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【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第88回)40年越しのカンボジアの旅 「カンボジア・アンコールワット」と「トンレサップ湖」

 もう今から20年近く前の2005年に、予てから行きたかった念願の「カンボジア・アンコールワット」に妻と二人で出掛けた。
 1993~1995年に家族帯同でタイのバンコクに赴任していた時もアンコールワットに行きたかった。しかし、まだその時点ではアンコールワットとその周辺もカンボジアの内戦でポルポト派が機雷した地雷撤去や安全確認が取れていなかったので行くのを躊躇していた。
しかし、1998年にポルポトが死去し、あれから10年が経ち「アンコールワット」にも観光客がツアーで行けるようになっていた。
 
 私はタイでの赴任帰国後もタイには訪問していたが妻は1995年以降、タイを訪れていなかったので今回、バンコク経由でカンボジアに行くことにした。
妻は10年振りのバンコクに長年住む弟夫婦との再会を喜んだ。
 後年の2020年に義理弟は病魔に侵されバンコクで死去したがこの時の2005年は勿論元気で彼の妻や娘にもお世話になった。懐かしいバンコク生活談義に時間を忘れ、美味しいタイ料理レストランに出かけたものだった。
 
 
 アンコールワットにはバンコクから「シェムリアップ空港」まで小1時間で行ける。今回はバンコクの旅行会社のツアーを使った。現地空港に着けばエージェントが待機していて楽ちんの旅となった。これまで殆どツアーを利用したことが無かったので色んなアレンジや手配確認等は自分でやる必要があるので忙しかったがツアーは何もしなくても良いのでリラックス出来た。
 
 早速、他のツアー客と一緒にマイクロバスを仕立てシェムリアップ市中へ。アンコールトムのあるシェムリアップは観光客の増大でホテル建設のラッシュになっていた。
 初日には早速、アンコールワットを訪れた。大きくて見事な石造りの寺院を直に見て驚嘆した。かつての王国が滅び、西欧人の探検家が発見するまで長い間森の中に眠っていたのだ。その間、木々が寺院に侵食し損傷も大きくなったと聞く。またカンボジアの内戦時、アンコールワットが指令所として占領され周辺に地雷が施設され戦後も撤去に苦しむ時期もあった。
 私たちが行った2005年の時点で既に上智大学がアンコールワットの修復協力を始めていた。
 
 また、「アンコールワット」から少し離れたところにある「アンコールトム」も訪れた。アンコールトムもアンコールワットに負けず劣らず見事な寺院である。
両寺院はどちらも絵になる寺院で写真を沢山撮ったのを覚えている。
 タイにも立派なアユタヤ遺跡スコタイの旧跡が残っているがカンボジアの旧跡は規模が大きい。この他、この周辺にはまだまだ大小の旧跡があり当時のカンボジア王朝の隆盛が偲ばれる。
 
カンボジアの湖「トンレサッップ湖
 
アンコール・ワット
 クメール語でアンコールは王都、ワットは寺院を意味するため、アンコール・ワットは「国都寺院」という意味となる。大伽藍と美しい彫刻を特徴としクメール建築の傑作とされ、カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれている。
 
 
↑アンコールワット
 
 「アンコールワット」はカンボジア北西部に位置するユネスコの世界遺産(文化遺産)であるアンコール遺跡の一つであり、その遺跡群を代表する世界最大の巨大な寺院である。もともとは12世紀前半、スーリヤバルマン2世によってヒンドゥー教最大の寺院として建てられたが16世紀後半に仏教寺院に改修され、現在も上座部仏教寺院となっている。
 クメール文化の粋を結集したレリーフが、廊下や壁面に施され、海山を象徴した建物の構造は雄大そのもの。 特に遺跡から見る朝陽や夕陽の風景は、忘れがたい印象を残すだろう。
 
アンコールトム
 アンコール・ワットという遺跡名は広く知られているが、新都城として建てられ、周囲12km、幅130mの濠と巨大な5つの城門を持つ「アンコール・トム」も歴史的価値が高い。世界一長大な浅浮彫や、巨大な彫刻「バイヨンの微笑み」は特に有名。
 
↑アンコールトム 
 
 アンコールの歴史は、戦争に翻弄され続けた過酷な歴史ともいえる。 現在は平和をとりもどし、国際支援による保護・修復作業が続けられている。
 今では貴重な文化財、世界遺産であり、カンボジアの貴重な観光資源でもある。
 
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