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【滋賀・近江の先人第348回】滋賀県の金融殖産に尽くした・井狩弥左衛門(近江八幡市)

 井狩弥左衛門 、いかり-やざえもん、1844年(天保15年)10月-1901年(明治34年)、明治時代の実業家、政治家。

近江国野洲郡江頭村(北里村を経て、現在の近江八幡市)に生まれる。富豪として桑園や水田を拓き米質改良組合を組織するなど農業発展に尽力する。

1873年(明治6年)以降、滋賀県野洲郡第五区副区長、同区長、同郡七十八箇村連合村会議員、滋賀県会議員、野洲郡所得税調査委員、滋賀県農工銀行設立委員などを歴任する。近江帆布会社(敷島紡績株式会社(現:シキボウ株式会社)の設立にも尽力した。

1879年(明治12年)私財を投じ、郷里の滋賀県北里村江頭(近江八幡市)で荒れ地を開墾。

1882年(明治15年)滋賀県で最初の「農産物共進会」を開き、

1885年(明治18年)「大津割引会社」設立に加わり、「江頭農産銀行(現滋賀銀行の前身)」頭取など滋賀県の金融殖産に尽くした

滋賀県会議員を経て、

1697年(明治30年)貴族院議員滋賀県農会(農協の前身)会頭を務めた。

1901年(明治34年)5月23日死去。58歳没。大丸元社長井狩弥治郞の祖父

<Wikipediaより>

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