さあさあ、いよいよ本編ですよ~。
今回の往路は、9月25日に全面復旧した仙台空港へぶっ飛びました。
10月16日
いつものように軽子ちゃんは稲沢でお留守番で、名古屋からミューでセントレアへ。
やけにデデが多い。
空港に着いたら、手荷物カウンターは長蛇の列。
セントレアでこんな並んだの初めてだべ。
荷物を預けたらそそくさと搭乗口へ。
鹿児島線じゃないのに3番てあんた。
この日は北向に飛んだけど、座席はF列だったから家は見れんわね。
その代わりに飛行機から初めて富士山が見れた。
磐梯山の辺りを飛んでって、4月の時と同じく海側から仙台空港へ着陸。
あの時は一面瓦礫だったけど、今回は空港の周辺も、滑走路脇も、きれいに片付けられた中に降りていきました。
画像はJ-Airだけどね。
もう30年ぐらい前の話だけどね、仙台は小牧から初めて飛行機に乗った区間です。
そういうこともあって、仙台空港、ひいては仙台に対する思いも強いわけで。
4月は他の交通機関の復旧もままならない中、とりあえず再開した仙台空港へ飛びました。
映像で見ていた以上に被害が大きかったのと、思い出の地がこんなことになってしまったと言う思いとで、案の定泣いた、まさかとは思ったけど泣いた。
今でも思い出すと涙が出る、この記事書いとるだけで泣けてくる。
ヤバイヤバイ。
でもって、全面復旧したらまず名古屋から飛ぶべって決めとったから、夏ぐらいにそのニュースが出た時に「10月は仙台!」って決めてました。
いざ飛んだはいいけど、そんな思いがあるわけだからね、我慢できるわけないがね。
うん、そりゃ泣くわね。
あれね、他にお客さんいなかったらわんわん泣いとったよ、絶対。
泣くを通り越して嗚咽?
多分CAさんも引くぐらいの嗚咽。
でらくそ我慢したもん、我ながらよく我慢できたなぁってぐらい我慢したからね。
あ、でもしっかり泣いとるんだよ。
5月にね、仙台駅で新幹線の乗換改札が開いとるの見ただけで安心したけど、この日の仙台空港も空港の設備がすべて普段通りに機能しとるのを見て改めて安心したね。
でもって改めて泣いた(笑)
手荷物の受け取りもターンテーブルです。
↓4月は床置きだったね。
こちらは10月1日に全線復旧した仙台空港アクセス線。
夏からは美田園まで再開したけど、滑走路下のトンネルの冠水等もあって空港までの再開は少し遅れました。
でもって名取で常磐線に乗り換えて新地へ向かいました。
4月の時は崩れたままだった法面は修復中です。
国道のデコボコもほとんどきれいになっていました。
新地役場に着いてまず見たのは歩道。
↓4月の時はこうね。
↓今は
きれいになりました。
でもって4月の時と同じ道順で新地駅へ向かいました。
↑↓同じ場所ね。
4月はあちこちで重機が動いていましたね。
4月は車やら瓦礫やらがたくさんあったけど、今はきれいに片付いています。
でも、裏を返せば復興計画が遅々として進まず、荒廃した印象を受けました。
草が生い茂った中には、倒れた電柱や瓦が埋もれています。
駅に着くと駅舎も車両もきれいさっぱり片付けられていました。
タクシーの駐車場所が、辛うじて駅前広場の存在を示しています。
駅舎の入口だった辺りには、真っ二つになった新地町の観光案内板がありました。
4月に見た陸前高田駅の駅名板を思い出させます。
駅舎の基礎はしっかり残っています。
真ん中の線は改札の戸のレール。
右手前が待合所で、点字ブロックの左側が駅事務室。
震災以前を知らなくても、これぐらいは分かります。
構内は、4月の時にはあった跨線橋は撤去され、駅舎側のホームは笠石もろとも流されています。
構内の線路は所々はがされて、残っている部分も草に埋もれています。
相馬方の線路の途切れる場所、4月はここから駅へ行きました。
ポイントと転轍機は撤去されていますが、ホームの途中まで線路は残っています。
そのまま軌道のあとを歩いていくと、小さい川がありました。
流されたのか、外したのか、桁がないので渡れず大回りしていきました。
その先も軌道は路盤だけの状態です。
線路より少し海側へ行ったところには、未だに道路標識が倒れたまま放置されていました。
役場へ戻る途中には、半年経つのに解体も修繕もされずにいる家が何軒かありました。
この日はこのあと原ノ町まで行くつもりだったけど、行きの代行バスからチラ見した浜吉田のコスモスが気になって仕方なかったから、浜吉田へ寄ることにしました。
浜吉田も津波が来てるはずだけど、あまり被害を感じさせません。
で、気になったコスモスは。
こんな感じ。
これが被災地じゃなくて廃線跡とかだったらね作品として出せるんだけどねぇ・・・。
ちょうど西日だからねえ、寂しい感じだねぇ。
早く復旧できるといいなぁ。
駅は営業してないけど、暗くなってくると駅名板は電気が点きます。
電車は走ってなくても、駅名板に電気が点いてるだけで不思議とホッとします。
次のバスで亘理へ戻りました。
亘理で浜吉田から釜石までのきっぷを買って、仙台へ行きます。
仙台で使わなかった新地から原ノ町のきっぷを払い戻し。
普通に損した気分。
ほいで、この日は東横インの仙台東口Ⅰで泊まりました。
4月・5月辺りの写真と今回の写真、見比べるといかに被害が甚大だったかが分かりますね。
それでも、当時も今も現場の空気は伝わらんなぁ。
よし、とりあえず2日目へつづく。
今回の往路は、9月25日に全面復旧した仙台空港へぶっ飛びました。
