね、駅でボケ~っとしすぎたもんだからね、また時間切れですよ。
国道のローソン付近。
↑上3枚は4月の時ね。
↓でもって今はこう。
お寺もきれいさっぱり無くなっています。
木だけはしっかり立っています。
4月は一面あらゆる物が散乱してました。
機能を失った市役所は、鳴石団地のすぐそばに仮設で建てられました。
他の自治体の支援も受けていますが、名古屋市は市職員を大量に派遣してまるごと支援をしています。
名古屋市自体は大丈夫なのか?
でもって、鳴石団地からバスに乗るんだけど、すぐそばに仮設ローソンがありました。
国道にあったローソンですか?
ちゃんとロッピーもあってどうでしょうDVDも予約できますよ。
お昼ごはんを買って大船渡行きのバスに乗ります。
今は有料に戻ったけど、この時はまだ無料運行でした。
途中の小友や細浦は未だ瓦礫で溢れていました。
盛駅に到着。
サンリアへ寄って、駅前から釜石行きのバスに乗ります。
乗り場が分からんかったけど、ロータリーから発着です。
駅舎に時刻表が貼ってあるからロータリーからなのか?
この大船渡釜石線は、この時はまだ一乗車500円だったけど、今は区間別の運賃になってます。
サンリアへ行ったのはいいんだけど、クレープ屋さんへ行くのをすっかり忘れてました。
また今度。
バスは途中、起喜来や唐丹を通るけど、それはまた今度。
多分3月だなぁ。
釜石駅に到着。
釜石も駅周辺は片付いてるんだけど、海沿いはまだ荒れ果てたままでした。
釜石ではどうしても行きたい場所があったから、ぶらぶら歩いていくことに。
川を渡って大町ら辺は、道路は片付いていたけど、建物の中はまた足の踏み場もないぐらいでした。
車はたくさん行き交うけど、通りに人影はまばらで信号も消えたまま。
西日が差してできる陰陽の感じが廃墟を思わせます。
あ、実際はね車やバスが結構行き交ってたんだけどね、雰囲気を出すために車が一台もいないタイミングで撮っただけですよ。
でも、一本裏道へ入ると・・・。
周りは高く積まれた瓦礫ばかりでした。
こんな風にしたらなんか寂しい感じだよね。
ブーさんと拳を交えてきました(笑)
今日のところはこれぐらいにしといてやりました。
で、釜石で来たかった場所はここ。
おそらく全国民が一度は目にしているであろう景色です。
岩手放送釜石支局のカメラマンが、カメラを担いでここへ避難して押し寄せる津波の映像を撮っていた場所です。
だけど、みやっち的に衝撃的だったのは押し寄せる津波の映像の直後、カメラをパンした時の映像です。
この場所。
そこにはお母さんにしがみつき泣き叫ぶ女の子が映っていました。
今まで平和に過ごしてた街がどんどん破壊されて行くんだもん。
そりゃあ子供にしたら怖いよね、大人だって怖いんだで。
多分あの映像は何年経っても忘れないと思います。
でも、今回の津波はこれぐらい高い場所に避難しんと助からんかったんだね・・・。
そろそろ日も落ちる頃だから、宿へ向かいます。
この日泊まったのは北上の東横イン。
着いたらすぐ寝たかったから、ローソンで弁当買って列車の中で食べていきました。
おや?また余分な缶があるで・・・。
てなことで、釜石線に2時間揺られて花巻に到着。
東北線に乗り換えて、ようやく北上に着きました。
チェックインしたら風呂入ってそそくさとお休みなさい。
2日目につづく。
今回はね、6月の岩手沿岸縦断編ですよ。
震災から3ヶ月目、陸前高田は2回目の訪問です。
今回は6月18日から23日まで。
18・19のプチ合宿1日目を引っかけて、22日のGTYに合わせた半弾丸でした。
3ヶ月も経つと、復旧作業の進み具合も大きな差が出ていました。
陸前高田・大槌・山田・田老なんかはすっかり片付いてそれなりにきれいになっていたけど、細浦や両石なんかは未だ片付かない現場の実情がありました。
そして、3ヶ月目にしてようやく高田松原に残った一本松に逢うことができました。
後半かなりグダグダだけど、それじゃあ行ってみよー!
