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【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第85回) ロンドンのWaterloo駅から夜行列車でウエールズの友人訪問

 2000年5月、ロンドンのWaterloo駅から夜行列車でウエールズへ、今は亡き友人のイギリス人(正確にはウエールズ人)夫妻に会うために行った
 
 彼は私より上で父のような感じの人だった。彼とは私が1976年に南太平洋のギルバート諸島のタラワ島(現キリバス)に行った時、お世話になった人である。           彼はITU(国際通信連合)の専門家で当時、タラワのベシオの事務所でまだイギリスから独立前のギルバート&エリス諸島の通信業務を司っていた。
 ギルバート&エリス諸島に派遣される前の赴任地は独立前のシンガポール・マレーシアであったイギリス連邦の「マラヤ」にも赴任するイギリスの海外要員だったのだ。
 
 そんな彼にギルバート&エリス諸島滞在中、宿泊先の手配、その他色んな手続き、送迎迄やって貰った。
彼はサファリ―スーツが似合う典型的なイギリス紳士で白髪のカッコいい穏やかな人だった。私たちに接する様はまるで父のようなまなざしを感じたのだった。感謝して有り余ることはない。
 
 彼は長い海外任務生活を終えた後、故郷のウエールズに帰ったのだった。このことは知っていたが今度は私が海外生活や海外業務等で多忙になり、会う機会を失っていた。
 いつかは、その内にと思っていたが1976年から四半世紀も経った2000年に業務で10日程イギリスに出張した時、どうしても彼に会いたいと思った。それまでにもロンドンには何度来ていたが彼ももう年齢も重ねておりこの機会を失うと二度と会えない気がして急遽週末に会いに行く決心をした。連絡が取れ、急だったが彼は快諾してくれた。
 
 ロンドンでの金曜日の仕事が終わり帰宅せず、ウェールズ行き夜行列車に乗ったが確か22時頃発車だった。 ウエールズへはロンドンから5時間ほどだったと思うが深夜・早朝の3-4時頃、11月末の寒い朝だったが自家用車で彼が迎えに来てくれていた。
 
 24年ぶりに再会だったが彼は歳は取ったが昔そのままのイギリス紳士だった。再会を喜び、自宅に泊めて貰ったが奥さんが家で待ってくれていた。彼らには私と同年配の息子がいてまるで息子のように扱ってくれた。実の息子も海外に住んでいて日頃は会うことができないと言っていた。
 
 ウエールズは土曜日の朝と夜の2泊させて貰い駆け足の旅だった。
土曜日と日曜日の2日間市内・近郊を案内してくれた。日曜日には石作りのお城に連れて行ってくれた。歴史ある城だったと思う。残念ながらが名前は忘れてしまったが「コンウイ城」ではなかったと思う。
 
 日曜の昼食は街のローカルのレストランで外食した。イギリスは概して質素な食事が多いがこれが日常であり飽食な日本が例外かもしれない。しかし、この時は色んな食べ物をふるまってくれた。
 何も特別なことはせず息子が帰ってきたかのような色んな会話を奥さんを含め3人が時間を忘れ楽しんだ。太平洋の島で夫妻に会ったのは20歳代。その時から再会したのは私がもう50歳近くなっていたから四半世紀もの長い間の出来事を報告するのように話が弾んだ。
 
 そうこうしている内に時間は過ぎ、また月曜からロンドンで始まる仕事があるため長居は出来なかった。出迎えは深夜・早朝だったので彼一人だったが見送りは奥さんも駅まで来てくれた。日曜の夕方の列車でロンドンに戻ったのだった。
 その彼も再会してから5年程で亡くなった。また奥さんも彼が亡くなって数年後に亡くなったのだった。穏やかで良い夫妻だった。私の大切な思い出である。
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