10月16日
いつものように軽子ちゃんは稲沢でお留守番で、名古屋からミューでセントレアへ。
やけにデデが多い。
空港に着いたら、手荷物カウンターは長蛇の列。
セントレアでこんな並んだの初めてだべ。
荷物を預けたらそそくさと搭乗口へ。
鹿児島線じゃないのに3番てあんた。
この日は北向に飛んだけど、座席はF列だったから家は見れんわね。
その代わりに飛行機から初めて富士山が見れた。
磐梯山の辺りを飛んでって、4月の時と同じく海側から仙台空港へ着陸。
あの時は一面瓦礫だったけど、今回は空港の周辺も、滑走路脇も、きれいに片付けられた中に降りていきました。
画像はJ-Airだけどね。
もう30年ぐらい前の話だけどね、仙台は小牧から初めて飛行機に乗った区間です。
そういうこともあって、仙台空港、ひいては仙台に対する思いも強いわけで。
4月は他の交通機関の復旧もままならない中、とりあえず再開した仙台空港へ飛びました。
映像で見ていた以上に被害が大きかったのと、思い出の地がこんなことになってしまったと言う思いとで、案の定泣いた、まさかとは思ったけど泣いた。
今でも思い出すと涙が出る、この記事書いとるだけで泣けてくる。
ヤバイヤバイ。
でもって、全面復旧したらまず名古屋から飛ぶべって決めとったから、夏ぐらいにそのニュースが出た時に「10月は仙台!」って決めてました。
いざ飛んだはいいけど、そんな思いがあるわけだからね、我慢できるわけないがね。
うん、そりゃ泣くわね。
あれね、他にお客さんいなかったらわんわん泣いとったよ、絶対。
泣くを通り越して嗚咽?
多分CAさんも引くぐらいの嗚咽。
でらくそ我慢したもん、我ながらよく我慢できたなぁってぐらい我慢したからね。
あ、でもしっかり泣いとるんだよ。
5月にね、仙台駅で新幹線の乗換改札が開いとるの見ただけで安心したけど、この日の仙台空港も空港の設備がすべて普段通りに機能しとるのを見て改めて安心したね。
でもって改めて泣いた(笑)
手荷物の受け取りもターンテーブルです。
↓4月は床置きだったね。
こちらは10月1日に全線復旧した仙台空港アクセス線。
夏からは美田園まで再開したけど、滑走路下のトンネルの冠水等もあって空港までの再開は少し遅れました。
でもって名取で常磐線に乗り換えて新地へ向かいました。
4月の時は崩れたままだった法面は修復中です。
国道のデコボコもほとんどきれいになっていました。
新地役場に着いてまず見たのは歩道。
↓4月の時はこうね。
↓今は
きれいになりました。
でもって4月の時と同じ道順で新地駅へ向かいました。
↑↓同じ場所ね。
4月はあちこちで重機が動いていましたね。
4月は車やら瓦礫やらがたくさんあったけど、今はきれいに片付いています。
でも、裏を返せば復興計画が遅々として進まず、荒廃した印象を受けました。
草が生い茂った中には、倒れた電柱や瓦が埋もれています。
駅に着くと駅舎も車両もきれいさっぱり片付けられていました。
タクシーの駐車場所が、辛うじて駅前広場の存在を示しています。
駅舎の入口だった辺りには、真っ二つになった新地町の観光案内板がありました。
4月に見た陸前高田駅の駅名板を思い出させます。
駅舎の基礎はしっかり残っています。
真ん中の線は改札の戸のレール。
右手前が待合所で、点字ブロックの左側が駅事務室。
震災以前を知らなくても、これぐらいは分かります。
構内は、4月の時にはあった跨線橋は撤去され、駅舎側のホームは笠石もろとも流されています。
構内の線路は所々はがされて、残っている部分も草に埋もれています。
相馬方の線路の途切れる場所、4月はここから駅へ行きました。
ポイントと転轍機は撤去されていますが、ホームの途中まで線路は残っています。
そのまま軌道のあとを歩いていくと、小さい川がありました。
流されたのか、外したのか、桁がないので渡れず大回りしていきました。
その先も軌道は路盤だけの状態です。
線路より少し海側へ行ったところには、未だに道路標識が倒れたまま放置されていました。
役場へ戻る途中には、半年経つのに解体も修繕もされずにいる家が何軒かありました。
この日はこのあと原ノ町まで行くつもりだったけど、行きの代行バスからチラ見した浜吉田のコスモスが気になって仕方なかったから、浜吉田へ寄ることにしました。
浜吉田も津波が来てるはずだけど、あまり被害を感じさせません。
で、気になったコスモスは。
こんな感じ。
これが被災地じゃなくて廃線跡とかだったらね作品として出せるんだけどねぇ・・・。
ちょうど西日だからねえ、寂しい感じだねぇ。
早く復旧できるといいなぁ。
駅は営業してないけど、暗くなってくると駅名板は電気が点きます。
電車は走ってなくても、駅名板に電気が点いてるだけで不思議とホッとします。
次のバスで亘理へ戻りました。
亘理で浜吉田から釜石までのきっぷを買って、仙台へ行きます。
仙台で使わなかった新地から原ノ町のきっぷを払い戻し。
普通に損した気分。
ほいで、この日は東横インの仙台東口Ⅰで泊まりました。
4月・5月辺りの写真と今回の写真、見比べるといかに被害が甚大だったかが分かりますね。
それでも、当時も今も現場の空気は伝わらんなぁ。
よし、とりあえず2日目へつづく。
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