あ、長編だからPCで見てね。
6月18日
いつも通り軽子ちゃんは稲沢でお留守番。
合宿にさりげなく参加するために、わざわざスーパーライナー4号に乗っていきます。
合宿は江ノ島界隈だから、東名大和で下車。
江ノ島の件は長いからざっくり割愛
簡単に言えば、教授が雨降らせたから呑んだくれたと、まあいつもの感じ。
でもって池袋の駅前の松屋でごはん食べてから西口BTへ行って、やっとここから本題ね。
今回は行きは夜行高速けせんライナーに乗っていきました。
池袋~一ノ関・気仙沼・陸前高田・大船渡経由の釜石行きね。
震災以降は一ノ関・気仙沼線と陸前高田・大船渡・釜石線に系統分割して運行しています。
気仙沼線はマル貸車両で早くから再開していたけど、釜石線の再開には結構時間がかかりました。
気仙沼線はこの時でもマル貸車だったけど、釜石線はHDの3列シート車でした。
今回乗ったのは3列シートの釜石系統ね。
でもって、発車オ~ライネットで予約したんだけど、やっぱり出てくるのは1列目なのね。
6月19日
翌朝最初に停車するのは、陸前高田市のサンビレッジ高田です。
10分の早着。
おぉ、天気えぇなぁ、流石みやっち。
さあ、そそくさと市街地へ下りてくか。
市内へ下りてく途中で一枚。
高台のこの辺りは田植えもされて何も変わらない景色だけど、変わったのは遠くに見える市街地の様子。
中心部から西側は結構片付いているけど、東側はまだ多くの瓦礫が残っています。
線路も橋台はしっかり残っているけど、桁は対岸の堤防に打ち上げられています。
津波で流された路線て復旧する時には上路式のプレートガーター橋は無くなるんだろうねぇ。
全部PC橋梁になっちゃったら撮影ポイント減っちゃうねぇ。
宮古の閉伊川とか織笠とかね、もったいないねぇ。
その近くには切断して集められたレールが。
国道沿いには流された家。
これ2階建ての家の2階だけ。
別に1階が埋まったわけじゃあないんですよ。
さらに国道沿いの雇用促進住宅。
やっぱ画像にすると分からんなぁ。
現場でこれを見た時は圧倒されました。
5階建ての4階までがごっそり持っていかれとるわけですよ。
こっちから裏まで貫通しとるんですよ。
4階の高さって言うと15mぐらいか?想像できんよね。
津波の全てを物語っています。
取り壊さずに残してほしいなぁ。
国道を挟んだ向かいにあるのは海洋センター。
津波で流された廃車体が集められていました。
コメリがあった場所は瓦礫の仮置き場になっています。
その隣にはJAのスタンドがあったんだけど・・・。
給油機も事務所も根こそぎ持ってかれとる・・・。
耐震設計ではあるけど、津波に耐えれるかどうかは分からんわね。
石巻のスタンドが奇跡だったのかもね。
ここから少し線路の方へ行ってみました。
道はちょっと水浸し。
あれ?写真撮ってねぇ・・・、なんでやねん。
線路があったとこまで来たわいいけど・・・。
踏切が分からん。
踏切の先で切断されたレール。
レールが途切れるってやっぱり寂しい。
ここにも切断して集められたレールが。
後ろの建物は市民体育館と博物館。
線路の周辺はまたまだ瓦礫が残っていました。
この踏切は砂畑踏切だったんだ。
高田松原と広田湾を目の前に望んだキャピタルホテル。
建物は残っているけど、館内はいろんな物が散乱していました。
同じく高田松原を望んだ道の駅高田松原。
こちらも何もありません。
道の駅の向かいにはガソリンスタンドがあったけど、跡形もなくごっそり持っていかれてます。
スタンドの向こうは一面水浸し。
ここは一面田んぼだったところです。
リアスシーライナーに乗った時に駅から見たここの風景が強く印象に残ったから、陸前高田を訪れている自分がいます。
