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【身近な昔探訪】第221回・御代参街道(本町通り)にあった「大阪チェーンストア」と「ヒカリ屋」

 東近江・御代参街道(本町通り)に「大阪チェーンストア」と「ヒカリ屋」が元旅館「板屋」が別場所に移転後この場所で営業していた。



 板屋旅館が移転後のこの場所に、まず県外資本の「大阪チェーンストア」は戦後、旧八日市市内で初めての「スーパー」業態店として開店した。時期は昭和30年代中頃であったかと思う。
主に「衣類」であったと思うが店員の対面応対が不要で、自由に買い物ができる今日のスーパー形式の販売第一号だった。チラシも頻繁に入り、余り広くない店内は毎日客で満員で飛ぶように売れていたのを思い出す。
 その後、「大阪チェーン」は八日市浜野町の現在の「いそべリカーマウンテン」の所に移転したがいつ頃までその場所で営業していたか正確な記憶がない。初めて八日市にオープンしてから5-6年位で撤退したのではないかと思う。「大阪チェーン」撤退後、本町通りにあった「いそべ」はその場所に移転し、「いそべリカーマウンテン」がその場所で現在に至っている。
 
大阪チェーンストア」移転後、その場所に同じくスーパー形式の「ヒカリ屋」が玉突きで開業した。時期は高度成長期の昭和39年(1964年)であった。
確か大津市辺りの資本の旧ヒカリ屋は八日市で初めてエスカレーターが登場した衣料品と日用雑貨のスーパーだった。新たに進出当時は毎日チラシが入り、衣料品等を中心に周辺の町からの客で連日ごった返ししていた。
 旧ヒカリ屋は昭和39年(1964年)に開店したが、実際にいつ頃閉店したか不明である。

 その旧ヒカリ屋の店舗建物も老朽化により解体されマンションに建て替えることになったと平成19年(2007年)7月7日に滋賀報知新聞社が報じている。
従って、今から13年ほど前に現在のマンションになったことになる。

 振り返ると、「大阪チェーンストア」は板屋旅館跡で開業し、その後同じ浜野町内現在の磯部リカーマウンテンの所に移転し、その後撤退。本町通りの板屋旅館→大阪チェーンストアストア後に出店した「ヒカリ屋」も10年足らずで撤退・閉店したと思う。
 「大阪チェーンストア」や「ヒカリ屋」閉店の時期的は本格的な大型スーパーである彦根の「旧平和堂八日市店(5号店)」(ボーリング場も併設)が1970年(昭和45年)頃に近江鉄道八日市駅前に開店したのでその時期以降に違いない。その旧平和堂八日市店(5号店)も平成初期に閉め、新たに現在のグリーンロードの場所で「平和堂アピア八日市」として新たに開業している。
 目まぐるしく激動の時代であったが今ではそれらの店の面影は全くなく、当時を知る人も少なくなった。

コメント一覧

Unknown
大阪チェーンとヒカリヤ
大阪チェーンとヒカリヤ、ヒカリヤはいたやの跡で、大阪チェーンは天満屋の前。同じ場所の玉突きではない。大阪チェーン跡はアックアラカツ。
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