2月12日(水)~2月19日(水)まで義理弟の葬儀のため妻同伴で久しぶりにタイのバンコクを訪れた。1995年以降も私は仕事で度々タイに行っていたが、妻は10年程前、バンコクに立ち寄る機会があったが今回久しぶりのバンコクだった。しかし、今回は悲しいバンコク訪問であった。
2月6日(木)、長年バンコク在住だった妻の弟である義理弟Mが急逝した。Mとは彼の母親が5年前に亡くなった時、大阪で会ったのが最後であった。まだ65歳だった。
葬儀はタイの寺院で2月12日(水)と2月13日(木)に行われ、多数のタイ人、日系企業関係者に見送って貰った。 Mの遺骨(遺灰)は彼の希望もあり、2月15日(土)、彼の会社の社員の手配により、チャチュンサーオ県のバンパコーン川に流してあげた。分骨は日本、トンガに持ち帰った。
歳の違いはあったが後に義理弟となったMとは国際ボランティアの同期だった。Mは「トンガ」へ、私は「ザンビア」に2年間赴任した。帰国後、互いに元の会社に復職した。帰国後、Mとは大阪で再会し、彼との縁で1年後に彼の姉と結婚し、彼とは義兄弟となった。
Mはトンガで知り合ったトンガ人女性と国際結婚し、会社復帰後は海外要員として海外を飛び回っていた。結婚後は関西に住んでいたが、1980年代にタイの工場に赴任することになり家族を伴ってバンコクに移り住んだ。その後、全くの偶然だが1990年代に、私も家族同伴でバンコクへ赴任することになった。彼ら家族の住むマンションとも近く、先住の彼には色々とお世話になり心強かった。
そんなMは、1990年代にタイで独立し、以来、25年以上現地で事業を立派に続けていた。亡くなる直前まで仕事、タイ人を愛し続けた人生だった。一人娘はオーストラリアの大学を出てそのままオーストラリア在住しており、思い出のトンガで第2の人生を計画していたらしい。
今回、離タイ前の2月16日(日)夜、Mの妻と娘、私達夫婦の4人は最後の晩餐として夕食を共にし、2月17日(月)には、元バンコクで住んでいだ所に近いホテルを取ったがホテルまで送って来てくれた。
トンガに帰るMの妻とはこれが事実上、最後の別れとなるだろう。彼女にはMと35年連れ添ってくれたことを感謝し、M亡き後もトンガで家族や親族と共に幸せな生活を送ることを希望し涙して別れた。