ほんとは、何度も被災地へ行く自分に自分が驚いてもいるけど、それはいろんな要素が複雑に絡み合った結果の自然なことだと思っています。
さて、一本松はすぐそこです。
でも、道がよく分からんかったから、気仙大橋の交差点で架橋工事現場の人に聞いたら、野外活動センターの方から行けると言うことだからそっちから行ってみました。
ダンプが通ると砂ぼこりが(×o×)
野外活動センターは瓦礫の仮置き場になっていました。
その瓦礫の中を歩いていくと・・・。
居ました。
3ヶ月目にしてようやく逢えました。
元気そうで何よりだけど、足下では土が海水を被っちゃったから水抜きしてます。
周りはみんな流されちゃったけど、一本だけ残ったことに自然のたくましさを感じるし、ありがたささえ感じます。
近くにはその時まで一緒に植わっていたであろう松の株や残骸が。
きれいな砂浜と穏やかな広田湾。
それがあの日牙を剥いた。
もう忘れとったんだろうねぇ、過去の惨禍を。
やっぱりね、忘れた頃にちゃんとやって来るんですよ、今回の台風15号では氾濫した庄内川もその周辺も、東海豪雨の教訓を活かせなかったから今回も痛い目にあったんだよ。
多分庄内川は次も同じことになると思うけどね。
波は普通に寄せて返すだけなのに・・・。
どれだけの歳月がかかっても、高田松原は元のきれいな松林ときれいな砂浜を取り戻してほしいです。
一本松にもごあいさつできたから、そろそろ駅へ向かいましょうかね。
高田病院の方から行くのに国道を歩いていくと、ここにも被災地の奇妙な光景が。
何もないところに建て直された新しい電柱。
いつ見ても、何回見ても気持ち悪い光景です。
高田病院の近くのマンション。
4階建てのこのマンション、3階に流されてきた木が刺さり、地盤が抜けて周りが堀のようになっています。
そうしてようやく駅に着きました。
さっぱりしてます。
ちなみに、↓4月はこんな感じ↓。
駅事務室は土台だけが残り、花が供えられていました。
あとで知ったのですが、津波で駅員さんが一人殉職していたそうです。
おそらくは駅員さんのご家族が供えられたんじゃないかと思います。
列車の来ないホームに座りこんで、いろんなことを考えながら暫しコーヒーブレイク。
あ、空き缶はちゃんと持ち帰りましたよ、当然。
約1時間半。
何も考えずただただボケ~っとしてました。
ずっといたいとこだけどこの辺でおいとますることに。
市役所の隣、市民会館はえぐられて野外ステージみたいになってました。
市役所の前には廃車体が集められていますが、ここは児童公園でした。
機能を失った市役所。
玄関脇には市民憲章があります。
ごく当たり前のことだけど、いい言葉が書いてあります。
市街地はきれいに片付いていました。
きれいで見通しが良すぎて、車校の所内コースみたい。
少し行くとこいのぼりが立っていました。
でも、吹き流しと子どもだけ。
まだ日常が残っているものも。
スティッチがいました。
待ち人来たらず・・・。
山車の足回り。
これが動く七夕の山車だと知るのは後のこと。
他の地区では流された山車もあるなか、市街地でほぼ津波直撃だったにもかかわらずよく残ったと思います。
あとからテレビで見た時はこみ上げるものがありました。
竹駒方面へ向かうのに、線路沿いから行きました。
↓4月に見た流された県交のバスね。
この時もまだありました。
あったけど、なぜか写真撮ってな~い。
踏切があったとこから線路を歩いてみることに。
線路は高い位置にあるのに、築堤やトンネル内にも瓦礫や土砂が流れ込んでいました。
線路も錆びてます。
でもって、トンネルを出てちょっと歩いたとこで事件が・・・。
なんかねぇ、右足のかかとが痛いのね。
なんじゃいって見たらね、木材から出た釘が軽くプスって。
!!!
うを~い!
高速バスとか近鉄特急とかね、ああいうおしぼりってねこういう時に役に立つのね。
とりあえず釘抜いてね、錆びた釘だからヤバイかなぁって思ったけど、取りあえずおしぼりで拭きましょうと。
ああいうおしぼりって殺菌消毒されてるからね。
血を抜きながらおしぼりで拭いて、バンドエイド貼って、はいOK。
その後もなんともなく。
ただね、駅でボケ~っとしすぎたもんだからね、また時間切れですよ。
国道のローソン付近。
↑上3枚は4月の時ね。
↓でもって今はこう。
お寺もきれいさっぱり無くなっています。
木だけはしっかり立っています。
4月は一面あらゆる物が散乱してました。
機能を失った市役所は、鳴石団地のすぐそばに仮設で建てられました。
他の自治体の支援も受けていますが、名古屋市は市職員を大量に派遣してまるごと支援をしています。
名古屋市自体は大丈夫なのか?
でもって、鳴石団地からバスに乗るんだけど、すぐそばに仮設ローソンがありました。
国道にあったローソンですか?
ちゃんとロッピーもあってどうでしょうDVDも予約できますよ。
お昼ごはんを買って大船渡行きのバスに乗ります。
今は有料に戻ったけど、この時はまだ無料運行でした。
途中の小友や細浦は未だ瓦礫で溢れていました。
盛駅に到着。
サンリアへ寄って、駅前から釜石行きのバスに乗ります。
乗り場が分からんかったけど、ロータリーから発着です。
駅舎に時刻表が貼ってあるからロータリーからなのか?
この大船渡釜石線は、この時はまだ一乗車500円だったけど、今は区間別の運賃になってます。
サンリアへ行ったのはいいんだけど、クレープ屋さんへ行くのをすっかり忘れてました。
また今度。
バスは途中、起喜来や唐丹を通るけど、それはまた今度。
多分3月だなぁ。
釜石駅に到着。
釜石も駅周辺は片付いてるんだけど、海沿いはまだ荒れ果てたままでした。
釜石ではどうしても行きたい場所があったから、ぶらぶら歩いていくことに。
川を渡って大町ら辺は、道路は片付いていたけど、建物の中はまた足の踏み場もないぐらいでした。
車はたくさん行き交うけど、通りに人影はまばらで信号も消えたまま。
西日が差してできる陰陽の感じが廃墟を思わせます。
あ、実際はね車やバスが結構行き交ってたんだけどね、雰囲気を出すために車が一台もいないタイミングで撮っただけですよ。
でも、一本裏道へ入ると・・・。
周りは高く積まれた瓦礫ばかりでした。
こんな風にしたらなんか寂しい感じだよね。
ブーさんと拳を交えてきました(笑)
今日のところはこれぐらいにしといてやりました。
で、釜石で来たかった場所はここ。
おそらく全国民が一度は目にしているであろう景色です。
岩手放送釜石支局のカメラマンが、カメラを担いでここへ避難して押し寄せる津波の映像を撮っていた場所です。
だけど、みやっち的に衝撃的だったのは押し寄せる津波の映像の直後、カメラをパンした時の映像です。
この場所。
そこにはお母さんにしがみつき泣き叫ぶ女の子が映っていました。
今まで平和に過ごしてた街がどんどん破壊されて行くんだもん。
そりゃあ子供にしたら怖いよね、大人だって怖いんだで。
多分あの映像は何年経っても忘れないと思います。
でも、今回の津波はこれぐらい高い場所に避難しんと助からんかったんだね・・・。
そろそろ日も落ちる頃だから、宿へ向かいます。
この日泊まったのは北上の東横イン。
着いたらすぐ寝たかったから、ローソンで弁当買って列車の中で食べていきました。
おや?また余分な缶があるで・・・。
てなことで、釜石線に2時間揺られて花巻に到着。
東北線に乗り換えて、ようやく北上に着きました。
チェックインしたら風呂入ってそそくさとお休みなさい。
2日目につづく。